kyusakanoueの昭和上方漫才③
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もう一つ追加。道頓堀の5座の一番東に朝日座がありました(もと
は弁天座だそうです)。今の文楽劇場に近くです。そこではよく浪 曲の興業がありました。いわゆる浪花節です。先代の京山幸枝若さ んは名人でしたね。フラワーショウのゆりさんは妹のはずです。 ちなみに浪花節語りと講談師は師匠ではなく先生です。落語のくっ
しゃみ講釈を思い出します。 -
最後に千日劇場について。ここは千土地興業の経営で、啓介・唄子
、米朝、アヒル艦隊、タイヘイトリオなどが所属のはずです。もと もと歌舞伎座があり、その跡地を千日デパートとなり、火事になっ てプランタン、今はビッグカメラです。劇場は元は地下だったそう ですが上層階へ移転しました。有名な林屋トミさんが下座をつとめ ていたようです。 -
演芸場では私は戎橋松竹は知りません。戎松はこないだ閉館した難
波の新歌舞伎座の裏手で千日前通り沿いだそうです(今の近鉄ビル のところ)。バラックの2階建てだったようです。捨丸師匠はどど いつで「私の心はバラックの屋根よ・瓦無いのをみておくれ」とよ く歌っていましたね。 -
へー、コマモダン寄席って梅田にあったんですね。
新花月、やじが多かったそうで。
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一番よく通ったのは心斎橋「日立ホール」です(後の2丁目劇場です)。ここでは公開録画(録音)をやっていました。ラジオの夫婦善哉の公録で、ちゃんと蝶々・雄治さんの両方がでてました。最後は蝶々さんだけでした。前説がABCの今井音也アナでした。今井アナがその後当時小米の枝雀師匠に弟子入りし桂音也になったのにはびっくりしました。
RCA77DX 2 years ago
音也さんて、あの廃業してまもなく亡くなったあのひとですか?アナウンサーだったんですか。
kyusakanoue 2 years ago
新世界の新花月はジャンジャン横丁の中にありました。通天閣のそばで、仕事にあぶれた西成の日雇い労働者が朝から酔っぱらって入場することがあり、今は爆笑落語ですが当時は若手の笑福亭福笑が全然受けませんでしたが、派手な音曲のジョウサンズやフラワーショウは大受けでした。
RCA77DX 2 years ago
フラワーショウも浪花座とか角座であればもっと実力発揮したかもしれんけど、新花月でもやってたんですね。
ラッパ・日佐丸とか末子・千代八さんはどうだったんで?
kyusakanoue 2 years ago
字数が足りません(その2です)
上方の演芸場の一番は角座でしょう。捨丸・春代、ダイラケ、伸ハワイ、左近ショウ、かしましなどがトリ、落語は6代目や3代目、中堅若手は、小円栄子、柳柳、はんけん、レッツゴなど。女流ではフラワーシヨウ、ちゃっきり娘、講談の南陵、手品の北京といったところ、末子千代八や松葉屋奴などの大師匠も見かけました
RCA77DX 2 years ago
はー、春団治さんに松鶴さん、若手ながらもさすがですねぇ。
えっ!小円・栄子って中堅レベルなんですか!?おどろきです。
松葉家奴師匠、魚釣りの踊りが見たいのですがどっかに無いですかねぇ・・・・・。きっと「夕暮」に合わせて踊る踊りは絶品だったでしょう・・・・。
kyusakanoue 2 years ago