映画 南京の真実 記録映画編(南京陥落後)
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南京大虐殺は東京裁判で、原爆投下、東京大空襲で30万人の大量
虐殺をやったアメリカが捏造したもの。つまり、キャンセルアウト ということだ。捏造なんて直ぐにわかるはずだよ。証拠は、南京臨 時政府の代表は、汪兆銘、つまり中国人であり軍隊もあった。、汪 兆銘は孫文の一番弟子であり、日本が支援した、中国の代表という ことだ。南京臨時政府はポツダム宣言がなされるまで、成立してい た。つまり、南京は日本が支援した汪兆銘、南京臨時政府が統治し ていたということだ。 -
もうそろそろ、先達の「汚名」を晴らす努力を、日本国政府がやる
べきではないか? 薄汚い支那、朝鮮の奴等に子々孫々までシャブリ尽くされるぞ?
日本人は下を向け、我々に頭を垂れろと言われてるんだぜ?
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(Part4)確かに彼は「南京の虐殺も若干行われたことを私も
認めている。そして虐殺ばかりでなく、掠奪もたしかに行われてい た。」と戦後書いているが、彼自身がそれを目撃したわけではない のである。なぜ確信してしまったのかは、貴殿と全く同じ理由であ る。中国側の見事な宣撫工作に、その見てもいない噂が確信へと傾 いていったのであろう。 では百歩譲って小なりあったとしよう。それが、現代の日中間を揺 るがすほどの大きな歴史問題となる理由は全くない。 次に「岡村寧次大将資料」を見てみよう。岡村寧次(おかむらやす
じ)大将は、南京大虐殺があったとされる後の、1938年6月に 「第十一軍司令官」に就任している。ちなみに中国側の南京大虐殺 があったとされる時期は、1937年12月から1月までのたった の6週間。彼自身も目撃者などではない。 また彼はこのように書いている。 「上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎 周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐 等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。
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(Part3) (4)そして1938年2月中国入り (5)戦後に書いた記述は以下の通り。
「昭和十三年二月、私は松井石根大将のあとをうけて上海に到着し
た。私は直接には兵団と関係がなかつたので、各郷土の特質につい てはあまりよく知らないが、上海に到着するまで、南京の虐殺とい うことは夢にも考えていなかつた。南京に到着してみても、なんの 痕跡もなかつたし、人の耳にも入つていない。ところが、東京裁判 が始まると南京虐殺の証拠が山のように出された。それがために松 井石根大将はついに悲惨な最期をとげられた。それも運命と思えば あきらめられないこともないが、いまにして思えば、南京の虐殺も 若干行われたことを私も認めている。そして虐殺ばかりでなく、掠 奪もたしかに行われていた。けれども、これは戦場という特種の環 境の下ではたらいた心理作用のなせる業で、平静にかえつたとき、 これを責めるのも無理だと思つている。もともとこの裁判の遠因が 、いわゆる復讐のための裁判だつたのだからやむをえないことだろ う。」 -
(Part2)しかし、「陸軍大将 畑俊六日誌」に見られる畑陸軍大将自身は、1938年2月14日
に、松井大将の後釜で赴任している。彼はそんな話を自分の目で見 たこともないわけだ。 ここで優しく時系列に並べると、 (1)日本大使館員福田氏により、中国人による日本軍の蛮行でっ
ち上げがされていた。それが南京安全避難区の外国人によって宣伝 された。 (2) 1938年1月26日から2月2日までの間、国際連盟において中 国の顧維鈞氏が、南京大虐殺をアピールした。 (3) 1938年1月29日から2月6日までの間、陸軍大将 畑俊六は第七師団、第八師団留守隊の教育状況視察の為北海道、弘 前地方に出張した。この時以下のような記述を書いた。しかも日本 で。 「支那派遣軍も作戦一段落と共に軍紀風紀漸く類廃、掠奪、強姦類
の誠に忌はしき行為も少からざる様なれは、此際召集予后備役者を 内地に帰らしめ現役兵と交代せしめ、又上海方面にある松井大将も 現役者を以て代らしめ、又軍司令官、師団長等の召集者も逐次現役 者を以て交代せしむるの必要あり。」 -
(Part1)(1) 中国の南京大虐殺関連の日本への非難は、12月13日から6週間
とされ、(南京大虐殺記念館の石碑にも、1937年12月13日 から1938年1月とされ)ている。中国側はこの頃この期間を広 げようとする試みがあるので要注意。 (2) 中国側の公式発表は「中国人虐殺の数は30万人」 (3) 中国側の公式発表は「強姦数は2万から8万」 (4) 日本大使館員福田トクヤス氏の話に寄れば、南京安全避難区の外国
人のところに、毎日のように中国人が駆け込み、「あっちで日本軍 が略奪を行っている」とか「女性が強姦された」と報告し、それを 避難区の外国人はろくに調べもしないでレポートを書いていた。 また、国際連盟において南京大虐殺をアピールした中国の顧維鈞氏
の演説が行われたのは、第百会期国際連盟理事会であり、その開催 時期は1938年1月26日から2月2日、彼の演説の議事録は、 理事会第六会議議事録として、1938年2月1日にまとめられて いるので、中国側は1937年12月13日から1月中旬までに日 本軍による虐殺があったと責めている。 -
@TheDeathtiny イラクと南京は全く関係ないね。そもそも私は、便衣兵の処刑が違
法だとする法的根拠を聞いている。それが証明出来ないんだろ、法 的に。 それが違法ならその根拠となる国際法を示せ。示せないんだろ、要 するに。
日の出ずる国の子孫の方々、シナ韓国欧米に言い返してやりたい皆様、ぜひともこちらのサイトは必見。
凄い理論的で面白いし役立つサイト!
Google「英語で世界に発信!UndertakerRachのコピペでGO! 」リサーチして。
そして捏造大国にどんどん言い返してやりましょう。
理論的に南京大虐殺、従軍慰安婦、チベット侵略、竹島問題、色々な歴史の反論が載ってますよ。ぜひとも面白い役に立つサイトだから見てください。
日本敗戦の理由のひとつは、情報戦を侮った事。今でも、尖閣諸島奪取計画も南京大虐殺ねつ造も、中国の¬ロビー活動は各地にあるチャイナタウンで着々と進められ大変な事になっている。
しかしこのネット社会、昔のままの中国の戦術をたたきのめせ。¬情報ネットワークを駆使して、真実を世界に発信しましょう!
YOUTUBEのコメのところにこの反論をコピペするだけでより多くの日本側の検証と言い分が世界に広められます。
心から日¬本¬のと祖先の名誉挽回、汚名を晴らすために協力求む。大日本帝国万歳。
FIGURE846 3 months ago 23
(Part5)
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
つまり彼はそのように話を聞いたのである。中国側が頑張って宣伝した日本軍の蛮行の噂が、如実に「ほんとうだってばよ。」と報告させた、まさしく中国宣伝工作の大成果である。東日本大震災後にも噂された「これはHAARP攻撃だ」と同程度の嘘に、人間はにわかに惑わされるものである。
河辺虎四郎・参謀本部作戦課長及び真崎甚三郎大将にしても全く同じだ。 彼らも南京大虐殺があった時期、どちらも南京市にはいない。 人間は今でも同じような間違いをおこす。 たとえばこれをお読みの貴殿が、新しい町に引っ越したとしよう。貴殿のことが気に入らない人が若干いて、彼らが「あいつは過去に犯罪を起しこの町に逃れてきた。」と噂を流した。その話を聞いた人が、日記に書いた。また貴殿の友達もその話を聞き、日記に書いた。だからその話は本当か? そうは思わない。
undertakerRach 3 months ago 13