昭和32年から33年にかけてヒットした、昭和を代表する歌の1曲。
もとは有楽町そごう(平成12年閉店)開店の際の宣伝曲として制作。当初三浦洸一の歌唱で計画されていたそうですが、吉田正からの強い要望でフランク永井が歌うことになったと伝えられています。
この歌のヒットによってフランク永井は昭和歌謡史に名の残る大歌手への道を歩み始め、そして歌の舞台となった有楽町は一躍都会派の街として知られるようになり、そごうもデートコースや待ち合わせ場所として使われるなど、若者が集うような街となりました。
2000年9月の有楽町そごうが閉店した際にはBGMとしてこの歌が流されたということです。
2008年に有楽町マリオン(旧・日劇跡地)前に歌碑が立てられてました。そこにはフランク永井の訃報が流れてから数ヶ月間、献花が絶えず行われていたというエピソードが伝えられています。
低音色気ありすぎやろ
poriporitakuan 1 month ago
無念で堪りません。
生きていて欲しかった。
konkonsamanookokoro 2 months ago
フランク永井氏のファンであり村下孝蔵氏のファンでもあるという人のコメントから此方に辿りつきました。精神的に幼稚な田舎暮らしにはお洒落で優美なフランクさんの歌など常に遠い夢のような世界でありましたが当時は意味もよく理解しないままこの曲などよく口ずさんでいたような記憶があります。
波乱万丈だった人生も彼の実直さ故、実に立派な潔い生き様だったと思います。画像の笑顔を見ているとやさしく温かい雰囲気が故村下氏とよく似ているように思えて切ない気持ちになりました。
fuumin232323 2 months ago
思い出します、有楽町のガード下。
ネオンサインの灯りと共に、時代が過ぎていきました。
sositeima 3 months ago
45歳の私でも、懐かしいと言うよりは、年配の方が唄っていた曲だと記憶しています。
8トラのカラオケが主流だった時代には、よく聴いた曲でもありました。
名曲ですね。
ただ、この名曲を知っている年代の方が、YouTubeに縁遠いのも悲しい事実です。
私の世代が終わっても、歌い継がれる事を望みたいですね。
kurenai4114 4 months ago
フランク永井さん
時間をありがとう!
soredemoyaruka 6 months ago
この歌には時代の匂いがあります。
あの頃の有楽町駅。最高のムードな駅でした。
ガード下の匂いが今も漂ってきます。
konkonsamanookokoro 7 months ago
なんであんなことになってしまったんだろう!?
実に無念で、残念であります。
時代が走馬灯のように流れ、この歌には匂いがあります。
その日を過ごした時々の。。。
soredemoyaruka 8 months ago
”有楽町で逢いましょう”がフランク永井さんをBIGにしたdebut曲なら、私もこの詩とともに世にでました、仕事中でも”ミレド、ミレド、レシドラ”と楽譜を口ずさみ当時不安な自分を確立したものです、また東京転勤時は有楽町そごうに行っては 感慨に浸り、そしてフランクさんの訃報を2009年春購入の本PCで知らされまた、悲しいですね、しかしフランクさんの歌声はいつも我耳に聞こえて途絶えることはありません、
sakashitabudda 11 months ago