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東北の雄将 独眼竜 伊達政宗の生涯年表

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Published on Nov 15, 2014

東北の雄将 独眼竜 伊達政宗の生涯年表


1567年(永禄10年)
出羽国羽前、米沢城主、
伊達輝宗の長男として生まれる。

母は義姫(最上義光の妹)

幼名 梵天丸

元服名 伊達藤次郎政宗

藤次郎、独眼竜、大崎侍従

官名

美作守、左京大夫、侍従、
越前守、右近衛権少将、陸奥守、
参議、権中納言など


●右目失明

1571年 (5歳)
疱瘡にかかり右目を失明。
これを機に母、義姫から
疎まれるように。

1572年 (6歳)
虎哉禅師を師に学び始める。

1575年 (9歳)
片倉小十郎が傅役に。

1579年 (13歳)
陸奥国磐城三春城主、
田村清顕の娘、愛姫と結婚。

1581年 (15歳)
相馬氏攻めで初陣。


●家督相続

1584年 (18歳)
父、伊達輝宗の隠居により、
家督を継ぐ。

1585年 (19歳)
小浜城主、大内定綱の離反を受け、
定綱の支城、小手森城を攻め
撫で斬りを行う。

二本松義継に捕らえられた
父伊達輝宗を、止む無く見殺しにする。

陸奥国岩代の人取橋の戦で、
佐竹、蘆名連合軍に勝利。

1588年 (22歳)
北方の大崎義隆を攻めるが、
最上義光が大崎氏の援軍に
駆けつけたため苦戦。

母、義姫の取り成しで
最上義光と和睦。(中新田の戦)


●奥州南部平定

1589年 (23歳)
陸奥国岩代の摺上原の戦で
蘆名義広を破り、奥州南部を制圧。

その後周辺の諸族を支配下に置き、
出羽国羽前南部、陸奥国岩代、
陸奥国陸前南部など
合計114万石の太守に。

陸奥国岩代の黒川城(会津若松城)
に本城を移す。


●毒殺未遂

1590年 (24歳)
実母、義姫に毒殺されそうに
なるが回避。

この事件を発端に、家督を狙っていた
弟の伊達政道(小次郎)を成敗。
(異説あり)


●秀吉に臣従

小田原城攻めを行っていた
豊臣秀吉に、ギリギリのところで
伺候し臣下につく。

1591年 (25歳)
惣無事令違反、領内での一揆
(葛西大崎一揆)を煽動した
疑いなどから、米沢など約150万石
から陸奥国陸前玉造郡など58万石に
減封となり、岩出山城(岩手沢城)
に入る。

岩手沢城を岩出山城に改名。

1592年 (26歳)
文禄の役(朝鮮出兵)に参戦。
出陣の際の装束が派手で、
「伊達者」の語源となった。

1594年 (28歳)
母、義姫が出奔し実家山形城へ戻る。

1597年 (31歳)
親しかった前関白の豊臣秀次の切腹
(秀次事件)に伴い、
謀反に連座したという嫌疑を
かけられるが、弁明が通り許される。

1600年 (34歳)
関ヶ原の戦で徳川家康の東軍に属し、
最上氏の山形城を攻めた上杉氏家老、
直江兼続を攻めるために、
家臣で叔父の留守政景を援軍に派遣
(長谷堂城の戦)するなど、
上杉景勝のけん制役を果たすが、
どさくさに紛れて
一揆を煽動したことが発覚し、
評価が下がる。


●青葉城

1601年 (35歳)
仙台城(青葉城)を築城し居城とし、
初代仙台藩主に。(60万石)

1605年 (39歳)
娘の五郎八娘が、
徳川家康六男松平忠輝と結婚。

1613年 (47歳)
支倉常長を慶長遣欧使節とし
欧州へ派遣。

奉行大久保長安の死去により、
幕府への謀反(未遂)の
関係者として嫌疑をかけられるが、
これも切り抜ける。
(大久保長安事件)

1614年 (48歳)
大坂冬の陣に参陣。

1615年 (49歳)
大坂夏の陣で、
豊臣方の後藤又兵衛を討つ。

戦後は領国経営に注力。


1636年(寛永13年)


死没。


享年70歳


辞世は

「曇りなき心の月を先だてて
浮世の闇を照してぞ行く」

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