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Published on Apr 30, 2019

ルーマニアの歴史, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=4... / CC BY SA 3.0

#ルーマニアの歴史
#バルカンの歴史
ルーマニアの歴史

ルーマニアの歴史を以下に記述する。ルーマニア(Romania)は「ローマ人の国」を意味するその国名からわかるように、バルカン半島におけるラテン人が形成した国である。だが、周辺のスラブ人と同様に正教会をはじめとするビザンティン文化を受け入れたことや、オスマン帝国、ハプスブルク帝国の影響下に置かれ、長らく独自の民族国家が樹立できなかったのもルーマニアの歴史の一つの側面と言える。また冷戦時期の大統領ニコラエ・チャウシェスクによる共産独裁体制と、1989年に起こった一連のルーマニア革命でも知られる。

バルカン半島の東北部のこの地には、旧石器時代には人の定住した痕跡があり、石器や祭祀に使用されたであろうと思われる人形などが発掘されている。紀元前2000年頃に、トラキア人から派生したダキア人が住み始め、紀元前514年のペルシア戦争では、ペルシア王ダレイオス1世と戦い、その勇敢さをヘロドトスが記録している。紀元前60年頃には、ダキア人は統一国家を成立させた。2世紀の始めには、ローマ帝国のトラヤヌス帝が、101年から102年と、105年から106年の2度に渡るダキア戦争に於いてダキア王デケバルスを下し、ドナウ川以北でローマ帝国の唯一の属州となる属州ダキアが置かれた。

ローマの属州になるとローマ人の植民地化が進められ、ダキア人はローマ人と混血しローマ化が進み、これが今のルーマニア人の直接の祖先となる。さらに、キリスト教がこの地域にもたらされることになり、2世紀から3世紀にはキリスト教が普及する。ルーマニアでは聖アンドレがダキアにキリスト教を伝えたとされている。

271年、ローマ帝国はダキアを放棄すると共にゲルマン系の西ゴート族に移譲、西ゴート族支配下となる。378年からはフン族の西進によって西ゴート族かイベリア半島へと移り、その後のフン族の四散によってスラヴ系民族の移住が進み、更にブルガール人が1000年ごろまで支配した。このように異民族が侵入・支配が続くものの、ローマ人(ラテン民族)の特色は残った。

10世紀には、各地に小国がいくつか成立し始め、ワラキア、トランシルバニア、モルダヴィア3カ国に収斂されていく。そして、1054年の大シスマの時には、ルーマニアの3カ国は東方教会に組み込まれていくことになる。そして、このうちトランシルバニアは、早くからカトリックを奉じるハンガリー王国の支配下に入り、さらに、1310年にはアンジュー家、次いでハプスブルク家の支配を受けた。この地域がルーマニアに復帰するのは20世紀初頭の1918年である。残るワラキア、モルダヴィアは、13世紀にはタタール人に征服された。14世紀にはタタール人を退け、ワラキア公国とモルダヴィア公国が成立。しかし、周辺からハンガリー王国、ポーランド王国、オスマン帝国などの脅威にさらされ、1415年にはワラキア公国がオスマン帝国の宗主下に入った。なお、ワラキアでは吸血鬼や串刺し公と悪評されたヴラド・ツェペシュが、オスマン帝国と度々戦っている。彼は少なくとも現代のルーマニア人からは、オスマン帝国の侵略から守った英雄として捉えられている。一方モルダヴィア公国は、からくもオスマン帝国の支配から免れ、シュテファン大公の時代にはオスマン帝国を破ることもあったものの、16世紀には自治を条件にオスマン帝国の支配下におかれることになった。

1699年のカルロヴィッツ条約以降、この地域はオーストリア帝国とロシア帝国の影響を強く受けることになった。1821年、ギリシャ独立戦争の嚆矢としてトゥドル・ウラジミレスクによってワラキア蜂起が勃発したが、これはオスマン帝国によって鎮圧された。

19世紀にはロシアが占領したが、オスマン帝国の宗主下でワラキア、モルダヴィアの連合公国が成立。1859年にアレクサンドル・ヨアン・クザが両公国の公となり、1861年にルーマニア公国へと統合された。しかし保守貴族が反発しクザは退位させられた。1866年には新憲法が起章され、ドイツのホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家からカロル1世が迎えられた。カロル1世は国内の近代化を推進し、1877年の露土戦争に参戦。この年の5月9日に独立を宣言、オスマン帝国と独立戦争を展開、翌年のサン・ステファノ条約とベルリン協定で列強の承認をうけた。1881年には、カロル1世は国王に即位し、ルーマニア王国が樹立された。

第一次世界大戦では1916年8月27日に連合国側で参戦した。ルーマニア軍はトランシルヴァニア地方の併合を目指し...

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