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Uploaded by mami0388 on Mar 25, 2011
山本潤子さんによるカバー曲
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wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwまだやってやがるwwwwwwwwwww
sajadoru 1 week ago
@mami0388 お久しぶりです。今日は、今、ここ、ということについて、述べたいと思います。「葉隠」という書物のなかに、「端的只今の一念よりほかにはこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。ここに思いつき候へば、ほかに忙しきこともなく、求めることもなし。うんぬん」という一節があります。続いて、意訳すれば、「人は、ほかになにか、大切なものがあると思って、探すけれど、ここに気がつく人は、ない。この真意を理解して、実践することは、難しいが、一度その真理をつかめば、うんぬん。」主観的に、今、ここの思い以外には、なにもない、という認識は、比較的容易ではないかと思います。葉隠は武士道の書でありまして、今、ここの、この瞬間の思い以外には、武士道を極めることのできる道はない、といっているのであります。同様に、人が、幸福になろうとすれば、今、ここの、この瞬間の思いを、大切にするしかないはずであります。葉隠のこの一節は、日本で最も優れた言葉だと個人的には、思います。敗戦によって、日本人が接することが少なくなった書物ですが、海外では、非常に評価が高いです。人として生きるべき道を真剣に考えた、からこそです。
heitanoketu 1 week ago
@heitanoketu さん
ありがとうございました。
得たと・・・思います^^
mami0388 3 weeks ago
@mami0388 ありがとうございます。不幸なシステムを遮断するということを実行することは、困難であり、これを実行できれば、一応、悟りに近い状態となります。しかし、このシステムそのものと対決しなくては、片手落ちです。その方法は科学的な、アプローチにあります。科学とは客観的な事実の体系であります。事実の体系に感情は排除されます。ここを理解することによって、真に、失敗から学ぶ、ということが可能となります。かくして、過去の忌まわしい記憶は、たんなる過去の失敗の事実となり、現実の問題を解決する単なるデータのひとつにすぎないものとなるのであります。 基本的に私の主張は、心理的に、臭いものにふたをしろ、ということに終始していますが、負の感情的な色彩を、帯びた記憶を断ち切れ、ということがその骨子かもしれないですね。 実際の講義では、ここまで来るのに、数年を要するのですが、さまざまな、例を割愛していますので、このような、駆け足で、あなたが、なにがしかのものを得たのならば、幸いです。
heitanoketu 4 weeks ago
@heitanoketu さん^^
たくさん、、、ありがとうございました(^-^)
mami0388 1 month ago
@mami0388 ありがとうございます。今日は、人間に特有の誤った情報処理について考えます。動物にも好ましくない記憶によって構築された脳内のシステムがあります。しかし、動物には言葉がないので、このシステムを呼び出すことができません。動物がこれを使うのは、好ましくない状況に直面した時です。その動物は過去の記憶を走査し、逃げる、あるいは戦うという選択をし、それを命がけで実行します。これにより、莫大な負の心的エネルギーは、一気に解放されます。しかし、人間が現実に直面する厄介な問題は、逃げるか戦うかというような選択肢の埒外にあります。有効な解決策が見出されない時、人は、行動不能の金縛り状態となり、過去の同様の状況を検索しますが、当然、解決策は、ありません。この状況は、動物の場合と同様に、命を脅かす緊急事態と認識され、主体は、過去のあらゆる望ましくない記憶領域を、懸命に走査します。やはり有効な情報はありません。心理的な金縛りの状況に陥った人が直面している、莫大な負の心的エネルギーは解放されず、その力は、ただ、いたずらに、不幸な情報処理体系を強化するだけに費やされ、絶望的になるのであります。
heitanoketu 1 month ago
@heitanoketu さん^^
なるほど。。。
ありがとうございます。
@mami0388 お返事ありがとうございます。今日も駄弁を弄してみます。エビングハウスの忘却曲線というものがありまして、検索すればすぐ出てきますが、これは、復習すると物事を忘れないという当然のことが、数値的に把握できます。学生には、ぜひ理解してほしい事実です。しかし、わたしがいいたいのは、これを逆様にして見る、ということです。即ち、好ましくない記憶領域を繰り返して想起しない、というテクニックによって、人はより幸福になることができるのです。禅の方では、これを莫妄想と呼んでいますが、妄想するなし、と、日本語では読みます。つまり、自分が、不幸な情報処理体系の迷宮に迷いこんでいる、と感じたら、直ちにその思考を断ち切れ、という教えなのです。無念無想が云々などというのは、馬鹿な禅坊主のたわごとです。日常の中の小さな幸福や感動や成功の体験を大切にして、繰り返し思い起こすことにより、脳内の「幸福な情報処理体系」は確固としたシステムとなり、幸福なときをすごせます。また、現実に起こっている問題にも、過去のさまざまな成功体験によって構成されたシステムから、前向きで建設的な、解決策が選択できるのです。
いえいえ、素直というより知りたがりなのです^^;
年齢のせいですかね、、、(苦笑
いろいろとありがとうございました(ペコリ
@mami0388
あなたは、やさしいだけでなく、素直な方ですね。近来稀に見る教え子です。それでは図に乗って、情報処理体系と脳について、愚考してみましょう。脳内のひとつの情報処理体系とは、例えば、自転車に乗るための情報が統合されたものです。かなり複雑ですが、なんども自転車に乗った人は、なんの苦も無く自転車に乗ることが可能です。即ち、自転車に乗るための情報処理体系が確立しているのであります。何度も何度もこのシステム内に電流が流れ、確固としたシステムとなっているわけです。運動選手のイメージトレーニングというものがありますが、これは端的に言えば、成功体験の反復です。自らのファインプレイ、さらには、より優れた他の選手のパフォーマンスを、イメージの中で何度も何度も追体験するのです。脳内にファインプレイの情報処理体系を構築するわけです。このパラドックスが、不幸な人です。脳内にはさまざまな不幸な経験が記憶されていて、それは呪われた情報処理体系として存在しています。このシステムを頻繁に使うことによって、このシステムは、より強固なものとなり、人は救いようのない不幸な人間となるのであります。
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sajadoru 1 week ago
@mami0388 お久しぶりです。今日は、今、ここ、ということについて、述べたいと思います。「葉隠」という書物のなかに、「端的只今の一念よりほかにはこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。ここに思いつき候へば、ほかに忙しきこともなく、求めることもなし。うんぬん」という一節があります。続いて、意訳すれば、「人は、ほかになにか、大切なものがあると思って、探すけれど、ここに気がつく人は、ない。この真意を理解して、実践することは、難しいが、一度その真理をつかめば、うんぬん。」主観的に、今、ここの思い以外には、なにもない、という認識は、比較的容易ではないかと思います。葉隠は武士道の書でありまして、今、ここの、この瞬間の思い以外には、武士道を極めることのできる道はない、といっているのであります。同様に、人が、幸福になろうとすれば、今、ここの、この瞬間の思いを、大切にするしかないはずであります。葉隠のこの一節は、日本で最も優れた言葉だと個人的には、思います。敗戦によって、日本人が接することが少なくなった書物ですが、海外では、非常に評価が高いです。人として生きるべき道を真剣に考えた、からこそです。
heitanoketu 1 week ago
@heitanoketu さん
ありがとうございました。
得たと・・・思います^^
mami0388 3 weeks ago
@mami0388 ありがとうございます。不幸なシステムを遮断するということを実行することは、困難であり、これを実行できれば、一応、悟りに近い状態となります。しかし、このシステムそのものと対決しなくては、片手落ちです。その方法は科学的な、アプローチにあります。科学とは客観的な事実の体系であります。事実の体系に感情は排除されます。ここを理解することによって、真に、失敗から学ぶ、ということが可能となります。かくして、過去の忌まわしい記憶は、たんなる過去の失敗の事実となり、現実の問題を解決する単なるデータのひとつにすぎないものとなるのであります。 基本的に私の主張は、心理的に、臭いものにふたをしろ、ということに終始していますが、負の感情的な色彩を、帯びた記憶を断ち切れ、ということがその骨子かもしれないですね。 実際の講義では、ここまで来るのに、数年を要するのですが、さまざまな、例を割愛していますので、このような、駆け足で、あなたが、なにがしかのものを得たのならば、幸いです。
heitanoketu 4 weeks ago
@heitanoketu さん^^
たくさん、、、ありがとうございました(^-^)
mami0388 1 month ago
@mami0388 ありがとうございます。今日は、人間に特有の誤った情報処理について考えます。動物にも好ましくない記憶によって構築された脳内のシステムがあります。しかし、動物には言葉がないので、このシステムを呼び出すことができません。動物がこれを使うのは、好ましくない状況に直面した時です。その動物は過去の記憶を走査し、逃げる、あるいは戦うという選択をし、それを命がけで実行します。これにより、莫大な負の心的エネルギーは、一気に解放されます。しかし、人間が現実に直面する厄介な問題は、逃げるか戦うかというような選択肢の埒外にあります。有効な解決策が見出されない時、人は、行動不能の金縛り状態となり、過去の同様の状況を検索しますが、当然、解決策は、ありません。この状況は、動物の場合と同様に、命を脅かす緊急事態と認識され、主体は、過去のあらゆる望ましくない記憶領域を、懸命に走査します。やはり有効な情報はありません。心理的な金縛りの状況に陥った人が直面している、莫大な負の心的エネルギーは解放されず、その力は、ただ、いたずらに、不幸な情報処理体系を強化するだけに費やされ、絶望的になるのであります。
heitanoketu 1 month ago
@heitanoketu さん^^
なるほど。。。
ありがとうございます。
mami0388 1 month ago
@mami0388 お返事ありがとうございます。今日も駄弁を弄してみます。エビングハウスの忘却曲線というものがありまして、検索すればすぐ出てきますが、これは、復習すると物事を忘れないという当然のことが、数値的に把握できます。学生には、ぜひ理解してほしい事実です。しかし、わたしがいいたいのは、これを逆様にして見る、ということです。即ち、好ましくない記憶領域を繰り返して想起しない、というテクニックによって、人はより幸福になることができるのです。禅の方では、これを莫妄想と呼んでいますが、妄想するなし、と、日本語では読みます。つまり、自分が、不幸な情報処理体系の迷宮に迷いこんでいる、と感じたら、直ちにその思考を断ち切れ、という教えなのです。無念無想が云々などというのは、馬鹿な禅坊主のたわごとです。日常の中の小さな幸福や感動や成功の体験を大切にして、繰り返し思い起こすことにより、脳内の「幸福な情報処理体系」は確固としたシステムとなり、幸福なときをすごせます。また、現実に起こっている問題にも、過去のさまざまな成功体験によって構成されたシステムから、前向きで建設的な、解決策が選択できるのです。
heitanoketu 1 month ago
@heitanoketu さん^^
いえいえ、素直というより知りたがりなのです^^;
年齢のせいですかね、、、(苦笑
いろいろとありがとうございました(ペコリ
mami0388 1 month ago
@mami0388
あなたは、やさしいだけでなく、素直な方ですね。近来稀に見る教え子です。それでは図に乗って、情報処理体系と脳について、愚考してみましょう。脳内のひとつの情報処理体系とは、例えば、自転車に乗るための情報が統合されたものです。かなり複雑ですが、なんども自転車に乗った人は、なんの苦も無く自転車に乗ることが可能です。即ち、自転車に乗るための情報処理体系が確立しているのであります。何度も何度もこのシステム内に電流が流れ、確固としたシステムとなっているわけです。運動選手のイメージトレーニングというものがありますが、これは端的に言えば、成功体験の反復です。自らのファインプレイ、さらには、より優れた他の選手のパフォーマンスを、イメージの中で何度も何度も追体験するのです。脳内にファインプレイの情報処理体系を構築するわけです。このパラドックスが、不幸な人です。脳内にはさまざまな不幸な経験が記憶されていて、それは呪われた情報処理体系として存在しています。このシステムを頻繁に使うことによって、このシステムは、より強固なものとなり、人は救いようのない不幸な人間となるのであります。
heitanoketu 1 month ago