中尊寺よ永遠なれ 金色堂で永遠を見た芭蕉

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Uploaded by on Sep 27, 2011

2011年9月19日、台風16号が迫っている中尊寺を参詣した。

この日で、あの3.11の大災害から、早半年の歳月が過ぎていることになる。

中尊寺に行くと、今にも泣きそうな鉛色の空から時々、雨が降っていた。金色堂に入ると、多くの人の感嘆のため息が聞こえてきた。文豪井上靖は、「平泉紀行」の中で、金色堂­を「黄金の小函(こばこ)」と呼んだ。誠に小さな建物だが、ここには永遠の命が息づいており、広大無辺な拡がりを持つ宇宙がある。芭蕉は、この金色堂に感嘆して、「五月雨­の降り残してや光堂」と詠んだ。

芭蕉の初稿は、「五月雨や年々降りて五百たび」だった。ここには、鞘堂(さやどう)の存在が、句の背後に見えている。初稿は「五百たび」など、やや説明的だ。そこから推敲­に推敲くり返し、本稿では、金色堂に五月雨が五百回もアタックしたが、ついにその威光の前に、そこを避けて雨を降らせたというニュアンスが伝わってくる。雨の神さまが、呆­れるほどの力が金色堂にはある。芭蕉をこのように思わせる金色堂の威光とは何なのか。それは中尊寺金色堂の一角を「終(つい)の住処」と決めて、生きるがごとく眠っている­藤原清衡三代)の御魂である。芭蕉は、紛れもなく、小さな堂内で金色堂の永遠なる魂に触れたのである。


不思議なことに、東日本大震災という未曾有の大災害から三ヶ月後、平泉はユネスコ世界遺産に登録された。平泉は、岩手・宮城・福島の中間地点に位置することもあり、災害復­興の象徴になり得ると言われている。

確かに今から900年近く前、平泉を開創した奥州藤原氏初代藤原清衡は、40年に及ぶ戦乱で亡くなった無数の人々や鳥獣から虫けらに至るまで、命半ばで不本意な死を遂げた­御霊を救おうとの願いをもって、この中尊寺を建立したのであった。

かつて、東北の原野に野ざらしとなっていた多くの御魂の救済を誓って建立された中尊寺が、今再び、東日本大震災からの復興の原動力になろうとしている。そのように思った。­(佐藤弘弥記)

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