自分の過去の音源を主にアップロードしています。自分の音源は白字にしてます。
About Me:
1970年3月生まれ。生まれてから5歳位まで父からエルヴィス・プレスリーをひたすら聞かされ(今も大好き)、幼稚園の頃ダウンタウンブギウギバンドを狂ったようにひたすら聞いていました。
小学校高学年の頃、TVで生中継されていたYMOを見てユキヒロの虜になり、小5から中島公園のヤマハにドラムを習いに。ルーディメンツを30分程ゴムパット相手に叩き、残り30分でロック、ボサノバ、ブルース等を課題曲として叩いてた記憶があります。中1の時に同じヤマハ内のレッスンで、NOW&THENというバンドでドラムを叩きました。これが初バンド経験。ヤマハのホールでの初ステージの時の緊張感は未だに忘れられないです。皆年上な人達ばかりで、幼い自分がなんか申し訳なくてヤマハを辞めてしまいました。が、その後すぐ地元でオトナの人達とRCサクセションのコピーバンドで叩くことに。
中3でHR・HMに目覚め、HMバンドを始めました。その後フラットバッカーに激しく傾倒。高1の頃、姉のツテでフラットバッカーの本間さんと1時間程、喫茶店でお話させて頂ける機会がありました。丁度フラットバッカーのライヴの日で、リハの後の話。本間さんにはいい迷惑だったと思います(笑)...さらにメロンソーダをおごって貰いました。話しているうちに、本間さんも私も同じ左利きで右セットだということがわかり、左利きならではの利点、難しい点など、貴重な話を沢山教わってとても勉強になり、その後の自分のドラムの叩き方に大きな影響を与えてくれました。喫茶店を出た後、楽屋にいても良いと言われ、隅っこのほうで邪魔にならないようにステージを覗いてました。ライヴ終了後、楽屋に戻ってきたメンバーが壁にもたれてグッタリしてましたが、アンコールがかかり、気合いの入った顔でステージに戻るシーンを目の当たりにしました。ホントにカッコ良かった。あの日のペニーレーンで起きた一連の出来事は、ドラムについて勉強になっただけではなく、子供だった自分の意識を、ちょっとだけ大人に押し上げてくれたと思います。
高校1~3年の頃は札幌・岩見沢・N町で3~4位のバンドを掛け持ちしてました。この頃、地元のVoの方に拾われ、とおるバンバンというガチのバンドに加入。ある程度オリジナル曲が貯まって来た頃、小規模ながら初のレコーディングを経験しました。ドラムの周りが反響防止の板とマイクで囲まれ、ガラスの外にはメンバーその他沢山の人がいて、皆さんが私のドラムに注目する中「絶対間違えられないし、時間内に終わらせないと大迷惑をかけてしまう」という大きなプレッシャーの中でドラムを録った経験は、はっきりとわかるくらいに自分を成長させてくれました。大きなステージでライヴを行ったり、コンテストにも何度か出ました。ありがたい貴重な体験をさせて貰えました。が、色々事情があり解散...
高校を卒業し大学に入学した頃、とおるバンバンのVoの方からもう一度誘われ、VICTIMIZERという、これもまたガチのバンドでまた叩かせて貰いました。暫く活動が続き、結構活発的だったと思います。その後、メンバー交代がキッカケになったのか...活動が尻すぼみ気味になり、Voの方は違うバンドに誘われていて、自分はメタルなドラムが色々とキツくなってきており、解散。
手首と指で叩くドラムに戻りたくてキクヤの館山先生に改めてドラムを習いつつ(本当に為になりました)、HEATHROWとCOOLというロックとフュージョン寄りのバンドを結成。コピー曲をやりつつオリジナルを少しづつ増やしていきましたが、諸般の事情によりドラムを辞めました。25歳位だったと思います。
そして41歳にして元地元の後輩達からバンドのお誘いがあり、沢山オリジナル曲を持っている、はまのやGKというHRバンドに、抜けたドラマーの後釜として復帰しました。ですが自分のドラムの腕は、ものすごく衰えていました。特にバスドラを踏む右足。16分のウラの刻みなどがあり得ないくらい安定しなくて、現在絶賛悶絶中です。
Music:
木下昭仁御大と田中康治(Machine)さんが創り出す音楽。FLATBACKER(FRATVACKER)、W.I.N.S(和田アキラ/石黒彰/永井敏己/菅沼孝三)。本田毅さんのギターの世界。JIMSAKU、CASIOPEA、Michel Camilo。