福岡県宗像市の鎮国寺は、宗像大社の神宮寺として、唐から帰国したばかりの空海が806年に創建した密教寺院であるが、その境内には梵字岩と名付けられた岩がある。空海によってそこに彫り遺された梵字。わたしはその文字からこの寺の創建に秘められた縁起を解き明かした。そこには唐から請来したばかりの密教に、皇室の守護神「八幡神」を習合させることで強力な鎮護国家の修法を生み出し、八幡神と密教の仏たちの筑紫から畿内への神幸を実現しようとした空海の戦略が覗える。
空海にとって、密教東漸の国内スタート地点は宗像の地でなければならなかった。なぜならこの地こそ朝鮮半島から渡来した天孫族の日本上陸地点であり、ヤマトに向けての東征の起点であったからだ。唐から帰国したばかりの空海が四年という歳月をかけて行ったのは、ニギハヤヒら天孫族の東征ルートを辿り、古代の壮大なドラマを密教東漸の形で再現したものであろう。この四年間の空海の行動は殆ど歴史にも残っていない謎の期間ではあるが、日本の神々と習合する日本固有の古義真言密教を形成し醸成する期間として欠くべからざるものであり、空海にとって極めて活動的な期間であったに違いない。この神幸の要所に空海は寺院を建立し、密教の修法をもってして天孫族の聖地の鎮護安寧を祈願した。鎮国寺はそのような霊場のひとつであるが、神幸のスタート地点として極めて重要な役割を担ったといえる。
作家の司馬遼太郎氏はその著書「空海の風景」で、唐から帰国した空海が九州に一年間滞在したことについて、謎の空白の一年であるとかいている。今、その謎に答えることができる。
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