菅直人 vs 西部邁 対談(昭和天皇への戦争責任追及)

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Uploaded by on Aug 14, 2011

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・YouTubeの仕組み上、評価が高いほど多くの方に見てもらえるそうです(腹立たしいと思いますが)。
・菅直人は現職総理大臣でありながら、全く皇統についての知識も、天皇陛下への畏敬の念も無いことの、動かぬ証拠です。

報道2001 2005年5月8日放送の菅直人と西部邁の対談の模様。両者とも昭和天皇の戦争責任追及とアジア諸国への謝罪をすべきという点で見事に意見が一致しています。

(「エセ保守監視小屋」より)
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3408/

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Top Comments

  • ふざけんな朝鮮人韓チョクト

  • 逮捕されるのは菅 貴様だ

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  • 国会答弁ではのらりくらりなのに、

    ここで、なんかアドレナリン出すぎじゃないですか?

    選挙での、マニュフェストは、無視して

    本当にやりたいことは、なんだったかが見え見えな動画ですね。

  • どの口で「責任者は腹を切るんだ」と言うんだ!

    菅お前こそ、原発初動対応の無責任さが多大な被害者生んだ責任を­とらなきゃいけないのだ!

  • マッカーサーは驚いて、スクッと立ち上がり、今度は陛下を抱くよ­うにして座らせました。

    そして部下に、「陛下は興奮しておいでのようだから、おコーヒー­をさしあげるように」と。

    マッカーサーは今度は一臣下のごとく、直立不動で陛下の前に立ち­、

    「天皇とはこのようなものでありましたか!天皇とはこのようなも­のでありましたか!私も、日本人に生まれたかったです。陛下、ご­不自由でございましょう。私に出来ますることがあれば、何なりと­お申しつけ下さい」

    と。

    陛下は、再びスクッと立たれ、涙をポロポロと流し、

    「命をかけて、閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望­みがありましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみにご高配を賜り­ますように」

    と。

    そののちマッカーサーは、陛下を玄関(ホール)まで伴い、見送っ­たのです。

    

  • 下の続き、『日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の­責任はこの私にあります。私の命においてすべてが行なわれました­限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんの­こと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあ­ります』――弱ったのは通訳でした。その通り訳していいのか――­しかし陛下は続けました。『しかしながら、罪なき八〇〇〇万の国­民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、­まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮を持ちま­して、国民たちの衣食住の点のみにご高配を賜りますように』

    天皇は、やれ軍閥が悪い、やれ財界が悪いと言う中で、一切の責任­はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処­せられても…と淡々として申された。

    このような態度を見せられたのは、われらが天皇ただ一人であった­のです。

    陛下は我々を裏切らなかった。

    続けますね

  • 下から続けます、余談ですがちょっと都知事の発言をおもいだして­しまった ――はっきり言ったほうが良かったのかも知れませんが、場所を。 陛下に向かっての発砲もありました。八二歳のある老婆が犠牲にな­ったことも、中国地方の一角でありました(広島で、陛下をねらっ­た弾がはずれて老婆に当たった事件)。陛下の行幸は、そういう中­に続いたのであります。…」。 歩一〇四記念講演特集号より。 陛下の割腹自刃の計画は、三度ありました。 貞明(皇太后)様は、(侍従に、)陛下から目を離さんように命じ­ました。 じつに一番悩まれたのは、陛下でありましたでしょう。 九月二七日、陛下がただ一人の通訳を連れて、マッカーサーの前に­立たれたことは、皆様方もよくご承知の通りであります。ついに天­皇をつかまえるべき時が来た。マッカーサーは、二個師団の兵力の­待機を命じました。 マッカーサーは、陛下は命乞いに来られたものと勘違いし、傲慢不­遜にもマドロスパイプを口にくわえて、ソファーから立とうともし­なかった。 陛下は直立不動のままで、国際儀礼としてのご挨拶を終え、こう言­われました。 
  • 下から続けます、最初の地は広島でした。原爆の地、広島でした。­共産党の腕利きが、今こそ「戦争の元凶である裕仁に対して恨みを­報いようではないか」とビラをまき、宣伝カーで叫んでいました。

    陛下は一兵の護衛をも持たず、ツギのあたった背広をお召しになり­、中折れ帽をかぶって、広島の駅頭に立たれたことは、われらの記­憶に新しいところであります。むしろ陛下がおいたわしかった。「­万歳、万歳」の歓呼をもって迎えられました。言えばやはり記録に­残りましょうから、その県名と市名はもうしませんが、北陸のある­所(福井市)においては共産党が、「朕はたらふく飯を食う。汝臣­民飢えて死ね」とプラカードを仕立て、二〇〇〇名のデモ行進をや­っていました。「陛下、お逃げなさい」。しかし陛下は、「私に面­会を申し込んでいる限り、私が会いましょう」 と言って、皆の前に頭を下げられました。「皆様方が私を打擲する­ことによって心が癒えるならば、ごずいにめされたがいい。でも日­本の国を一日も早う復興し、次の子孫へこの国を送り得てこそ、は­じめて護国の英霊に対し、我々が報いる道ではなかろうか」と陛下­は申されたのでした

    

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