12 - 佐藤栄作訪米阻止・羽田空港闘争 - 1967
新人賞が決まる直前、私は、銀巴里の先輩、
工藤勉さんに誘われて彼のリサイタルにゲスト出演していた。
「さようなら」という歌を、このコンサートで、
うたったことを今でも異様なほど覚えている 。
そして忘れもしない銀巴里に出演していた67年10月8日の夜、
羽田近くの高速道路で学生が一人殺されたという
ニュースが飛び込んで来た。
直接の関係は何もなかったけれど、
私は気持ちを抑えることができなかった。
「死んだ京大生、山崎博昭くんに捧げます。」と
コメントして歌った「さようなら」。
途中からは涙があふれて、歌えなくなった 。
その時伴奏のピアノを弾いていた、エミール ・ステルンは、
私のあふれる涙を両腕で抱きとめるように
美しいピアノを弾きつづけてくれた。
何の迷いもなくそのピアノに身をゆだねた
数分の嵐を今も忘れることができない。
この羽田事件は、68年の佐世保闘争へ、
世の中を大きくゆさぶる導火線となった。
そして私の人生の流れを帰る大きな伏線でも あった。
もちろん、その時には知るよしもないけれど ......。
加藤登紀子「歌い綴る自分史 - 12 - "卒業"」
http://www.tokiko.com/poet/jibunshi/jibunshi_12.html
暴力は時に必要だ
現代の日本人にもこれだけの勢いがほしものだ
PINKKAPSEL 4 days ago
焼身自殺する人もいたのか
yu0421 2 months ago
0:35 山崎さんが亡くなった原因は、学生が轢いたのではない。と、今も信じている。
jhonibeer 6 months ago
もっと他にすることあるだろ暇人ども
auauau1919 7 months ago
団塊の世代は意味が解らない
kddi001kddi 11 months ago
こんな方法しかなかったのかな。
dadacha 1 year ago