毛越寺の大泉が池の遣り水周辺で毎年5月に曲水の宴(ごくすいのえん)が催される。今年も、5月24日、その祭は開催された。
一般には「きょくすいのえん」と言うが、毛越寺では、「ごくすいのえん」と読む。平安絵巻をそのまま宴にしたような祭りである。だがその起源は意外に新しい。
かつて毛越寺の東端に「円龍寺」(えんりゅうじ)という豪壮な伽藍があり、その南隣に「遣水(やりみず )」が掘られていた。この遺構が戦後、復元されたことを記念し、1983年から曲水の宴は、開催されたものだ。今年で二十六回目の宴となる。
「曲水の宴」の起源は、中国から伝わった優雅な宴だ。その精神は、書家で有名な王義之(おうぎし:307ー3 65?)の書「蘭亭序」(らんていじょ)にあるとされる。この宴では、遣り水に盃を乗せた羽觴(うしょう)を流し、歌人は手元にその杯が童子によって届けられるまでに短冊に和歌を認(したた)める習わしとなっている。
この宴をシンプルに表現すれば、まさに今この世に生きているを寿(ことほ)ぎ、詩を吟じ、酒を呑み、とことん人生を 楽しむことにある。あの昭和の流行歌で、黒澤明の名作「生きる」でも使われた「命短し恋せよ乙女」の歌心にも通じる。
この宴の余興として、毛越寺に伝わる延年の舞「若女」(じゃくじょ)が、寺の僧侶によって演じられた。この舞は、能楽発生以前の古い踊りの形式を今に伝える貴重な芸能である。他にも有名な「老女」や「田楽」などもあるが、「若女」は、曲水の宴に相応しい若々しく華やいだ舞である。
毛越寺には、09年5月24日のこの日、多くの人々が美しい平安絵巻を見ようと集まった。100年に一度と言われるような世界的な不況や新型インフルエンザが猛威を振るっている。
しかしこの日、毛越寺の遣り水周辺に集まった人々からは、そんな憂いは微塵も感じられなかった。一人一人、今生きているということは、半ば奇跡のようなものだ。
でも人間は必ず浄土世界へ往くということを宿命付けられている。だからこそ、この日、この時、生きてこの世にあることを寿ぎ、詩を吟じ、酒を酌み交わし、互いに生きているという有り難い事実を楽しむことが大切なのだ。
今年の宴で驚いたのは、最後に和歌を朗読(=披講;ひこう)する人物が若返ったことかもしれない。以前は一人で披講を行っていたが、今年からは講師(こうじ)と講頌(こうしょう)に分かれ、若返り、新世代となった。それぞれ近衛忠大氏(38)と坊城俊在氏だ。共に宮中歌会始披講会(きゅうちゅううたかいはじめひこうかい)に属し、四十代前後の若さである。ピンと伸びた背筋、長身の二人が着る衣冠(いかん)に束帯姿(そくたいすがた)は実に美しかった。
また毛越寺の僧侶の子どもたちで構成される童子たちの手慣れた動きは、この宴全体をいっそう爽やかなものにしていた。毛越寺に伝わる命を寿ぎ世の人に安寧な人生をもたらすという延年の精神は、こうして年々「曲水の宴」に昇華浸透し。新たな伝統が、新たな世代へと受け継がれていることを強く感じた。
最後に今年の宴で詠われた歌二首を記しておこう。
今年の「歌題」は、「土」(つち)だった。
悠久の文化の匂ひに惹かれつつ訪ねてゆかむ浄土庭園 敬子
先人の立ちたる土にわれもまた踏みて想いを次ぎに伝えん 源蔵
(佐藤弘弥記)
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