1961年から1989年の間に存在した東ドイツ(東ベルリンを含む)と西ベルリンを隔てる壁。東ドイツが建設した。
第二次世界大戦後、ドイツは米・英・仏占領地域を基礎とする資本主義体制を採った西ドイツとソ連占領地域を基礎とする共産主義体制を採った東ドイツに分断した。
ベルリンは都市自体が米英仏ソによって分割占領されたが米英仏の占領地域たる西ベルリンは周囲を全て東ドイツに囲まれた「赤い海に浮かぶ自由の島」となってしまったことで東ドイツ住民の西ベルリンへの逃亡が相次いだ。
住民流出に危機感を抱いたソ連及び東ドイツ政府は住民流出を防止するために壁を構築した。
壁は両ドイツ国境の直上ではなく、すべて東ドイツ領内に建設されていた。同一都市内に壁が建設されたのはベルリンとメドラロイト (Mödlareuth) だけであった。
冷戦時代の象徴、そしてドイツ分断の象徴とも言われたが、1989年のいわゆる「ベルリンの壁崩壊」以降破壊され、一部が記念碑的に残されている以外現存しない。
1963年6月26日、西ベルリンを訪問したアメリカ大統領ジョン・F・ケネディは有名な「'Ich bin ein Berliner' 私はベルリン市民である」の演説を行った。この中で大統領は「すべての自由な人間は、どこに住んでいようと、ベルリンの市民である」と語り、これはドイツの戦後史での名セリフとしてドイツ国民に長く記憶されることになった。
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この映像は、ClipCastを利用して編集されました
アメリカ野郎は、ドイツまで占拠してたのか。
イタリアにも米軍いるね、ドイツは壁崩壊後しばらくして米軍の削減に成功したよね。今はどうなってるのだろう(忘れてました)
teas781 9 months ago
閉じ込めたのが壁の内側の住人ではなく、外側の住人であるというのがベルリンの奇異なところでしたが・・・なにはともあれ冷戦の象徴です。
asakazefuji 2 years ago 2