三菱重工業、日本車輌製造の手により計33両が改造された。本形式はD51形の改造名義ではあるが、流用したのはボイラーと一部の部品のみ。更に、主に改造に回されたのは太平洋戦争末期に製造された品質が悪い車両で、中にはボイラーをも新造したものへの交換等、実質的に新造に近い車両もあった。走行部はC57形をベースに設計されているが、従輪を2軸台車とした2C2型の「ハドソン」と呼ばれる車軸配置となっている。
C61形と同時に改造が進められていたC62形は途中労働争議のため完成が遅れ、先にC61形が完成したため日本初のハドソン機は本形式となった。
また、当時は石炭の質が非常に悪かったため、パワーを出し切るには大量の石炭が必要であった。そこで、機関助士の労力を軽減するため、日本の機関車としては初めて自動給炭装置(メカニカルストーカー)を採用した。
C62形同様、動輪上軸重を軽減できるようになっており、電化が進展した場合は、C58形等が運用されている丙線区への転用を考慮していたが、気動車の増備が進んだこと等もあり、実際に軸重軽減工事が施工されることはなかった。
使用機材:Panasonic HDC-TM30
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