なは・あかつき ~ホームにて~
Loading...
7,353
Loading...
Top Comments
see all
All Comments (3)
-
昭和50年頃、母がまだ元気だった当時に母が長崎に帰省するのに
一緒によく乗りました。 大阪生まれの大阪育ちの私が、病気の母の住む長崎にきたのが
今から5年前。 当然不慣れな土地での仕事は大変不安でしたが、たまたま
あかつきの停車駅に住んでいたこともあり、20時くらいに
いつも聞こえる汽笛になぐさめられながらすごしていました。 慣れるまでは、”帰りたくないか?”に聞こえていた汽笛も、時と
ともに”いつでも帰れるぞ”になり、廃止になる時には生涯の
伴侶を得ることとなっていて、最後の汽笛は”もう大丈夫だね”
に聞こえました。 素敵なUPありがとう。 汽笛のタイミング、ぐっときました。
Loading...
最後のED76の汽笛で涙がでた・・。
乗った事も、撮った事も有る非常に思い出の詰まった列車でした。
hansin1000 3 years ago 5
関西で生まれ長崎で育った自分にとって、
あかつきは自分のルーツを結ぶ特別な列車。
それ故、人一倍思い入れが深く
廃止のショックはとても大きかったです。
素晴らしいPVをありがとう。
sonic885kt 2 years ago 2