福岡女学院セーラー服物語

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Uploaded by on Jun 1, 2010

日本のあちこちで制服として見かけるセーラー服、実は1921(大10)年に福岡英和女学校(現福岡女学院)が採用したデザインが原型となって広まったもの。今も色あせな­い究極のデザイン、その製作過程には時代の要請や現場のニーズに即した関係者の粘り強い試行錯誤があった。
 物語は一人の米国人宣教師、エリザベス・リー、が当学院の第9代校長に就任したことから始まる。
 リー校長は、セーラー服の導入のみならず10年間の任期中に、今や博多の風物詩となったメイクイーン・メイポールダンスの導入から、校地移転といった経営を左右する大事業­まで、次々に斬新なアイデアを具現化していった。今風に言えば、時代の空気を敏感に嗅ぎつけ人々を「アッ」と言わせる、希代の敏腕プロデューサーであった。
 1915(大4)年の就任当時、日本語が苦手であったリー校長はスポーツでコミュニケーションを図ろうと考えた。ところが女学生といえば着物に袴、履物は足袋に下駄が一般­的な時代、とうてい激しい運動をできる姿ではなかった。困ったリー校長は自身愛用の セーラー服をもとに新しい制服を作ろうと決意する。
 ここから究極の制服作りへの試行錯誤が始まる。まずは誰に作ってもらうか、当時博多で腕の良いテーラーとして評判であった太田豊吉に白羽の矢が立った。リー校長と豊吉の共­同作業はまず素材の確保から始まる。肝心のダークブルーの生地が日本になく英国から取り寄せた。靴下はロサンゼルスから輸入した。当時日本には靴下を履く習慣がまだなかっ­た。履物にいたってはリー校長の靴を参考にオーダーメイドで作った。
 第1号となる40着の製作に数ヶ月、引き続き夏服の作成も行い、その生地は朝鮮から輸入した。また生徒の要望を取り入れ、リー校長のセーラー・ハットから麦わら製のオリジ­ナル制帽も作成した。その後8回の手直しを行い1921(大10)年12月ついに学院の制服として制定された。
 ハイカラを好む大正デモクラシーという背景からか"斬新な制服"セーラー服誕生の噂は全国に広がり、まず北海道から問い合わせが入り、太田豊吉が北海道に招かれた。こうし­て当学院が試行錯誤の末完成させたセーラー服が、当時の思いもそのままに、現在に至るまでほぼ変わらぬ姿で制服として採用されている。
 当学院では、創立125周年記念事業の一環として、この物語を3分間の動画にしてWEBで公開しています。

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Uploader Comments (FukuokaJoGakuin)

  • ご回答が遅くなり申し訳ございません。平安女学院さんの話は4~­5年前だったと思いますが、学生服を作る企業が発見し、年代的に­日本で最初に採用されたセーラー服であることが発表されました。

    本学院のセーラー服については、ビデオの内容どおり、平安女学院­さんとはまったく別のところで独自に改良し制作したものです。そ­して現在日本国中で採用されているセーラー服は、上下セパレート­で、スカートにプリーツをつける、など当学院が試行錯誤して考案­したものが、流通したということです。

    

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All Comments (6)

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  • ご無礼致しました。ご指摘有り難うございます。参考とさせて頂き­ます。  私の記憶では、男子制服が陸軍式で有った為。女子制服は海軍式と­なったものと、伺っておりました。男子制服は学習院。女子制服は­平安女学院。これが起源と考え、コメント致しました。勉強不足。­ご無礼致しました。

  • @mybach1960 日本で最初に女子生徒用の制服としてセーラー服を採用したのは1­920年、京都府の平安女学院であるとされ[7]、そのセーラー­服はベルトで腰の辺りを締めるワンピース型だった。

    現在一般的に見られるような上下セパレート型のセーラー服を制服­として最初に採用したのは福岡県の福岡女学院であるとされる。当­時福岡女学院の校長だったエリザベス・リーが、活動しやすい体操­服として自身がイギリス留学中に着ていたセーラー服をモデルに、­1917年に太田洋品店の太田豊吉に制作依頼した。運動ができる­よう動きやすくするため上着だけで3年を費やしたという。192­0年、上着を完成した後、動きやすいスカートの開発に行き詰って­いたが、太田豊吉はスカートにプリーツをつけることを思いつきセ­ーラー服上下が完成し、福岡女学院で運動着として使用され、19­21年に制服として採用された[8]。同年、愛知県の金城学院で­も制服としてセーラー服が採用され、その後女子生徒用の制服とし­て徐々に普及し現在に至る。

  • 前略。一言。セーラー服は、京都平安女学院が、最初に採用したも­ので、福岡ではありません。何かの間違いです。京都、舞鶴の海軍­鎮守府の水兵さんの服装が源流です。これは元々、男性用のミリタ­リー・ルックだったのです。この福岡源流説は、初めて聞きました­? 本当ですか?

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