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Published on Apr 12, 2019

サラゴサ条約, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2... / CC BY SA 3.0

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サラゴサ条約

サラゴサ条約(サラゴサじょうやく、)は1529年4月22日にポルトガル王ジョアン3世と神聖ローマ皇帝カール5世の間でサラゴサにて締結された、スペイン帝国とポルトガル海上帝国の間の平和条約。

条約はカスティーリャ(スペイン)とポルトガルのアジアにおける勢力圏を分け、両国が同時に1494年のトルデシリャス条約を根拠にモルッカ諸島の領有を主張したためにおこった「モルッカ問題」を解決する試みとなった。紛争は1520年に両国の遠征隊が太平洋に到着したときからはじまった。このときには、東方において子午線はまだ定められていなかった。

1494年、カスティーリャ王国とポルトガル王国はトルデシリャス条約を締結し、世界を探索と植民地化のために両国の間で二分した。条約は大西洋に子午線を定め、線の西はカスティーリャに、東はポルトガルに帰属するとした。

1511年、当時アジアでの貿易の中心地だったマラッカがポルトガルのアフォンソ・デ・アルブケルケにより征服された。アルブケルケは続いて、当時秘密とされた香料諸島(モルッカ諸島のうちのバンダ諸島はニクズクとクローブといった香辛料の唯一の産地だったため、インド洋での航海の主目的である)の位置を知ろうとして、にそれを探すよう命じた。1512年の初め、遠征隊は小スンダ列島を通ってバンダ諸島に到着、諸島に上陸したはじめてのヨーロッパ人となった。バンダ島に着く前にはブル島、アンボン島、セラム島も訪れた。その後、船の難破によりはアブレウと別れて北上した。セランの船もテルナテ島で難破したが、彼はそこで当局から交易所の建設許可をもらい、を建てた。
セランは友人のフェルディナンド・マゼラン(二人が親族だった可能性もある)に手紙を書き、香料諸島について記述した。マゼランはこの記述でスペイン王を説得し、世界初の世界周航への出資を勝ち取った。1521年11月6日、マゼランの艦隊(マゼランは4月ので死去したため艦隊はフアン・セバスティアン・エルカーノが率いていた)は東からモルッカ諸島に到着した。セランも同じころにテルナテ島で死去しており、マゼランとはついぞ会えなかった。

マゼランとエルカーノの1519年から1522年にかけての世界周航の後、カール5世はトルデシリャス条約により香料諸島はカスティーリャに帰属するとして、ガルシア・ホフレ・デ・ロアイサ率いるを派遣、諸島の植民地化を命じた。マゼランの航海に参加したエルカーノはロアイサの遠征にも参加、遠征中に命を落とした。また若いアンドレス・デ・ウルダネータもロアイサの遠征に参加している。1525年から1526年までの困難に満ちた航海の後、遠征隊はティドレ島に着き、そこで港を建設した。これにより、すでにテルナテ島にて交易地を持ったポルトガルとの紛争が生じた。1年間の戦闘の後、スペインは敗北したが、諸島の帰属をめぐる小競り合いはその後10年近く続いた。

1524年、スペインとポルトガルはフンタ・デ・バダホス=エルヴァス()を開催、紛争を解決しようとした。両国はそれぞれ天文学者、地図学者、航海家、数学者を3名ずつ任命し、トルデシリャス条約の子午線の逆側にある子午線の精確な位置を計算し、世界を2つの半球に分けようとした。

ポルトガル王ジョアン3世は全権大使アントニオ・デ・アゼヴェード・コウチーニョ()、、地図学者と宇宙誌の学者、を会議に派遣した。スペインはメルクリオ・ガティヌ伯爵()、オスマ司教、カラトラバ騎士団団長ガルシア・デ・パディーヤ()を派遣した。ポルトガルの地図学者はスペイン代表として会議に出席した。

会議はバダホスとエルヴァスで何度か開かれたが、合意には至らなかった。というのも、当時の地理の知識は極めて限られたものであり、経度を精確に計算することが難しく、両国の代表はそれぞれ諸島を自国領とした地図で計算を行った。一例としてはカール5世の助言者であったはが制作した地球儀を所持しており、その地球儀では諸島がスペイン領となっている。ジョアン3世とカール5世はモルッカ諸島の位置が確定するまで、両国とも諸島に遠征隊を派遣しないことに同意した。

1525年から1528年まで、ポルトガルはモルッカ諸島の周辺に遠征隊を派遣した。テルナテ島の総督はとをシモン・デ・アブレウが1523年に一度訪れたセレベス島に派遣した。この...

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