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岩剣城 20170201 121801

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Published on Dec 28, 2017

岩剣城は鹿児島県姶良市平松にある中世城郭。標高210mの岩剣山頂にあり、山は剣の平とも呼ばれている。 島津義久、義弘、歳久の初陣の合戦が行われた城として、また、鉄砲が日本史上初めて実戦で使われた城として有名である。ただし、鉄砲についてはこれ以前に使用されていたとする異説もある。

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主。

築城年代は定かではないが祁答院良重によって築かれたと云われる。

天文23年(1554年)蒲生範清は祁答院氏等と連合して島津氏に叛き、島津方の肝付兼演の加治木城を攻撃した。島津氏は岩剱城を攻めることで加治木城に攻め寄せている蒲生方を牽制して肝付氏の救援を計った。この戦いで島津義久・義弘・歳久の三兄弟が揃って初陣を飾ることとなるが、島津忠良(日新斎)は、「三兄弟のうちの誰かが死なねば落ちまい」と語ったと伝えられる程の堅城であった。この戦いは激戦となって島津忠将が種子島を使い、岩剱城祁答院勢も種子島で応戦するなど日本ではじめて鉄砲を使用した本格的な戦いとなったという。加治木城に攻め寄せていた蒲生範清は岩剱城が取り囲まれた事を知ると加治木城の囲みを解いて岩剱城へ向かい、島津氏との激戦の末、祁答院良重の嫡子重経らが討死して蒲生氏は敗走、岩剱城に籠っていた残兵も夜陰に紛れて城を逃げ出し岩剱城は島津氏の手に落ち、その後は島津義弘が在番することとなり平松城を築いた。

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