2007年1月29日。
長年の友が突然死ぬ。
葬式が終わってもなにか実感が湧かない。
ひょっとして、ひょっこり戻ってくるんじゃないかと。
そのような思いが消えない。
実感が湧いて来たのは、、
毎年何気なく行われていた、
恒例の近所の小さな公園の桜の木の下での、
2007年春の花見がなかった時に、
【なるほど、もういなんだな・・】としみじみと実感した。
満開の辺りが毎年誕生日なので、
その付近になると友から、
ふらりと、
「あの桜も待っている頃なので、今年も一杯やりますかい」と連絡が来ていた。
それが、なくなったとき、
【なるほど、もう会えないんだな・・】つくづくと実感した。
毎年2人で見ていた桜の下で1人になる。
悲しみが生じる。
なぜ悲しみが生じるのか?考えてみる。
桜を見る。
今は満開だが、間もなく散る。
咲いたら、散る。
咲いたら嬉しい、散ったら悲しい。
咲いてなかったら、悲しくない。
桜が好きだから、散ったら悲しい。
桜が嫌いなら、散っても悲しくない。
愛していたから(友情)、悲しみが生じる。
愛していなかったら、悲しみは生じない。
咲いたら、いつか、散る。
生まれたら、いつか、死ぬ。
などの比喩が起こる。
このルールには逆らえないなぁ、と思う。
死はずっと遠い日の出来事と思っていた。
が、
【いつか確実に死ぬ、いつ死ぬかは不確実】
後ろの考えが付いた。
そして、その不確実度は年齢が増す毎に上がっていくのだろう。
などと、思っていた2007年春の桜。
大切な人が死ぬと、それまでと世界の観方が大幅に変わる。
それまでは気にも留めていなかった、
いろいろな、それぞれの、
【縁】【つながり】がよーく見えるようになってしまう。
ひとつひとつの縁と偶然は、思いがけない形で、つながっているようだ。
【或ること、或ること、或ること】がつながると【有る】に成る。
【有るのが難しい】
つながりがはっきりと見渡せた時、
【有り難い】と思うのかもしれない。
【有り難い】という言葉に身が入った。
【出逢った】という事だけでなく、【出逢わなかった】という視点からも眺められると気付く。
【逢う】のも難しいが、【合う】のも難しいと気付く。
多様な人がいる中で、【気が合う】人はそんなに出来るわけではない。
【幸せ】が【仕合わせ】とも書く理由がなんとなく分かった気がした。
2007春桜から1年後。
2008年春桜。
誕生日。
生まれた日。
自分の力で呼吸し始めた日。
自分の目で世界を見始めた日。
時折、風が吹き抜ける。
桜の花びらが、
ひらひら、はらはら、と、
綾織りのように、斜めに美しく軌跡を描きながら、
舞い落ちてくる。
桜のほのかな香りが、昔の記憶を一斉に呼び覚ます。
カクテルのモスコミュールの匂いがなぜか思い出される。
そーいや、初めて酒を覚えたのもここだったな・・
などと思い出す。
記憶も満開になった感じになる。
なぜだろうか?
【匂いによって想起される記憶は他の感覚器からの刺激に比べ、より情動的な反応を引き起こす】
なんてデータがあった事も思いだす。
確かに。間違いない。
手をかざしていたら、花びらが1枚ちょうど掌に乗る。
それを眺めていたら不思議な気持ちに成る。
言葉というより、図というようなイメージが浮かんでいた。
間間間間間間間間間間間間間間間間間
間宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙間
間宙間間間間間間間間間間間間間宙間
間宙間世世世世世世世世世世世間宙間
間宙間世間間間間間間間間間世間宙間
間宙間世間仲仲仲仲仲仲仲間世間宙間
間宙間世間仲間間間間間仲間世間宙間
間宙間世間仲間人人人間仲間世間宙間
間宙間世間仲間人間人間仲間世間宙間
間宙間世間仲間人人人間仲間世間宙間
間宙間世間仲間間間間間仲間世間宙間
間宙間世間仲仲仲仲仲仲仲間世間宙間
間宙間世間間間間間間間間間世間宙間
間宙間世世世世世世世世世世世間宙間
間宙間間間間間間間間間間間間間宙間
間宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙宙間
間間間間間間間間間間間間間間間間間
2007年は【縁】を感じる事が多かったので、
2008年は【間】に成ったのだろうか?
自分で描いていながら、何かはうまく説明が出来ないようだ。
そんなイメージが思い浮かびながら、
2004年8月29日に、
礼文島ゴロタ岬で朝日が昇るのを眺めながら、
想曲した【空】という曲が思い浮かぶ。
人間⇔Live⇔動と静
仲間⇔Love⇔愛と悲
世間⇔Luck⇔逢と離
宙間⇔Life⇔生と死
人間で有ること。
仲間と居ること。
世間に要ること。
宙間が在ること。
自分でも解釈出来ない不思議な事を思っていた、
2008年春桜の下。
自分でも解釈出来ない不思議な事を思っていた、
2008年春桜の下。
嬉し涙でもない、悲し涙でもない、
不思議な涙が自然と出た。
All Comments