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  • 子持権現を迂回し、瓶ヶ森へ  2012 Video 03

    149 views 4 years ago
    軽装備で、アイゼン無し。この先の状態も分からないので、この斜面を越えず引き返しました。単独行だったので、これで良しとします。
    合掌。 Show less
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  • 高瀑(たかたる) 石鎚山系にある瀧 Play all

    高瀑(たかたる)への道は、案内板に記されたような整備されたものではございませんでした。
    嘗てのルートは、災害で寸断され、遊歩道などという生易しいものではなく、本式の装備をしていないと、危険です。
    私の場合、単独行、そして土砂降りの雨の為、視界が効かず、帰途の渡河点で道に迷い、下山が日没近くになったのです。下手をすれば遭難する所でした。
    この瀧は、安易な物見遊山で参れる場所では無い旨、お伝え致したく、再生リストを作成しました。
    合掌。
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  • 山で働くヘリコプター Play all

    石鎚登山中、ヘリの姿を目にしました。最初、陸上自衛隊の対戦車攻撃へりかと思いました。然し、違いました。このヘリは、山岳作業用のKAMAN K-MAXでした。
    合掌。
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  • 海上自衛隊遠洋練習航海部隊 Play all

    収録作品に関する注記

    Nippons Navyは、平成十七年度海上自衛隊遠洋練習航海部隊(Japa n Maritime Self-Defense Force Training Squadron)のハンブルク訪問時のビデオです。ドイツの方 が、YouTubeにアップロードしてくださいました。 有難いことです。ただただ感謝です。
    この艦隊は、TV3508かしま(Kashima)、DD101 むらさめ(Murasame)、DD153ゆうぎり(Yuugi ri)の三艦より構成されていました。 練習艦一隻、護衛艦二隻というのは、遠洋練習航海部隊としては、異例の編成でした。為に、艦載ヘリコプターも二機備えていたのです。
    合掌。

    追記
    以下に記したURLで、練習艦隊マルタ島寄港時の写真を見ること が出来ます。
    合掌。

    http://www.battleships-cruiser s.co.uk/japanese.htm

    http://www.battleships-cruiser s.co.uk/japanese_destroyers.htm



    An explanatory note about the collecting work

    Nippons Navy is a video at the time of the Hamburg visit of the Japan Maritime Self-Defense Force Training Squadron in 2005. German person uploaded it in YouTube. This training squadron consisted of TV3508 Kashima, DD101Murasame, DD153 Yuugiri.
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  • My Japanese Niece Play all

    日本と印度に纏わる美談の一つです。嘗ての日本には、立派な男たちがいました。以下、泉可畏翁著 「誇り高き男」からの引用です。合掌。 
     ある本を読んだ時「ビルマの悲風」という一章があり、何気なく読み続けると面白さにつり込まれて大要次の様な話を一気呵成に読んでしまった。     、大東亜戦争でシンガポールが陥落する直前、タイのバンコクに岩畔機関という特務機関が出来た。その機関はインド義勇軍を組織して対印度独立工作を進めるというのが主な任務であった。その機関員に小川三郎という少佐が配属されて来た。機関長の岩畔(豪雄)大佐がその考課表を見ると、「陸士第三十八期生卒業序列が尻から二番目、二・二六事件に連座して停職六ヶ月」という豪の者で、機関長はどんなポストに使うべきか一寸迷った。ある晩夕食のとき機関長は単刀直入、小川少佐に聞いて見た。「君は陸士の卒業序列が尻から二番だがあまり勉強しなかったんだろう」というと、小川少佐はすかさず「実に残念でたまりません」と答えた。機関長はてっきり勉強もして見たが不成績に終って残念だという風にごく普通の解釈をした。ところがそうではなかった。「私は陸士卒業の時是非ビリで卒業し度いと努めたが惜しくも念願がはずれて、尻から二番に止まり実に残念無念でした。ビリの卒業というのはなかなか難事中の難事ですね」と笑って答え、さすがに剛腹の機関長も呆気にとられた。(中略)     大東亜戦争が進んで印度の志士チャンドラ・ボースをドイツから迎えて印度義勇軍の首領とし、小川中佐はその連絡に任じていたが、当時インパール作戦後のビルマの日本軍は戦勢利あらず、後退に後退を重ねていた。サルウィン河畔に踏みとどまっていたチャンドラ・ボーズに対し小川中佐は言った。「早く後方の国境山脈まで退られよ」とすすめたが何といっても聞き入れぬので、これ以上痩我慢すべきではないと諌めた。するとボースはいった。「約百名の女子義勇軍をラングーンに残して居ながら男の自分だけが、どうしてオメオメ後退出来るか」と。小川中佐はこれに応じて「分った。私も日本人だ。日本軍人だ。誓って私が責任をもって女子義勇軍を救出し、貴方の膝下に連れ帰るから安心して後退せられよ」というなり方面軍の後方担当参謀のところにやって来て、「最小限四台のトラックを融通して呉れ」と頼んだ。参謀は一台もないという。何とか工面して呉れと迫ったが無い袖はふれぬという。小川中佐は厳然として「無い袖をふるのが参謀の真の役割だ。ある袖をふるのなら誰れでも出来る」と、続いていった。「自分は印度のボース首領に誓ったのだ。ラングーンに残された女子義勇軍は日本人の面目にかけても断じて救出すると。こんどの大戦は或は敗戦の破局を迎えるかも知れぬが、たとえどんな、どん底に陥っても日本人は嘘をつかなかった。どんな逆境に立っても日本の軍人は最後まで信頼出来るとのイメージを印度の人たちに残して死に度い。形の上の戦争ではたとえ敗れても心の上の戦争では敗れて居らぬ証拠を世界の人々に示すべき絶好の機会だ。四台のトラックはこのため何とかすべきだ」と熱情をこめていい放った。黙々としてその言葉を聞いていた参謀は何もいわず、どこからか四台のトラックを工面して来た。小川中佐は喜んでこれを受け取るとまっしぐらに包囲下の首都に駆けつけて無事女子義勇軍約八十名を救出しボース首領の手元に連れて来たがその後、同中佐は南ビルマの戦闘で戦死した。
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  • 映画 Play all

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  • 音楽 Play all

    徒然なる侭に、心惹かれた音楽を纏めてみました。
    合掌。
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    ドライブ中、口ずさんでいた歌を集めてみました。
    合掌。
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