書道 御物【伊都内親王願文】10 橘逸勢 ★★★★ 臨書 教秀

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Uploaded by on Jun 19, 2009

http://hm5771.blogspot.com/
橘 逸勢さま、ありがとうございます。
804年(延暦23年)、最澄さま・空海さまと共に遣唐使として唐に渡る。
承和7年但馬権守。
842年(承和9年)嵯峨上皇が没した2日後、皇太子恒貞親王の東国への移送を画策し謀反を企てているとの疑いで、伴健岑とともに逮捕された。両者は杖で打たれ続ける拷問­を受けたが、両者共に罪を認めなかった。ついには、仁明天皇より両者が謀反人であるとの詔勅が出され、健岑は隠岐(後に出雲国に移されたが経緯は不詳)に、逸勢は伊豆へ配­流。恒貞親王は皇太子を廃された(承和の変)。逸勢は伊豆への護送途中に、遠江板築(浜松市三ヶ日町本坂)で病没した(60余歳という)。このとき、逸勢の後を追っていた­娘は板築駅まできたときに父の死を知り、悲歎にくれた。その娘はその地に父を埋葬し、尼となり名を妙冲と改め、墓の近くに草庵を営み、菩提を弔い続けた。
死後、逸勢は罪を許され、853年には従四位下の位を贈られた。その際に逸勢の娘の孝行の話が都に伝わり賞賛された(『日本文徳天皇実録』)。ただし、嗣子の達保に関する­記述はない(系譜によると、逸勢の系統は孫の保昌、曾孫の直幹までの名が記されている)。
逸勢は、菅原道真・文屋宮田麻呂・早良親王・伊豫親王など不慮の死を遂げた人物と共に「八所御霊」として京都の上御霊神社と下御霊神社に祀られている。

【伊都内親王願文】(いとないしんのうがんもん)
桓武天皇の第8皇女伊都内親王が、生母藤原平子の遺言により、天長10年(833年)9月21日、山階寺東院西堂に香灯読経料として、墾田十六町余、荘一処、畠一丁を寄進­されたときの願文である。楮紙に行書で68行あり、末字に「伊都」の2字がある。朱で捺された内親王の手形が25箇所ある。

天長10年(833)9月21日 
September 21, 833   A calligraphy work of Hayanari Tathibana 
【宮内庁 所蔵】

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  • I thank for comment of the encouragement from the Netherlands.

  • Beautiful calligraphy ! Wonderful!

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