2003亞錦賽-中華隊vs中國隊-張誌家三振秀 Chih-chia Chang
亞洲棒球總會(BFA)所主辦的第廿二屆亞洲棒球錦標賽於2003/10/31(五)~2003/11/7(五)在日本北海道札幌市巨蛋棒球場舉行,也是亞錦賽史上首度在室內球場舉行。本屆具有參賽資格的為2001年第二十一屆亞錦賽前5名的國家(中華、韓國、日本、菲律賓、印尼)與2002年第五屆亞洲盃棒球賽前2名的球隊(中國、巴基斯坦)等7個國家參賽。本屆亞錦賽前兩名的球隊,可獲得2004年雅典奧運棒球賽的參賽權。
日本隊與中華隊順利拿下2004年雅典奧運棒球賽的資格。
決賽部份:
2003.11.05 -- 韓國(4) vs 臺灣(5) GAME 7 (十局)
2003.11.05 -- 日本(13) vs 中國(1) GAME 8
2003.11.06 -- 中國(1) vs 韓國(6) GAME 9
2003.11.07 -- 中國(1) vs 臺灣(3) GAME 11
2003.11.07 -- 日本(2) vs 韓國(0) GAME 12
張誌家(1980年5月6日—)本名張福欽,台灣台中市人,旅日棒球選手,原效力於日本職棒西武獅隊,守備位置為投手。天才型球員張誌家在手套上繡著「看三小」三個字,早期只有滑球跟曲球兩種球路,杜章偉教他變速球,蔡仲南教他指叉球,沒多久就投的出神入化。不過2004年及2005年球季表現極不理想,個性散漫的張誌家,體重從季末的八十三公斤胖到了九十公斤,整體表現不佳,遭到減薪,一度降到二軍。2006年9月30日,西武獅正式宣佈和張誌家解約。2007年加入世界盃棒球錦標賽中華隊以重新出發。
張誌家Chih-chia Chang
2001年に開催されたIBAFワールドカップ・3位決定戦で、日本代表を5安打完封して注目を集め、2002年に読売ジャイアンツとの争奪戦の末西武ライオンズに入団。公式には発表されていないものの、ベースボールマガジン社が発行するトレーディングカードの記述によれば10年契約であったという。入団1年目に10勝を挙げた他、国際大会では台湾代表として活躍。2003年に札幌ドームで行われたオリンピック予選で韓国、中国を抑えてアテネオリンピック出場を決めた。2004年のアテネオリンピックにも出場し、カナダとイタリア戦で先発した。しかしその後は、台湾チーム敗退後に日本に戻らずバカンスに興じていたこともあり、以後精彩を欠く事となってしまう。2005年は肩の故障もあり来日初の一軍出場試合なしに終わった。
復活を期した2006年のシーズンだったが、直球のMAXが130km/hを切るなど全盛期の球威が戻らず、2年続けての一軍登板なしに終わる。そして同年9月30日、契約期間を残したまま球団から翌年の契約を結ばないことが発表された。 2008年の5月に、La Newベアーズに入団。
台湾ではその傑出した才能から大きな注目を集め、テレビCM出演から歌手デビューまで果たすというアイドル的存在。しかしその実力の裏には幼少期からの厳しい指導による練習があり、彼の父親は厳父として「台湾版巨人の星」と比喩されるほどであるという。
なお背番号の99は、中国語の「久久」(永遠に)になぞらえて本人が希望した数字であり、長く野球をやりたいという気持ちが込められている。
希望中華健兒們可以早日恢復這麼好的身手
vul319610304 2 years ago 2