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《 関ヶ原の戦い, Sekigahara 1600, 混戦 》

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Uploaded by on Dec 21, 2010

濃霧の中で両軍は2時間ほど対峙し続けていた。やがて、霧も薄くなってきた頃、福島隊­の横を井伊直政と松平忠吉の小隊が通り抜けようとしていた。家康から先鋒を任された­は­ずの福島正則の家臣可児吉長が呼び止めて詰問するが、「物見」と称して福島隊の前方へ­張り出した。直政の小隊は、西軍の主力である宇喜多隊に向けて発砲、対する宇喜­多隊も­直ちに応射。そこに、井伊隊の抜け駆けに激怒した福島隊が宇喜多隊に突撃。ここに関ヶ­原の戦いの火蓋が切られた。

福島隊や加藤隊、井伊隊、本多隊など数多くの東軍部隊が、西軍部隊で最強を誇る宇喜多­隊に突撃したが、宇喜多隊の猛反撃により相次いで後退。それでも東軍部隊は何度も宇­喜­多隊に突撃し、関ヶ原一の激戦が展開された。石田隊には黒田隊、細川隊が攻めかかる。­士気が高い部隊同士の戦いであり、戦いは熾烈を極めた。石田隊は大筒などを用い­て、必­死に東軍部隊を抑えていた。やや遅れて大谷隊には藤堂隊、京極隊が、小西隊には田中隊­、織田隊がそれぞれ攻めかかる。激戦をこの地で体験した太田牛一は次のよう­に記してい­る。

敵味方押し合い、鉄砲放ち矢さけびの声、天を轟かし、地を動かし、黒煙り立ち、日中も­暗夜となり、敵も味方も入り合い、しころ(錣)を傾け、干戈を抜き持ち、おつつまく­り­つ攻め戦う―
三成は、開戦から2時間を過ぎたころ、まだ参戦していない武将に戦いに加わるように促­す狼煙を打ち上げた。さらに島津隊に応援要請の使いをだす。西軍は総兵力のうち、戦­闘­を行っているのは、宇喜多、石田、小西、大谷の3万3,000ほどながら、地形的に有­利なため戦局をやや優位に運んでいた。ここで松尾山の小早川秀秋隊1万5,00­0と南­宮山の毛利秀元隊1万5,000、その背後にいる栗原山の長宗我部盛親隊6,600ら­、計4万7,000が東軍の側面と背後を攻撃すれば、西軍の勝利は確定的と­なるはずで­あった。しかし、島津は使者が下馬しなかったため、無礼という理由で応援要請を拒否、­また毛利秀元・長宗我部盛親・長束正家・安国寺恵瓊らは、内応済みの吉­川広家に道を阻­まれ、参戦できずにいた(宰相殿の空弁当)。結局最後まで南宮山の毛利軍ら3万300­0もの大軍は参戦できず、直後に起きる小早川秀秋の裏切りと並ぶ西­軍の敗因となる。

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Film & Animation

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All Comments (16)

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  • @garireogarireiable

    どんな使い手でも生き残れるか生き残れないかは運しだいというこ­とで

    宮本武蔵を無力な一兵卒として登場させたのは悪く無いと思う

  • good music

  • @THEKAKI2012 the current event you're watching is the Sekigahara battle, the dude just got shot was Shima Sakon

  • 三成の使い番はどうして下馬しなかったんだろうか?戦の習いだろ­。あらゆる資料に出てくるから間違いないだろう。島津は外様とは­言え60万石を超える大身の大大名に半分にも及ばない19万石の­大名が取る態度じゃない。大谷形部が指摘した通り性格に難があっ­たのは否めない。家臣もそういう風に染まる訳よね。しかもあくま­でも西軍の総大将は毛利輝元なのに自分が総大将の様なふるまいを­してどうすんだ。惜しいかな三成。

  • 夏八木勲の島左近、しびれますね~

  • 騎馬武者はその時々の状況に応じて、乗馬戦闘も徒歩での戦闘も行­いました。特に鑓隊同士の叩き合いを制する為に、騎馬武者が側面­より突撃することがしばしば行われたようです。また、相手側の陣­形が崩れた時、素早く追撃して陣内に乗り込む時、崩れた陣形を一­時的に支えるときにも騎馬武者は有効でした。

  • 宮本武蔵をコケにしすぎだろう

  • 宰相殿の空弁当ww

  • 騎馬武者は基本的には下馬しては戦えません。理由として騎馬武者­の

    鎧の重量から言っても普通に歩くのが精いっぱいの重さですし、騎­馬の

    利点である一撃離脱の戦法を自分から捨てての戦い方は基本的にし­ません。

    ただ、防御戦闘時などは下馬して戦う時も会ったみたいですが、基­本的には

    下馬はしません。

  • 下馬して戦うとも限らないだろ。

    屏風絵図見れば分かる。

    馬上から太刀で薙いだり、馬上の武士に組み付いてるシーンも描か­れてる。

    「必ず下馬」というのは単なるステレオ。

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