湊川の戦い(みなとがわのたたかい)は、南北朝時代の1336年7月4日((建武3年)5月25日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。
背景 [編集]この年の初め、足利尊氏は新田義貞・楠木正成・北畠顕家らに敗れて京都を追われ九州へ落ち延びていた。ここで、正成が後醍醐天皇に、状況が宮方に有利な今のうちに足利方と和睦する事を進言するが、後醍醐はこれを退け、義貞を総大将とする尊氏追討の軍を西国へ向けて派遣した。なお、正成は和睦を進言した事で朝廷の不信を買い、この追討軍からは外され、国許での謹慎を命じられた。
義貞は播磨国の白旗城に篭城する足利方の赤松則村(円心)を攻めている間に時間を空費し、この間に尊氏は多々良浜の戦いで九州を制覇して体制を立て直すと、京都奪還をめざして東進をはじめた。尊氏は高師直らと博多を発ち、備後国の鞆津を経て、四国で細川氏・土岐氏・河野氏らの率いる船隊と合流して海路を東進した。
尊氏軍の東上に遭い、撤退を始めた新田軍に赤松勢が追撃を仕掛け、新田軍は大量の寝返りや足利軍への投降者を出しながら敗走した。一気に陣営がやせ細ってしまった義貞は、兵庫まで兵を退いて体制の立て直しを図った。
何、この字幕は?
kaitounezumi 4 months ago
@kaitounezumi 中国語, 見てくれてありがとう
zentube1 4 months ago