ルービン・カーターは1937年5月6日、黒人差別の激しいニュージャージー州のパターソンに生まれた。彼はいたずら好きで、街の白人地区に堂々と出向いてはさまざまな悪戯をした。彼が11歳の時、パセイク大滝で友達と遊んでいる時に、ドミニクという友達に対して強姦目的で近寄ってきた白人男性を警戒し、暴行した。実際には軽い吃音を患っていたカーターは上手く「やめろ」といえずに行動に移したとされている。当時は人種差別が極めて強く、黒人を含む有色人種が相手であれば、たとえ強姦・殺人等の重大犯罪を犯しても比較的軽い刑あるいは無罪になる事が殆どであったためである。彼は逃げたが白人男性につかまってしまい、その後、滝に突き落とされそうになった。しかしカーターは諦めず、防護用として持っていたナイフで男性を刺し、逃げたがすぐに警察に御用となってしまった。このパセイク大滝は70フィート(およそ20メートル)もあり、落とされれば死ぬ可能性が極めて高かった、その為、ルービンの行為はある意味正当防衛であるという説もある。その白人男性は強盗として最終的にカーターを州立ジェームズバーグ少年院に収容させるに至った(白人男性の正体は当州で有名な少年愛好性の変質者で、警察にも手配されていた)。その当時の担当刑事は差別主義者で、被害者の偽証をさらに大袈裟にし、カーターの証言のメモを書き換え、カーターの刑罰は重くなったといわれる。
そこで8年経ったが、彼は脱走してすぐ軍隊に入隊、「他人を倒す」という志からボクシングを習い、ライト・ウェルター級で戦った。ボクシングのリングネームを『ハリケーン』と名づけ、ルービン・ハリケーン・カーターを名乗るようになった。リングネームの根拠は、ハリケーンのごとく現れ、対戦相手を次から次へと倒し、その様に観客がハリケーンのように熱狂し、また本人の「ハリケーンは美しい」という思いから付けられたといわれる。
その後、彼は除隊しプロボクサーになる決意をしたが、警察に見つかり、少年院の残りの刑期(約10ヵ月間)を務めあげることになるが、出所後もボクシングを続けた。バーで出会ったメイ・リン・セルマという女性と結婚もした。ほとんどの場合差別的な判定によって、KO勝ち以外では白人あるいは彼の対戦相手に有利な判定が下った。
殺人事件 [編集] そんなある日、バーで女性1人(ヘーゼル・タニス)、男性3人(ジェームス・オリバー、フレッド・ナーヤクス、ウィリアム・マーリンズ)が撃たれるという事件が発生した、偶然にも車(ダッチポラーラ)で近くの家に帰ろうとしたルービン・カーターと彼のファンであるジョン・アーティスは仮釈放中の目撃者アルフレッド・ベローとアーサー・デクスター・ブラッドリーの二人からの偽証・偏見と、差別感情・観念を持っていた12人の白人陪審員により、最終的に終身刑を宣告された。事実、ベローとブラッドリーは最初はルービンの犯行を否認していた。ベローの偽証は担当刑事の誘導証言によるもので明らかに不法な司法取引である。特にベローは通報者にレジの金を物色しているところを見られ、強盗の容疑をかけられていたため、担当刑事の指示に従い、協力したと考えられている。諸説としてベローは17時間も取調べを受け、耐え切れずに偽証したというのもある。この他にも、事件に関わりたくない目撃者の代理人としての上司のサインを担当刑事が偽造した事実も後に発覚する。他にも事件の目撃者として、パティ・バレンタイン、エイブリ・コッカシャムの二人が警察に直接証言しているが、警察の隠蔽や判事による不認定などで採用されなかった。
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hitoshi1401 3 weeks ago