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#ネパールの共産党 #1991年設立の組織 #2018年廃止の組織

ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派

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Published on Mar 24, 2019

ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1... / CC BY SA 3.0

#ネパールの共産党
#1991年設立の組織
#2018年廃止の組織
ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派

ネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(ネパールきょうさんとうとういつマルクス・レーニンしゅぎは 英語:Communist Party of Nepal Unified Marxist-Leninist、ネパール語:、ラテン文字転写:Nepal Kamyunist Party Ekikrit Marksbadi-Leninbadi)は、ネパールの政党。

比較的穏健な共産主義政党。ネパール制憲議会の議席数は第1党であるが、過半数を取る政党がなく、キャスティング・ボートを握ることもあり、有力な存在である。

日本では統一共産党と略称されることが多いが、日本外務省のホームページでは「共産党UML」と表記しており、そのほかに「統一共産党」(おそらくユナイテッド派かユニファイド派のいずれか)があるとしている。なお英語略称はUML、ネパール語略称はエマレである。

現党首はK.P.シャルマ・オリ前首相。元書記長のマーダブ・クマール・ネパールは2009年5月から2011年2月、元議長ジャラ・ナート・カナールは2011年1月から8月の間、首相を務めた。

2008年8月15日の制憲議会での首班指名ではキャスティングボートを握り、プラチャンダ政権を誕生させ、連立与党になった。8月31日、副首相・バム・デーブ・ガウタムを含む6人の閣僚が就任した。しかし、プラチャンダ首相が国軍参謀総長を解任したのに反発し、2009年5月4日、連立を離脱し、翌日、プラチャンダは辞任に追い込まれた。

2009年5月23日、ネパール制憲議会において、元書記長マーダブ・クマール・ネパールが22党の支持により、第57代首相に無投票で選出された。統一毛派など3党は投票をボイコットした。

なおネパールには共産党系の政党が多く、"ネパール共産党連合派"・ネパール共産党統一派"・"ネパール共産党マルクス・レーニン主義派"など紛らわしい別の党派も存在するので注意を要する。

1991年、ネパール共産党マルクス主義派とネパール共産党マルクス・レーニン主義派が合同して結成。ジャナ・アンドラン国民運動の一つの成果と言われている。2002年にネパール左派共産党が合流。

1993年党大会が開かれ、議長にマン・モハン・アディカリ(旧マルクス主義派)、書記長にマダン・クマール・バンダリー(旧マルクス・レーニン主義派)が就任する。ところが、まもなく、バンダリは謎の交通事故(殺人を疑われている)で死亡する。後任の書記長にはマーダブ・クマール・ネパール(旧マルクス・レーニン主義派)が就任し、アディカリを支えた。

1994年に立憲君主制下で与党としてマン・モハン・アディカリ内閣を組織し、王室と共産党政権の共存を果たした。しかし議会内で少数与党だったので、ネパール会議派と国民民主党により内閣不信任案が可決され、短期で政権が崩壊した。

1998年、統一共産党はインドとの条約をめぐって分裂し、サハーナ・プラダンを党首とし、バム・デーブ・ガウタムを書記長として「ネパール共産党マルクス・レーニン主義派」(第2期)が結成された。この党は短期間、G.P.コイララ率いるネパール会議派政権に参加した。

しかし、両党は総選挙に大敗し、2002年、マルクス・レーニン主義派と統一共産党は再統合した。

2005年には統一共産党はギャネンドラ国王の独裁に抵抗する7党連合に参加し、7党連合および毛沢東派とともに2006年の民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)を指導した。これにより、国王の実権は奪われ、武装闘争を行っていた毛派と議会7党による政治が実現し、毛派の武装闘争も収束した。

2008年4月10日の制憲議会選挙でマオイストとの選挙協力を断ると、書記長のネパールが落選するなど惨敗を喫し、第3党に転落した。第1党は大方の予想に反してプラチャンダ率いる毛沢東主義派が制したが、過半数は得られず、第2党にはネパール会議派が占めた。統一共産党書記長ネパールは辞任し、暫定的にアムリト・クマール・ボハラが書記長を務めた後、ジャラ・ナート・カナールが書記長に就任した。

5月28日、制憲議会が招集され、初日の会議で統一共産党を含む圧倒的多数により共和制を宣言し、正式に240年間続いた王制に終止符を打った。これにより、ギャネンドラ国王は退位した。

統一共産党はネパール前書記長を一時、初代の大統領に推していたが、連立を模索してい...

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