<平泉の世界遺産の価値と戦争>平泉は08年7月、カナダのケベック市で開催された第32回ユネスコ世界遺産委員会で世界遺産登録登録延期となった。
日本政府が推薦した遺産としては、初めての登録漏れとなり、文化庁によって進められてきた全国の世界遺産登録の積極的な活動に冷や水を浴びせる結果となった。
このことは「平泉ショック」と呼ばれた。折から文化庁が平泉の登録を最優先としたところから、日本各地の世界遺産登録運動は、一歩も前に進まない現状となってしまった。
いったい平泉の世界遺産登録において、どこに無理があり、矛盾があったのか。
「浄土思想」の仏教概念が西洋中心のユネスコ委員には、解りにくかった、とか。コア・ゾーンを拡げすぎた、とか言われている。
その反省に立って、この4月4日、文化庁は、2年後の登録に向けて、「浄土思想」を「浄土世界」に変更し、9つのコアゾーンを5つに圧縮して、推薦書を年内にユネスコに提出することを決めた。
しかし私は、もっと考えるべきことがあると思う。それは次の二点だ。第一は、平泉を浄土を具現した世界に造るとして、平泉を建都した初代藤原清衡の理念をもっと深く理解すること。第二は、5つに圧縮したコアゾーンについて、これからの保全と修景の計画と方針を推薦書に明確に盛り込むこと。敢えてもうひとつ指摘すれば、更にコアゾーンの圧縮の必要があるとすれば、直ちにこれを実行に移す勇気だ。この柳の御所跡には、平泉バイパスが直前に横たわり、自動車の騒音もうるさい。数年後にこれを地下化するなどしないと、到底世界遺産としての景観ではないことは明白だ。また根拠のない柳の御所の復元も早計にすべきではない。むしろ芭蕉が感慨に浸った田野こそが、平泉の文化的景観と呼べるものかもしれない。その意味では、この柳の御所跡をコアゾーンから外すことも考えなくてはならない。
そして、平泉の世界遺産登録において、何と言っても大事なのは、初代清衡の都市平泉を造営した精神だ。清衡は、中尊寺落慶供養願文において、明確に戦争からの脱却を目的として平泉を建設したことを高らかに述べている。彼は前9年後3年の役という、ほぼ40年に及ぶ奥州全域を舞台にした戦争を終わらせ、その癒しのためにこの平泉を造営した。その上で、二度と戦争の悲惨を起こさせず、平泉を訪れた万民のために、この世にも、極楽浄土はある、と実感させるため、平泉の地を特別に選んだのだ。そして豊富に産出した黄金を惜しみなく使い、現世に極楽浄土を出現させたのである。
これは戦争による文化文明の破壊を起こさせないとするユネスコ世界遺産条約の精神に合致する考え方である。戦争の否定を主眼として建設された都市「平泉」が世界遺産にならずに、どこが世界遺産になるというのか。(佐藤弘弥記)
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