1945年3月19日、F6F、F4U、SB2Cから編成された米艦上機160機に対し紫電改及び紫電54機が迎撃し、57機撃墜という大戦果を報じた。なお米軍側の記録における343空と交戦したと思われる部隊の損失は、空戦による被撃墜8機、帰還途中の墜落・不時着が計2機、損傷しつつ帰還できたものの廃棄処分となった4機と判明している確実な数値としては総計14機であった[4]。一方米軍側は撃墜50機を報じたが、実際の343空側の損害は偵察機彩雲1機を含む被撃墜15機、地上での被撃破5機と同様に戦果を過大に誤認していた。 現実には互角(戦力差を考えると日本側の勝利)の過大な戦果報告ではあったが、損害を伏せた「57機撃墜」の報は圧倒的多数の米軍機に苦杯を飲まされていた日本戦闘機隊にとって吉報となった。なお、このときの空戦で未帰還となった彩雲のうち1機は、高知県津野町の上空において敵機に体当たりを試み自爆したものである.
※映像に出てくるF4F・F8Fは、当時飛来してませんし、当時海軍が使用してた落下傘は、以下のとおりです。
1. 八九式二型座席型落下傘
2. 九七式二型座席型落下傘
3. 零式二型座席型落下傘
映像に登場する米軍機及び落下傘は他の画像を個人的に流用したもので事実とは異なります。
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