纏向遺跡は古墳時代初期から後期にかけての150年続いた大集落で、3万平方米の集落内には、最古の前方後円墳箸墓古墳初め12の古墳が点在し,一直線に配列された宮殿建設、矢板護岸の運河建設、集水・排水施設インフラ等計画的都市建設が伺える。しかも弥生時代は何もなかったところに突如出現した集落で、出土土器の分析から東海地方中心に本州各地から労働力集めて建設さ
れた都市で、邪馬台国の有力首都候補である。何故この地が首都になったかは議論のまとだが、当時全国的に文化度が高かった証拠であり、縄文の子孫がベースになったことの証明になりうる。
Link to this comment:
All Comments (0)