清王朝末期の『馬家堡時代(1897~1900)』に存在した中国北京最古の鉄道駅「馬家堡 (まぁじゃぷ) 駅」はどこにあったのか? これは、「まぁじゃぷ」を探し求め、その遺構を発見するまでの記録映像。構想から半年間、多くの調査をした結果を11分間に凝縮してみた。
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馬家堡に駅ができ、北京と天津が鉄道でつながったのが1897年の夏。その年の11月に起きたドイツによる山東半島占領事件は、玉突きのように列国の中国分割を誘発した。このとき立ち上がったのが、光緒皇帝自らによる上からの「戊戌の変法運動」であり、農民らによる下からの「反キリスト教主義の義和団運動」であった。この2つの改革運動の全てが頓挫した1900年夏、馬家堡駅もまた義和団の手によって炎上焼失し、その後の歴史から消え去った。それからの清国は去勢された馬のようにおとなしくなり、間もなく、大衆も清王朝を見限ることとなった。
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中国近代史において、馬家堡駅が旅客駅として使われていた時代(1897~1900)を『馬家堡時代』と呼ぶことにする。わずか3年間ではあったが、中国近代史の全てがここに凝縮されている。清国が自らによる改革の痛みに悲鳴をあげ、結局は挫折し絶望感に打ちひしがれた時代。当時の清王朝が馬家堡時代の改革運動の舵取りに成功していたなら、それ以降の中国の歴史は大きく変わっていたに違いない。辛亥革命も、共産主義革命も別な形になっていただろう。中国二千年の歴史を持つ「皇帝主義原理」が凍結されたまま今日に至り、「人民主権主義」がいまだに確固として確立できていない今日中国の原点。歴史を『馬家堡時代』まで遡ることによって、現在の中国の課題が見えてくる。
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『馬家堡時代』には、伊藤博文や袁世凱などの歴史の立役者たちが、地元民から「洋楼台」と当時呼ばれていた「馬家堡駅」を通過している。1900年夏の焼失で「洋灰台」と呼ばれるようになってから、いつしか中国の人々の記憶から忘れ去られた幻の馬家堡。消失した馬家堡を求めて現地に通い、ついにその遺構を発見するに至ったが、馬家堡という「時空の窓」を通して、あの時代の人々が繰り広げた血と汗と涙の壮大なロマンの一端を垣間見ることができただけでなく、今日中国の文化背景を理解することもできたように思う。
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幻の馬家堡 #1:Prologue は、(↓)こちら。
http://www.youtube.com/watch?v=yihLRVl5uqI
you didi a good job!
globetrottertpe 1 year ago
Thank you !
kyleyingtian 1 year ago
私は「蒼穹の昴」で中国清朝に興味を抱きました。まだまだ駆け出しというかミーハーというか微妙な立場ですが、いろいろ勉強したいと思い、この動画のたどり着きました。
とても、わかりやすく 面白かったです。
これからも(勝手に)期待しています!
GIYAMY 2 years ago
ありがとうございます。馬家堡のことをもっと調べて、このシリーズのエピローグを書きますので、でき上がったら是非ご覧ください。
kyleyingtian 2 years ago
xxxYeexxx15 2 years ago
コメントいただきありがとうございます。また、北京にいらしてください。
kyleyingtian 2 years ago