空蝉 さだまさし 夢供養
Top Comments
All Comments (24)
-
私も歳をとりこの曲を聴くたびに寂しくなります。
残りの人生は短く、この曲の主人公のような心境になるのでしょう
か。 -
minamico さんも書かれていますが、26歳の時点で書けるような詩というの
が今更ながらの驚嘆! 正直、この時期におけるさださんの詩の細やかさを感じてしまいま す。 -
供養か!二十三回忌は、済ました母親の!
-
さださんの詩は鉄道に関する詩も多いけど、この詩は一番好きです
。
-
還暦を過ぎ、C型肝炎治療の薬の副作用に苦しむ家内と二人で指宿
に住んでいます。 前妻との間にできた子供達とはほとんど行き来も無く、好き勝手に
暮らしてはいますが、家内の病が判った時、ぼちぼち仕舞い仕度を しなければならないのかなぁ、と思うようになりました。 終いの時を迎える時、子供に会いたいと思うのかしら・・・。
何れにしても、今の我輩には家内を大切にしてあげる事ぐらいしか
出来ません。 空蝉になっても見守って行ってやりたいと思っています。
同じ逝くなら、人生の空しさを自覚させられる前に逝きたいもので
す。 -
色々な論評はありますが、老夫婦のお迎えにだれかが来ると感じて
しまってならないのです。でもそれは家族なのか?天なのか?45 才、考えてしまう晩秋。 -
2010年の世相を暗示したかのようです。
車掌の言葉「とりあえず、もう汽車は来ません。今日の予定は終わ
りました」 叔父の行方がわからなくなりました。
病気を患ったのは知っていましたが、場所は解りません、
それなりの住処を見つけたようです。
夫婦仲良く小料理屋をやってるとおもってた、好きな叔父さんでし
た。 疎遠になってたのを気にかけてました。年に一度でいいから、
「飯食わしてよ、一杯飲ませてよ」って訪ねていっていたら、
こんなことはなかった、そう思うと・・・人の縁という紐の細さと
、 結び目の緩さに泪がにじむ、そんな気持ちです。
-
歌が終わった後の少し長めの曲の演奏は、悲しげな表情を浮かべて
帰っていく老夫婦を見送る駅員の激しい懊悩を表現しているように 聞こえる。最終便の終わりを告げた彼は果て明日の言い訳をどのよ うにすればいいのか深く思い悩む。心は石のように重い。息子の( あの世からの)お迎えを心待ちにしている夫婦の心を変えさせられ るものは何か。彼はまた明日という限られた時間の中で葛藤する・ ・・・。 -
この世界観を26才の青年が構築するというのは、彼の才能の「と
てつもなさ」をもってしても、それでもまだ「異様」だと思う。 当時ややナーバスに「さださん」はなっていたらしく「未来の自分
に向けた歌を書く」というプロジェクトを彼は実行し続けていたよ うだが、大量の感性を、とても圧縮された世界に流し込むことで、 このころの作品は生まれたのだろう。 そう考えると合点はつくと同時に、ものすごい「凄み」があると思
う。 -
この激しいエンディングの後に一瞬静寂が訪れ、「先生」って木根
川橋が始まる。 この配列の妙がこのアルバムの一つの聴きどころですね。
この歌で、都会から田舎に帰ってきました。22歳でした。いまは、育だてた子供3人とも家にはいなく、かみさんと8歳の犬と私だけです。
kakkiman 3 years ago 17
帰ってこないことがわかっているのにいつまでもいつまでも駅で息子を待ち続ける老夫婦。それをわかっていてかける駅員の優しいことばとその切なさ。もうこれは文学世界の哀感といっていいでしょう。傑作です。
tdragon9 2 years ago 15