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米国人元戦争捕虜 2011.10.21

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Uploaded on Oct 24, 2011

U.S. ex-POW

外務省の「日米草の根平和交流招聘プログラム」で招待された第二次大戦中の米兵元戦争捕虜7人が記者会見した。


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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2011年11月号に掲載)

平和と友情の旅     元POWの一行7人は笑顔で記者会見場に現れた。戦後66年、ほとんどが80代後半以上、最高齢は92歳。
外務省は日米草の根平和交流招聘プロジェクトとして2010年から米国人元捕虜を日本に招いている。今度が2度目だ。
 会見は団長のロバート・ボグラ・ジュニアさん(右)から始まった。1940年陸軍航空隊入隊、フィリピンで捕虜、あのバターン死の行進をも経験した。その後日本の神岡収容所で過酷な労働をさせられた。各人も自らの苦しかった捕虜生活を話した。その体験は彼らにとって70年たった今なお、心の大きな傷となっている。しかし彼らは、それを淡々と話した。これまでのわだかまりは消えたかのようだった。
 一行はまた平和と友好のために来たのだと繰り返し、政治問題に触れることをさけた。
 ただ広島長崎の原爆については「きわめて悲しい出来事だった。二度とあってはならない。しかしもし原爆を投下せず日本本土上陸の事態になれば、100万人以上の犠牲者を出しただろう」と、複数の人が答えた。これは意外だった。これがアメリカでは一般的な考えなのか。
 最後にN会員が立って自らの体験を話した。当時中学1年だったが名古屋の実家は空襲を受けなくなった。名古屋城も炎上したなどと話したが、途中胸が詰まって嗚咽した。「とにかく戦争は駄目だ。日米は仲良くしなければいけません」と述べるのがやっとだった。会場から拍手がおきた。元捕虜たちがN会員のもとに来て握手を求めた。「これが真の日米交流だ」と米側から声が上がった。記者会見としては珍しい光景だった。
 私は大岡昇平の俘虜記の冒頭の一節「わがこころのよくてころさぬにはあらず(歎異抄)」を思い出していた。
 NHK出身 田中 信義


7人はフィリピンなどで日本軍の捕虜となり、大牟田、川崎、神岡、富山など各地の収容所で強制労働に従事した経験を持つ。代表のロバート・ボグラ―・ジュニアさんは神岡の鉛鉱山の体験を話し、当時、捕虜にやさしくあたった日本人看守の家族と今回、話しあったことを紹介。「あのような経験があっても許せるし、友情に発展させることができる。忘れることはできないが」と述べた。大牟田の収容所にいたロイ・エドワード・フリースさんは「日本での記憶はよいものではなかった。今回、大牟田でのもてなしに圧倒され、日本への悪感情は消えた。許してもいい頃だと思う」。ハリー・コレさんは「日本政府は陳謝の気持があるが、日本の企業はわれわれを奴隷労働として使い、カネもうけをしたという認識がない」と批判した。ハロルド・バーグバウワーさんに付き添って来日した娘のデボラさんは「高岡の金属会社で、1944年当時の収容所について父が日本の会社の人と地図を見ながら語り、コミュニケーションができた。父の心の平安にもつながった。これが友情の始まりであり、平和そのものだと思う」と述べた。質疑応答では、米軍の原爆投下についての考えを尋ねる質問などがあった。

司会 露木茂 日本記者クラブ企画委員
通訳 長井鞠子 サイマル・インターナショナル

外務省のプレスリリース
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/rel...

日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news...

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