http://hm5771.blogspot.com/
橘 逸勢さま、ありがとうございます。
804年(延暦23年)、最澄さま・空海さまと共に遣唐使として唐に渡る。840年(承和7年)但馬権守。
842年(承和9年)嵯峨上皇が没した2日後、皇太子恒貞親王さまの東国への移送を画策し謀反を企てているとの疑いで、伴健岑さまとともに逮捕された。両者は杖で打たれ続ける拷問を受けたが、両者共に罪を認めなかった。ついには、仁明天皇より両者が謀反人であるとの詔勅が出され、健岑さまは隠岐(後に出雲国に移されたが経緯は不詳)に、逸勢さまは伊豆へ配流。恒貞親王さまは皇太子を廃された(承和の変)。逸勢さまは伊豆への護送途中に、遠江板築(浜松市三ヶ日町本坂)で病没した(60余歳という)。このとき、逸勢さまの後を追っていた娘は板築駅まできたときに父の死を知り、悲歎にくれた。その娘はその地に父を埋葬し、尼となり名を妙冲と改め、墓の近くに草庵を営み、菩提を弔い続けた。
死後、逸勢さまは罪を許され、853年には従四位下の位を贈られた。その際に逸勢の娘の孝行の話が都に伝わり賞賛された(『日本文徳天皇実録』)。ただし、嗣子の達保に関する記述はない(系譜によると、逸勢さまの系統は孫の保昌、曾孫の直幹までの名が記されている)。
逸勢さまは、菅原道真さま・文屋宮田麻呂さま・早良親王さま・伊豫親王さまなど不慮の死を遂げた人物と共に「八所御霊」として京都の上御霊神社と下御霊神社に祀られている。
Thank you for comment in the Japanese. In addition, please look.
Kyoushhu 2 years ago
美しい漢字
音楽が大好き、あなたの勉強に楽しんで
DAIGORO14 2 years ago