僕は針尾無線塔を間近で見るためにタクシーをチャーターしました。タクシー会社によると、ハウステンボスから針尾無線塔までは往復5000〜6000円といったところ。
佐世保市針尾地区はひとつの島になっています。無線塔はいろんな場所から見ることができます。3本の塔は正三角形に配置されているそうです。
佐世保は軍港として有名ですが、1945年8月の敗戦後は、外地からの引揚港に指定されました。浦頭(うらがしら)がそれに当たります。昭和25年4月までに軍関係者、民間人合わせて約140万人が浦頭を経由して、故郷に帰っていきました。
タクシーの運転手は「古い桟橋が残っている」と言って、案内してくれたのですが、既に撤去されていました。ここに限らず、古いものはどんどん失われていきますね。
近くには、浦頭引揚記念公園と資料館があります。資料館の方に話を伺うと、引き揚げ元は満州が、帰郷先は長野県が最も多かったそうです。当時、政府は満州は夢の土地のように宣伝していましたから、農村で苦しい生活をしていた方々が新天地を求めて、渡っていったわけです。
資料館にあるジオラマをみると、その航路が分かります。佐世保の湾は相当入り組んでいるのですが、引揚者は3本の針尾無線塔を見て、故郷に帰ってきたという思いを強くしたことでしょう。
つまり、針尾無線塔は1941年12月に開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ」の暗号を送るとともに、終戦、引揚のシンボルでもあったわけです。
ハウステンボスのシンボルタワー、ドムトールン展望台から臨む針尾無線塔の風景は「平和の窓」とも言われているそうです。ハウステンボス自体、引揚施設の跡地が利用されています。
無線塔の中に入ることはできませんが、畑の中にあり、近くまで見ることができます。下から見上げる130メートルの塔は大迫力です。
周囲は草木が鬱蒼と茂っていて、ヤブ蚊の羽音がよく聞こえました。夏の見学はあまりよろしくないようです。残念なことに、塔の地上部分には無数の落書きがありました。
針尾のような戦争遺産は、一時、「負の遺産」と言われていました。そういった施設の多くは「戦争の象徴」の側面と同時に、「平和の象徴」といった顔も持っていることが多いように思えます。
検見川送信所も、どちらかというと、戦争遺産のように見られていた節もあります。しかし、1930年には軍縮を記念した日本初の国際放送も手がけている。「戦争と平和」は表裏一体にも思えます。原子力もそうでしょう。広島、長崎に落とされた原爆のような使われ方もあれば、原子力発電所のような平和利用もあります(原発の危険性の論議はおいておいて)。どんな施設であれ、それを引き起こすのは人間の知恵次第ということです。
浦頭の引揚施設はほとんど取り壊され、かわって、モニュメントが建てられています。今や、無線塔だけが当時の施設といってもいいでしょう。
3本のコンクリート製のアンテナ塔は僕らに何かを語りかけているようです。
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