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血を呼ぶ清河八郎の連盟帳|龍馬暗殺③

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Published on Sep 27, 2017

文久2年(1862年)は坂本龍馬が土佐を脱藩した年です。幕府の公武合体策が進むとともに、攘夷行動が過激化します。

第二次東禅寺事件
生麦事件
英国公使館焼き討ち事件

などの事件はこの年でした。これらの事件に隠れて暗躍したのが清河八郎でした。彼は急務三策(攘夷の断行、大赦の発令、天下の英材の教育)を唱えて、攘夷志士を幕府に取り立てる計画を立てました。幕臣の山岡鉄太郎を通じて、講武所の松平忠敏を動かして、政事総裁職松平春嶽に上書を提出します。
かくして、文久3年には浪士組が結成されて、将軍徳川家茂の上洛とともに京都の警護に向かいます。
しかし清河は京都で朝廷に尊王攘夷の建白書します。そののち江戸に戻り、4月14日に佐々木唯三郎らによって暗殺されます。清河が暗殺された時、その胸中には志士の連盟帳があったと言います。そしてその中には坂本龍馬の名前がありました。
文久2年末、江戸にいた龍馬は松平春嶽を尋ねて勝海舟の紹介され、勝の弟子になります。龍馬は清河の浪士組とは関係がなかったのでしょうか。龍馬と清河は共に北辰一刀流で同門でした。
清河は浪士取立計画を上書したとき、彼が幕府に提出したリストには坂本龍馬の名前が記されいました。このときから、坂本龍馬は倒幕・尊王攘夷志士として幕府に名前が残ったのです。龍馬暗殺の起点はこの清河八郎のリストにあったのではないでしょうか。龍馬と清河の怪しい関係を、この動画でいますぐご確認ください。


百斤の黄金ブログ
https://ameblo.jp/hyakuogon/




この動画をベースに書籍を出版しました。タイトルは

坂本竜馬暗殺で滅んだ徳川幕府: 死せる竜馬、生ける慶喜を走らす

です。kindleで

坂本竜馬暗殺

で検索してください。

—目 次—
グーグルマップに重ねる幕末の京の地図
第一章 裏切りの西郷隆盛大悪人説を証明せよ
第二章 竜馬暗殺の実行犯、見廻組タスクフォース
第三章 状況証拠で固める桑名松平定敬の影
第四章 死せる竜馬、生ける慶喜を走らす

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