歎異抄 第3章/有名な悪人正機を言われたもの:原文と現代語訳の朗読

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Uploaded by on Dec 2, 2008

『朗読DVDブック 歎異抄をひらく』(高森顕徹/鈴木弘子)のサンプルビデオ。1万年堂出版

http://www.10000nen.com/?p=616



|原文|
 善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。しかるを世の人つねにいわく、「悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」。この条、一旦そのいわれあるに似たれども、本願­他力の意趣に背けり。
 そのゆえは、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力の心をひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を­遂ぐるなり。
 煩悩具足の我らはいずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみたまいて願をおこしたまう本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往­生の正因なり。
 よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人は、と仰せ候いき。

|意訳|
 善人でさえ浄土へ生まれることができる、ましてや悪人は、なおさらだ。
 それなのに世の人は、つねに言う。
 悪人でさえ浄土へ往けるのだ、ましてや善人は、なおさら往ける。
 このような考えは、一見もっともらしく思えるが、弥陀が本願を建立された趣旨に反するのである。
 なぜかと言えば、阿弥陀如来は、すべての人は、「煩悩の塊」であり、助かる縁なき極悪人と見ぬかれて、「我にまかせよ、必ず救う」と誓われているからだ。
 それなのに〝自分の励む善で生死の一大事を解決できる〟と自惚れている善人は、極悪人と見極められて建てられた本願を疑っているから、全幅、弥陀にまかせる心がない。ゆえ­に「弥陀の本願にあらず」。本願の対象とはならないのである。
 だがそんな人でも、弥陀の徹見通りの自己に驚き、生死の一大事は弥陀にうちまかせて、浄土へ往けるのである。
 煩悩にまみれ、どのような行を励むとも、到底、生死の迷いを離れられぬ我々を不憫に思われ建立されたのが、弥陀の本願。
 悪人を成仏させるのが弥陀の本意だから、〝助かる縁なき者〟と、他力にうちまかせる悪人こそ、浄土へ生まれる正客なのだ。
 されば、善人でさえ浄土へ生まれるのだから、悪人はなおさらである、
と聖人は仰せになりました。

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  • 国語の教科書に乗ってないのが残念だ。

  • 余計なBGMがないのがいい。

    しかし、朗読のイントネーションと

    言葉の切りかたはわざとらしくて賛成できない。

    私なら、日本語の特徴である、もっと平坦な読み方を

    するなあ。

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