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Published on May 10, 2019

ヴィクトリー (戦列艦), by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=5... / CC BY SA 3.0

#イギリス海軍の戦列艦
#1765年進水船
#イギリスの博物館船
#帆船の船名
#イングランドの観光地
ヴィクトリー (戦列艦)

ヴィクトリー () は、イギリス海軍の104門1等戦列艦。1805年のトラファルガーの海戦においてホレーショ・ネルソン提督の旗艦を務めていたことで知られる。他にもウェサン島の海戦でのケッペル提督や、スパルテル岬の海戦でのハウ提督、サン・ビセンテ岬の海戦でのジョン・ジャーヴィス提督ら、多くの提督の座乗艦であった。

1922年にポーツマスの乾ドックに移され、記念艦となった。ポーツマス軍港の港湾司令官や第二海軍卿の旗艦を務めていたが、2012年8月からは第一海軍卿の旗艦となった。現存する唯一の戦列艦であるとともに、世界最古の現役艦でもある(航行可能な現役艦としてはアメリカ海軍のコンスティチューションが最古)。

1758年12月、イギリス政府の事実上の首相であった大ピットが、後にヴィクトリーとなる1等艦を含めた12隻の軍艦の建造を提議し、発注が行われた。 18世紀に建造された1等戦列艦は10隻で、ヴィクトリーはそのうちの1隻だった。 ヴィクトリーの建造には海軍の艦艇監督官であったトーマス・スレードが造船技師として選ばれ、1756年にウリッジ工廠で進水した1等艦ロイヤル・ジョージの設計図をもとに、最低100門の砲を備える船として設計された。 チャタム工廠の工廠長はこの船の建造のため乾ドックを準備するように命令され、1759年7月23日に竜骨がオールド・シングルドック(No.2ドックと改称され、現在はヴィクトリー・ドックとなっている)に敷かれた。1760年の10月には「ヴィクトリー」という名が選定された。この名が選ばれた理由には諸説あり、1つには前年の1759年に当時行われていた七年戦争でイギリスが次第に優勢になってきており、陸上ではケベックの戦いやミンデンの戦い、海上ではラゴスの海戦、キブロン湾の海戦と勝利(Victory)が相次いだため、奇跡の年を記念して命名されたというもの。もしくは、7つの命名候補が記された短いリストの中で、当時他の船に使われていなかった名前が単に「ヴィクトリー」だけであったとするものもある。先代のヴィクトリー(en)と名付けられた戦列艦は1744年に乗組員全員とともに失われていたため、一部ではこの命名が適切かどうかに疑問が持たれていた。

一度フレームが組みあがると、大抵の場合船には覆いが取りつけられ、数か月に渡って木材の乾燥と慣らしが行われる。しかし、七年戦争が終結したこともあって、ヴィクトリーはこの骨組みだけの状態で3年近くドックに放置されることになった。ただし、この長期間の乾燥が後の長寿命に繋がったともされる。建造は1763年の秋から再開され、1765年の5月7日に進水が行われた。かかった費用は63,176ポンド3シリングで、現在価値に直すとおおよそ779万ポンド (日本円で約11億円)となる。建造には6000本にも及ぶ木材が用いられ、そのうち90%がオーク材で、残りがエルム、パイン、モミの材木と少量のリグナムバイタだった。

進水の日、進水式の職長に選ばれた船大工のハートリー・ラーキンは突如として、船がドックのゲートを通り抜けられないであろうことに気づいた。夜明けとともに行われた計測は、彼の懸念を裏付けるものだった。ゲートは少なくとも9インチ(約24㎝)狭すぎた。この恐るべき知らせは上司である船大工長のジョン・アリンに伝えられ、進水の延期も検討された。ラーキンらは集められる船大工を全て集め、釿(ちょうな)でゲートの周囲の木材を削り、船が安全に通り抜けられるように苦労して切り開いた。このようなことができたのは、進水後ドックが即座には使用されないためだった。実際ヴィクトリーは整備中として、フランスがアメリカ独立戦争に介入してくるまで、13年間メドウェイ川で係留された

ヴィクトリーの試験航行は1778年3月にジョン・リンドセイ艦長の下で行われた。リンドセイがヴィクトリーの艦長だったのは同年5月までで、すぐに海軍大将オーガスタス・ケッペル提督の旗艦となり、中将ジョン・カンプベルが第一艦長、勅任艦長のジョナサン・ファルクナーが第二艦長として赴任してきた。

ヴィクトリーは鉄製の鋳造砲で武装しており、下甲板に、中甲板に、上甲板に、船首楼と後甲板にを備えていた。1778年5月に42ポンド砲は全て32ポンド(15 kg)砲に載せ替えられたが、1779年4月にまた42ポンド砲に戻された。結局、1803年最終的に42ポ...

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