Loading...

3分でわかる青木繁(人から分かる3分美術史29)

1,498 views

Loading...

Loading...

Transcript

The interactive transcript could not be loaded.

Loading...

Rating is available when the video has been rented.
This feature is not available right now. Please try again later.
Published on Nov 20, 2016

明治のロマン主義における代表的な画家として知られる青木繁を紹介します。

***

こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は青木繁について勉強していきましょう。

青木繁。1882年生まれ。明治のロマン主義における代表的な画家として知られます。
青木は明治15年、福岡県久留米市に生まれました。
小学校の頃には、生涯の親友であり、ライバルでもあった洋画家の坂本繁二郎と出会っています。
14歳の頃より、洋画家・森三美に入門。
青木が画家を目指すことに、厳格な青木の父は強く反対したと言われています。
学問は振るわず高校で落第しますが、本格的な洋画教育を受けるために17歳で福岡から上京。
洋画家・小山正太郎の画塾である不同舎に入塾します。
翌年となる1900年には、東京美術学校の西洋画科に入学。同期には熊谷守一らがおり、黒田清輝らに学びました。
また、この頃より哲学や宗教の本を読み漁るようになります。1903年には、黒田が主催する白馬会の第八回展に、「輪転」などの神話をモチーフとした十数作品を出品。褒賞を受けます。
また同時期、のちに青木と夫婦となる女流画家・福田たねと出会っています。
1904年に東京美術学校を卒業。坂本繁二郎や福田たねらと写生旅行に出かけ、その中で、青木の最高傑作として知られる「海の幸」が作られています。神話的な壮大さを誇っており、同時代のロマン主義を代表する作品でもあります。
しかし、この時期を境に青木はスランプに陥っていきます。
また、福田たねが青木の子を妊娠・出産したことから生活が困窮します。
栃木県の福田たねの実家に居を移し、新作を幾つかの展示に出品しますが、軒並み落選。
1908年には実家からも福田家からも離れ、妻子を捨てて放浪生活を送ります。
画壇から見放され夢破れた青木は、間も無く体を壊し1911年にわずか28歳でこの世を去ったのでした。

以上!

Loading...

Advertisement
When autoplay is enabled, a suggested video will automatically play next.

Up next


to add this to Watch Later

Add to

Loading playlists...