1958年5月5日の「子どもの日」に、完成・除幕された、高さ9メートルのブロンズ像。
原爆投下後、10年もたった1955年の秋、ひとりの少女が亜急性リンパ腺白血病と闘いながらそぼう死亡し。幟町(のぼりまち)中1年生で12歳の佐々木禎子(さだこ)さん。
禎子さんの死に衝撃を受けた同級生たちが1956年1月28日、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と全国へ呼びかけた。
その輪は、ひとつのクラスの子どもたちから広島市すべての小・中・高校の児童・生徒へ、さらに全国の子どもたちにひろがり、その結果、全国3100校余りの生徒と、イギリスをはじめ世界9か国からの支援により遠く海外からも支援の手が差しのべらた。 その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しており、側面には少年と少女の2体の像が配されている。
また、内部につるされた鐘には、ノーベル物理学賞受賞者湯川秀樹の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られている(鐘と金色の鶴は、2003年)。
建立者は、広島平和をきずく児童・生徒の会。制作者は、菊池一雄東京芸術大学教授。
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