1938年(昭和13年)6月発表。 日中戦争(満州事変、支那事変)も後半になってくると、それまでの二枚羽根の複葉飛行機から、全金属製単葉機が投入されて性能も一段とUPしてくる。中国国民党軍はソ連製のI-15戦闘機などを配備していたが、これは複葉機であった。1番の歌詞にみられる<赤蜻蛉>はこの敵機である複葉機を指していると思われる。
帝国海軍では九六式、帝国陸軍では九七式と呼ばれる飛行機が各々初めての全金属製単葉機であったようだ。九六式などの呼称は、紀元2600年(1940年=昭和15年)を起点として、2596年(昭和11年)製を九六式、2597年(昭和12年)製は九七式と呼ばれた。零戦は2600年(昭和15年)製なのでゼロ式と略称され、隼は2601年(昭和16年)製なので一式と呼ばれた。
「荒鷲」が特定の飛行機をさすのかどうかは定かでないが、恐らく、海軍の九六式艦上戦闘機、九六式陸上攻撃機、陸軍の九七式戦闘機、九七式重爆撃機あたりを指しているのではないだろうか、、、。赤蜻蛉とは違うぞ、という歌詞がそのあたりの気分を良く表していると思われる。2番の歌詞に<南京ぐらいはひとまたぎ>とあるので、これは重慶爆撃の様子を歌っている。3番歌詞の<金波銀波の海越えて>では、海軍機を想定させられるし、1番の歌詞<空の護りは引き受けた>や4番の歌詞<敵機はあらまし潰したが>は戦闘機を歌ってもいる。つまり、戦闘機、爆撃機の両方を讃えている歌のようである。
当時の航空兵力は、主として、陸軍は北支・満州、海軍は中支・南支をテリトリーにしていたようなので、重慶爆撃任務は主に海軍の九六式陸上攻撃機だったのかもしれない。
ちなみに、太平洋戦争になってからは、海軍・九六式の後継機であるゼロ式(零戦)、陸軍・九七式の後継機である一式(隼)が活躍した。
ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ~~!
南京くらいは一跨ぎ~~の部分が重慶ぐらいは一跨ぎ~ってのもあるみたいです。
essencebarrier 1 month ago
@essencebarrier 重慶は日本軍が蒋介石と戦った中国最奥地ですが、当時の爆撃機の航続距離だと、ちょっと苦しいのではないかと思いますから、一跨ぎとは言えなかったのではないでしょうか、、、、。
beni9jyaku 1 month ago
こんばんは この歌探してましたありがとうございます(^^)
karaokemasu 9 months ago
@karaokemasu さん、こんにちは。 お役に立てたとのこと、うれしいですね。今後とも、宜しく。
beni9jyaku 9 months ago
紅孔雀さんの歌の魅力に加えて、今回はとても詳しい解説。じっくり読ませていただきました。次のリクエストとして、「紀元は二千六百年」と、「九段の母」を希望します。
kyuurinoshiyaha 9 months ago
@kyuurinoshiyaha さん、こんにちは。”解説”には実は歌よりも時間が掛っています(小笑)。いい加減な事は書けないし、いろいろ調べた結果、解説に述べたような見解に至った次第です。
リクエスト曲ですが、そのうち、気が向いたらということで、、、。
beni9jyaku 9 months ago