La chanson de l'union des administrateurs de la Miike charbon mine
三池職組の歌
歌:初音ミク_dark (Vocaloid Hatsune Miku_dark)
三井三池炭鉱の労働組合運動では、1960年(昭和35年)の労働争議で、会社協調路線に立つ「三池炭鉱新労働組合」が、1960年3月19日の決議をもって、三池炭鉱組合を脱退しました。その後、三池争議は、労働組合vs会社使用者側に加えて、労働組合員同士が、家族をも巻き込んで、鋭く対立するという泥沼に突入していきました。この歌は「三池職組の歌」ですが、「三池職組(三池炭鉱職員労組)」は、どうも事務系職員を主体とする労組で、三池炭鉱新労組結成に大きな役割を果たした組合、ということが「大牟田市史」の記述から読み取れました。大牟田では、三井の「職員」(≒ホワイトカラー)と「従業員」(≒ブルーカラー)の間に厳然とした区別(差別?)が存在し、社会に暗い影を落としていたそうです。新労組結成後も、三池職組はあくまで別組織として存在していたそうで、本当に、三井内部では、"職員"と"従業員"は別人種扱いだったようです。"分断して統治せよ"とはよく言ったもので、現代の正社員vs派遣社員とまったく同じ構造です。
作詞: 岡本禮一郎
作曲: 下川 博省
紺碧の大空に 正義と理想の旗高く
我等三池三池職組
轟く足並み スクラム固く
いざ前進いざ前進
今こそ破れ陋習を 光栄永遠に我等が上に
前進前進三池職組
不知火の有明に 新生日本負いて進む
我等三池三池職組
轟く足並み スクラム固く
いざ前進いざ前進
今こそ果たせ大使命 光栄永遠に我等が上に
前進前進三池職組
1960年(昭和35年)3月29日福岡県大牟田市で三井鉱山の合理化案に猛反対していた三井炭鉱労働組合連合会・三池炭鉱(三川、四山、宮浦の三鉱)労組(以下便宜上、第一組合とする)と会社側が組織した三井新労組(以下便宜上、第二組合という)が全面衝突した。特に、同日午後4時30分頃、四山鉱山正門前でピケ中の第一組合員の久保清さん(当時32歳)が第二組合に混じっていた暴力団の組員に短刀で刺されて死亡。組員は同日逮捕された。
事態は一企業の労組問題から炭鉱業界全体の問題として発展。福岡地裁は会社側が申請していた三川鉱のホッパー(石炭の出荷までのタンク)等に対しての妨害排除、立ち入り禁止の仮処分を決定した。この結果、5月12日ピケを張っている第一組合を排除しようと介入した警官隊と衝突。第一組合、警察双方で180人の負傷者が出た。7月7日、闘争のシンボルとなったホッパーで長期ピケを張る第一組合と第二組合が再び衝突。300人以上の負傷者がでた。これを受けて福岡地裁は両者に和解案を提示したが決裂。一方、総評は大牟田市で10万人集会を開催し、支援するため大牟田市に続々と入ってきた全学連やオルグ団が第一組合に合流。1万人がホッパー前でピケを張った。
この事態に労働大臣(当時)が調停に入り、「離職者の完全失業対策」などの条件が労組側に受け入れられて、両者が生産協定に調印したのが10月29日だった。だが、第一組合が全面ストを解除して就労したのは12月1日。1月25日のストライキ開始から実に282日間に及ぶ争議に終止符を打った。
三池炭鉱三川坑では1963年11月9日に炭じん爆発が発生した(三井三池三川炭鉱炭じん爆発)。この爆発事故は458人の死者と一酸化炭素中毒患者839人を出す戦後最悪のものとなった。炭じん爆発の防止策としては坑内の掃除や散水で十分であったが、それすら行なわれていなかった。そのため三池闘争に敗北した組合の弱体化による労働環境悪化や会社の安全管理サボタージュが原因として指摘された。ホッパー前の労組側と警官隊との全面衝突が現実になると3ケタの死者が出ると言われたが、衝突が回避されても、結果として3ケタの犠牲者が出てしまった。
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