天津旧跡探訪(3回シリーズ)は、ナショナリズムの功罪について考える旅となった。
天津市内にある望海楼教堂は、木造レンガ2階建てのゴシック風建築で、第二次アヘン戦争(アロー戦争)後の1869年、フランスによって建てられ、「聖母得勝堂」と名づけられたカソリック教会。激動の中国史を見てきた旧跡である。
建築当時、抑圧された中国民衆の間に高まっていたナショナリズムの波によって、帝国覇権主義のシンボルとして2度の焼失という憂目に遭った。最初の受難は、1870年6月の天津教案事件の際で、教堂が焼かれ、フランス領事をはじめ教会関係者100人近くが殺害されるという惨事に発展した。1897年フランスは教堂を清朝政府からの賠償金で再建したが、1900年義和団運動の最中、教堂は再び焼かれた。そして1904年またもや賠償金を使って2度目の修復が行われたのである。愛国者の手によってこの教堂が焼かれるたびに、皮肉にも、天津の租界地は拡大していった。ときの清朝政府が大衆の高まるナショナリズムを利用するたびに、国家の弱体化は進んでいった。
1976年7月唐山大地震の被害にあったが、1983年に修復され今日に至っている。
望海楼教堂は、かっては民衆の間では帝国覇権主義のシンボルであったが、数々の受難を経た今日、愛国のシンボルとして大切に保存されている。
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