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空海の見た風景 - 南五台 観音台 (1)

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Uploaded by on Feb 27, 2010

中国西安市の南方に位置する南五台の最高峰寺院「観音台」は唐の長安城を鎮護する仏教聖地だが、わたしには高野山金剛峯寺と東寺(教王護国寺)の起源であるように思える。

隋唐時代に理論完成して既に日本にも伝来していた「鎮護国家の神図密法」をより強力にパワーアップすることのできる「胎蔵界・金剛生の両部密教」を日本に持ち帰ること。真­言宗の開祖空海(弘法大師)が大陸に渡った目的はこれに尽きる。四神不相応の地「長岡京」を捨てて、平安京に遷都をしたばかりの当時の日本にとって、「鎮護国家の神図密法­」をパワーアップする「密教」は何ものにも代え難い宝物である。鎮護国家の神図に結絡する聖地(すなわち寺院)で密教による法を修することで、長岡京の四神の怒りを鎮め、­朝廷に平安をもたらすことが可能になるからだ。入唐した空海は、青龍寺の恵果阿闍梨から両部密教を授かり、唐において鎮護国家の法がいかに修されるかの現場習得を得た。帰­国後の空海は、和気清麻呂が鎮護国家の神図に適う聖地として創建した高雄山寺(現在の神護寺)に入って、護国経典「仁王経」で鎮護国家の法を修した。さらに空海は、鎮護国­家の神図に適う新たな聖地として高野山と東寺を真言密教の根本道場としたのである。金剛峯寺建立修行縁起にかかれている「密教相応の処」とは、鎮護国家の神図に適う聖地を­意味している。立地選定に際して鎮護国家の神図密法が忠実に守られた形跡は、今日の高野山の伽藍配置などに確かに残っている。

大暦13年(778)、33歳の惠果は二度にわたって観音台に登った。ある満月の夜、恵果が持念すると、大月輪の中に聖観世音菩薩が現れ、祥雲を照らすその光明は白日の如­く、遠方から観る多数の群衆を陶然とさせたと伝えられている。入唐した空海はこのことを聞き及ぶや、観音台が長安王城の神図に結絡する聖地であることを忽ちにして悟ったに­違いない。なぜなら大学を中退してからの7年間(これまで空白の7年といわれていた期間)、青年空海は日本国中を行脚するなか、鎮護国家の神図密法が何であるかを独自調査­研究して知っており、さらに知るだけでなく空海独自の新たな神図流儀を創り上げていたからである。したがって空海は観音台が長安城の護国聖地であることを忽ちにして悟った­。観音台が長安城の護国聖地であることを知る者は、当時の長安の人びとのなかでもおそらく極めて少数に限られていた。
その観音台に空海が登ったのは、求法のため長安に入った年の翌年(805年)の5月初旬、恵果にまみえる直前ではなかったか。まだ見ぬ空海が観音台に登ったとの報を受けた­恵果は、空海が本物の密教僧であることを確信したことであろう。空海とほぼ同時期に唐の偉大なる詩人白居易(白楽天)も観音台に登っている。偉大な詩人の力を借りて、空海­の見た風景を観想してみたい。


空海の見た風景 - 南五台 観音台(2)はこちら ↓
http://www.youtube.com/watch?v=JEwS9L2oP_U

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