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High-class Philosophy of advanced mysticism (What is your center)

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Uploaded on Sep 23, 2009

核の瞑想 The Core Meditation

あなたの中の無位真人、本来面目、真我、
本性、仏性、究極の主体、
それは、インドでは古来より
中心の観察者と呼ばれる

だが、中心ということについて、
今一度よく考えてみるがいい。

それが本当に真中心ならば、
『それ』は『それ』以外のものならば
あらゆるものを知覚できるだろうが
『それ自体』は
決して知覚できないということになる。

なぜならば、
もしも真中心などと言うものが知覚されたら、
それを知覚しているものが
さらに中心にいるということに
なってしまうからだ。

それ故に、
知覚されたものはすべて『それ』ではない
ことになろう。

だから、座禅をしようが、瞑想をしようが
あらゆる体験や感覚は断じて『それ』ではない。

今ここで知覚されている、
ありのままの事実の感覚すら『それ』ではない。  

さらには、いま、ここの自己の
存在感の自覚すらも『それ』ではない。

『それ』は絶対に知覚不可能の未知のままに
『それ』自身を決して振り返る事もなく、
ただ在るだけである。

内側も、外側も、それそのものすら、
見向きもせずに、ただいる『これ』
ただ、これ、ただこのもの、
これそのもの、これ。

故に本来面目の真中心とは、
見るものではなく、
それは発見するものではなく、
理解するものではない。

それは、目的もなく、探求せず、功徳なく、
ただ在ること、居ること、そのものだ。

このように、
本性とは、決して見ることも出来ず、
知ることも、感じ取ることも出来ないことが、
絶対に確実だと言うのに、
何を探求しようとなどするのだろうか?。

坐禅や瞑想をして
一体何を見付けようなどとするつもりか?。

何を仏性やアートマンなどと騒いで
努力をするつもりなのか?。
何を体験などするつもりなのか?。

これほどまでに、
全くもってして不可能な事をやろうとする必要が
どこにあるのか?。

光源が自らを照らし出すことなど、
出来るはずがあるまい。
だから、本性に帰るために、
出来ることなど何もない。

ただひとつ出来ることは、
内面奥深くに渡ってただ何もしようとせず、
何も見ようとすらせず、
ただ、そこに、ただ居ることだけだ。

もしも『それ』を体現したければ、
姿勢にかまわずゆったりと座して、
目を閉じて汝の周囲を
絶対無の闇のごとくに観想したのち、
次に汝の身体の中と脳のすべてを
闇に溶かして消すがよい。

ついで目を開き、空漠とした視線のまま、
意識を可能なかぎりの長き時間、頭頂に留めるべし。

かくのごとき、瞑想後に、
乞食のごとく無欲に、静かに歩くがいい。

そのとき、目は開いていても何も見ようとせずに、
無為に漂わせよ。
決して物を極端に凝視することなく、
空漠とした、まなざしで歩くがよい。
努めてまばたきは、ゆっくりとさせ、
視線の動きも努めてゆっくりとせよ。

かくして『それ』は『体現』されるが 
『それ』を見たり
『それ』を知ることは不可能なままに、
『それ』は『それ』で在り
『それ』である。

そのように『それ』は
そのままそこに『それ』で在り続ける。

故に、外にも内にも何も見る事なく
在れ
在れ
在れ
ただ在れ。

静寂と無為、無目的と、
無探求の闇の深みに脱落し・・
完全なる、
沈黙そのものと共に在れ。
___

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