まだ「貧困」というものに対して、勉強が足りず、考えもまとまっていないので、何も書きたくはないのだが、単なる「遊び」でこのようなビデオを撮影したのではないということを示すために、今現在の感想だけは記しておくことにした。
わたしは若い頃、と云っても4,5年前のことだが、ミュージシャンになりたいと思っていた。ただ、困ったことに全国的に人気のある音楽はわたしにはまったく魅力的に聞こえなかった。つまり、その逆に、わたしが魅力があると感じていた音楽は、全国的なヒットは期待できないということだった。わたしは自分には「狩猟民族的な思考傾向」があるとずいぶん早くから気がついていた。が、当然、日本は農耕民族の社会なので、ほとんどの日本人とは分かり合えないのだろうかと絶望すら覚えていた。
或る時、全国的に人気のあるアーティーストのほとんどは地方出身である、ということに気がついた。そのころ、レストランで働いていたのだが、地方出身者の盲目的な仕事への意気込みには勝てないと思わされるような出来事が重なった。そんなとき、この動画に映っているような住居を目にして、彼らは「死にたいくらいに憧れて」この東京という街にやってきて、独り、寒い部屋で「いつかはやってやるぞ」という野心を胸に日々を生きているのだと、彼らの生活や心情を想像してみた。
それにひきかえ、わたしは東京育ちで、兄の家に居候させてもらい、非常に快適な生活を送っていた。これでは「売れる」はずがないと思った。何度も、近所のボロアパートに引っ越そうと考えた。が、わたしは一度も東京に対して憧れを抱いたことはない、ということを思い出した。むしろ、わたしは東京を憎んでさえいた。わたしが幼少期に味わった「東京」と云えば、町工場から聞こえてくる騒音と、流れてくる油の匂い。その油がアスファルトに浸み出て、雨の日などは、奇妙なメタリックな模様が水溜りに漂っていた。川も臭かった。このごろはずいぶんとマシになったが、子供の頃はひどかった。こんな薄汚い街に「死にたいほど憧れる」なんて、地方のヤツらは、気でも狂ったか、というのがわたしの正直な感想だった。いくら売れたいからといって、そんなわざとらしい行為(快適な生活を捨ててまでボロアパートに引っ越す)をしたからといって、何の意味もないだろう、と考え直した。
その後、いささか近代資本主義に懐疑的になり、「格差社会」に憤慨してみたり、「貧困問題」について考えてみたりした。
いちおう、今のところ分かったことは、ホームレスやドヤ街の住人は、必ずしも「まっとうな生活」に対して、戻りたいという気持ちは持っていない、まして彼らは裕福な生活に憧れてなどはいない、ということだ。もちろん、金がなくて苦しいときはうらやましい気持ちも起こるかもしれないが、むしろ、金持ちや「まっとうな生活」にしがみついている人々を軽蔑したり、憎んでいたりする。
「まっとうな世界」にとどまっている人間たちの、彼らを救い出してあげよう、などという考えはまったく愚かしい、ということだけはようやく分かった。それは彼らを見下して、蔑(さげす)んでいるにすぎない。彼らの視点に立たなくては、けっして解決方法は見出せない。カーネギーはこう云ったそうだ「みずからを助けようとしないものを、救うことは出来ない」と。
これは実に悩ましい状況だ。彼ら自身に、このままじゃいけないんだ、と奮起させられるようなことが、自然と起きないといけない、他の人がそのようなきっかけや状況を与えることはほとんど不可能に近い。
「格差」が問題ではなく、「格差の固定化」、「階級の流動性がない社会」が問題だと思う。
kyokuuseikenjuritsu 1 month ago
น่าอยู่ดีเหมือนกัน
bird9128 1 month ago
なんかワロタwwww
globinco 3 months ago
なにがしたかったの
この動画と説明つり合わない
IEEE6789 5 months ago
私はあなたに同意するものとします。
2014and2016Brazil 9 months ago