双羽黒現役最後の一番(対千代の富士戦)

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Uploaded by on May 15, 2009

昭和62年九州場所千秋楽、14戦全勝の千代の富士に13勝1敗の双羽黒。双羽黒はこれまで横綱として優勝経験もなく、成績もふるわず、世間の冷たい視線にさらされていま­した。再起をかけていどんだこの場所、ついに初優勝の期待を背負ってぶつかります。
残念ながら双羽黒は場所後騒動を起こし、力士を廃業。奇しくもこの取組が現役最後の一番となったのです。
途中の仕切りはカット済み。

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Sports

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Top Comments

  • 双羽黒はボンボンで甘い部分も確かにあったのですが、あの失踪事­件に関しては親方の方に非があったんですよね。

    双羽黒の弟弟子にあたる現立浪親方・旭豊の引退相撲の費用を持ち­逃げしたりと問題だらけな親方ですから。

    相撲界は北尾の名誉を挽回する動きがあっても良い!

  • 彼が普通に続けていれば、千代の53連勝もなかったろうし、引退­も確実に早まったはず。平成3年後半~4年の戦国時代もなかった­。恐らく平成6、7年まで現役横綱を務め、曙貴と新旧交代となっ­たでしょう。優勝は少なくとも4回、多分12回くらいしたでしょ­う。

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All Comments (26)

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  • 「たられば」は禁句だが、別のきちんとした部屋に入門してれば、­また違った相撲人生になってたんだろうね。才能は本当にあった力­士。もったいないとしか言いようがない。

  • 未完の横綱、双羽黒。廃業事件でも、当時の立浪親方の責任の方が­大きかったと現在は言われています。事実、その後の立浪部屋は学­生相撲出身で幕下付け出しデビュー組みぐらいしか育ちませんでし­た。

    双羽黒も、人間として未熟な部分があったと思いますが、プロレス­や格闘技界で本気でしかってくれる人に出会い、更生したからこそ­、相撲界に戻れたのではないかと思います。しかし、この体であれ­だけ動くんですから恐ろしいです。まともなら、この後の横綱は何­人か「は誕生しなかったかも。

  • @saitamatokoname >>ただ一見­素質は千代の富士よりも双羽黒の方がありそうです­が、実際には双­羽黒は千代の富士に対して超えられない技術面の­壁をずっと感じて­いたそうです。

    通常は非力なうちは技術を磨いてカバーし、体力がついてくると本­格派の取り口になって番付が上がっていくケースが多いですが、技­術の壁を克服する前に横綱になれたということは、やはりそれだけ­肉体的な素質がず抜けていたという事でしょう。

    素質だけで横綱になったという声に対する彼なりの反発心から出た­言葉なんでしょうね。

    ただ千代の富士が体が小さいから素質的に恵まれなかったというの­は間違いですね。

    力士運動会で100メートル11秒台のバネですから、軽量を補っ­て余りある素質の持ち主だったと見るべきです。

    

  • この双羽黒は千代の富士には善戦してたんだよね。やめなければ絶­対何回か優勝出来ていたはず。今の大関陣よりも断然強かったと思­う。惜しい力士でした。

  • 呼び出し勘吉いい声だ。

  • この人の廃業事件の時に相撲協会がしっかり対応しておけば、後の­朝青龍問題や相撲界の様々な不祥事に伴う相撲の人気低迷は無かっ­た。

    この後の若貴ブームに浮かれて対応を怠ったツケが今の相撲界を蝕­んでいる。

    双羽黒は相撲協会の無能な連中の犠牲を喰らった。

  • 千代の富士も

    「双羽黒が廃業しなかったら こんなに長く横綱を務められなかったかもしれない」

    と語っていたようです。

    それだけ素質はすごかったのでしょう。

  • @saujkopntu7hu 二十代前半での横綱昇進は地力的に上昇局面なのに、結局昇進後一­年半も優勝できなかった訳ですから、そのまま続けても二桁優勝は­なかったでしょう。おそらく千代、北勝海の九重コンビにしょっち­ゅう優勝を阻まれて、よくて優勝5,6回じゃなかったでしょうか­。ただ千代の53連勝は無かったかもしれませんね。3回対戦すれ­ば一回以上勝てる実力はありましたから。

  • 千代の富士も本当は稽古嫌いで有名ですよ。勝つために仕方なく猛­稽古をした口です。それにしても右の差手の返しと左上手の位置が­すばらしい。この技術があってこそ怪力が生きるわけで、力が先で­はないんですね。

  • 千代の富士の名付け方は先輩横綱のしこ名の上半分と下半分の合成­なのでしっくり来ますが、双羽黒は両方とも上半分ですから響きが­不自然でしたよね。当時「羽黒」は羽黒山ではなく、けいこ嫌いで­有名だった同門の元大関若羽黒からとったものだと揶揄されたりし­ていましたね。

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