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我が家の「ファミリーヒストリー」 清和源氏の傍流

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Published on Nov 12, 2016

馬場氏は清和源氏系の摂津源氏の流れを汲む、もとは武蔵国の武士で、鎌倉時代に「元寇防衛」のため、肥前国に下向して土着した。

清和源氏の摂津源氏の流れ
清和源氏の祖の源満仲ー源頼光ー源頼国ー源頼綱ー五男の
源仲政は臣籍降下して
馬場仲政と名乗る(この仲政が遠祖)ー
(次男)馬場頼政ー馬場仲綱ー馬場頼行ー馬場行綱ー馬場基綱と継づいてゆく。
鎌倉時代になると武藤資頼(後の少弐資頼)が源頼朝より太宰府政庁の少弐職に任じられ筑前、肥前、豊前、壱岐、対馬の三国二島を統治をする。
武士団の馬場氏は警護職として九州の太宰府へ下向、源氏の武者として二度の元寇を戦い、蒙古軍を恐れさせ、大活躍する。しかし鎌倉幕府は蒙古軍の再来襲に向けて、武蔵国へ帰ることを許さず、そのまま九州に土着する。
その後の紆余曲折を経て、
主君の少弐氏は室町時代になると周防国の大内氏の攻勢で、太宰府を追われ肥前国だけを治めるようになる。馬場家は少弐家と姻戚関係となり少弐一族となり少弐家に忠誠を尽くす。

室町時代・南北朝時代・戦国時代には馬場頼経ー馬場頼員(よりかず)ー馬場頼周(よりちか)ー馬場政員(まさかず)ー馬場鑑周と続くが、
この馬場鑑周は少弐家の同じ家臣の竜造寺氏に大内氏と内通した謀反ありとして竜造寺一族を抹殺する。しかし竜造寺家は出家していた竜造寺隆信を呼び戻し、家を再興し、鍋島を配下に置いた竜造寺隆信に、逆に攻められ、ここで鎌倉時代から続いた馬場家は実力をつけた龍造寺隆信の下剋上で肥前を治めていた少弐氏と共に滅ぼされ、少弐氏と共に滅亡して、馬場家の一族は肥前と筑前に散り散りに散ってしまうこととになるのです。
こうして、馬場氏は滅亡した。
馬場氏は先に筑紫一門を謀略で討ち、次に龍造寺一門を同じく謀略で追い詰めた。とはいえ、竜造寺氏・筑紫氏ら少弐一族が大内氏に通じて少弐氏と対立していくなかで、「馬場氏は頽勢の少弐氏をよく支えたといえるのではないか。博学にして才知あり、忠心深くまた下賤を憐れみし者なり。龍造寺の一家を討ち取りしことは、少弐に対して謂れある事なり」と「治乱記」では馬場頼周を評している。

この後の竜造寺隆信は薩摩の島津と九州の二大勢力になり、九州の覇権を争います。竜造寺隆信は島津義久と「九州の関ヶ原」と呼ばれる国境の肥後で一大決戦に臨むが、勝負が決せず物別れになった。しかし、そののち、島津の謀略で配下の有馬晴信に裏切られ、怒った隆信は5万7千の大軍を率いて島原まで攻め入ったが僅か5千の有馬晴信軍と薩摩からの援軍の島津の連合軍に「沖田畷の闘い」で不覚にも竜造寺隆信は討ち死にしてしまったのです。

その後の肥前国は鍋島家が豊臣秀吉より認められ、朝鮮国出兵の文禄・慶長の役で加藤清正と共に大活躍して名実ともに肥前藩主となる。

こうした我が家の遠祖があって今がありますので、現在も大事に先祖の霊を祀っています。
今、肥前国の馬場を名乗る同じ祖先を持つ人と九州の名家の少弐家に支え仕えた小田氏や肥前千葉氏の子孫で「少弐会」を作ろうとしています。(肥前千葉氏は関東千葉から元寇防衛で下向させられた兄の千葉氏、弟は千葉を治めたのでこう呼ぶ)
このサイトでのご連絡をお待ちしています。

表紙の絵図は筑前と肥前を治める少弐氏(中央)とその家臣の馬場氏と竜造寺氏が周防の大内氏の攻勢に会い共に戦う絵図。結局この戦いは竜造寺氏配下の鍋島氏の活躍で大内氏の攻撃を退け、竜造寺氏が大きな力をつける原因ともなった。

肥前に散った馬場氏の中から幕末に佐賀藩が各藩に先駆けて鉄製大砲を作った「馬場栄作」がこの末裔として登場する。
この大砲が上野戦争、会津戦争、箱根戦争で威力を発揮し明治維新を成功させました。
馬場姓を名乗る一族が肥前と筑前に多いのはその後裔(こうえい)たちです。

清和源氏の摂津源氏傍流の甲斐源氏の流れの土岐氏も源氏の流れを汲み、源光信も臣籍降下して土岐光信と名乗り、土岐に土着する。のちにその孫が源氏の名跡の馬場姓を名乗り、馬場信春として武田信玄に仕え、その武将として武田四本槍に加えられ勇名です。武田家も滅亡して子孫は信濃、近江、越後に散り、この地域に馬場姓が多いのもその末裔(まつえい)たちです。長野県松本市に「馬場家住宅」が国の重要文化財として一般公開されています。また彦根市にもその子孫の「馬場家住宅」が重要文化財として一般公開されていて、この彦根の「馬場氏」は中山道で薬売り商人として財をなして、近江商人の元となった人物であると紹介されています。また、この末裔の第13代長崎奉行の馬場利重は1642年から1650年まで名奉行として徳川家に仕えました。

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