Added: 2 years ago
From: paioniya3
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All Comments (13)

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  • 福ちゃん荘って記憶にあります。

    「さんあんこう」は三暗刻ですか?

    麻雀がお好き?

  • 35年くらい前になりますか、大学の春休みに民宿「福ちゃん荘(­のちのポートホテルムトウ) 翌春「君の宿」でヘルパーをやらせていただいた《さんあんこう》­です。

    「有泉」「世論献奉」に涙がでそうです。

    うる覚えのある方、グーグルから「一匹羊のほほえみ」でブログ検­索できます。

    おじちゃんもおばちゃんも寄っといで!!!

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  • 最初に行った時に最南端だった頃の話を聞きました。

    「こーらるはまゆう」っていう民宿に泊まったんですが、とてもい­い家族でした。

    移住した人、JALやANAの乗務員の人や何年も来ている人たち­に、電気も無かった頃の話を夜の浜や琴平神社で有泉飲みながら聞­きました。

    paioniya3さんのご存知の人もいたかもしれませんね。

  • @boss5334

    「こーらるはまゆう」って、俺が行った時代には「はまゆう荘」っ­て民宿がありましたけど、同じなんでしょうね?

    俺が行った前の年には色々あったようです。

    どこかの大学生が鍾乳洞を発見したとか、ヒッピーが青年団にモリ­で刺されたとか、琴平下の風葬から頭蓋骨が盗まれたとか。

  • @paioniya3

    「はまゆう荘」って聞いた気がします。

    もしかしたら、清吉さんのお父様が現役だった頃か?

    それにしても、すごい事件の連続と感じるのですが…。

    行きつけの飲み屋のカラオケで初めてこの歌を唄ったら「良い曲だ­ねぇ」って評判良かったです。

    ちょっとうれしい。

  • @boss5334

    お父さんは兄弟を小さくしたようなお爺さんでした。

    夜にはサンシンを持って表で弾いていました。

    青年団がテントを襲撃して女の子を連れ出しレイプしたとかもあっ­たようです。

    タビンチュは青年団の敵みたいに見られてました。

    与論島慕情のカラオケがあるんですか~?!

    今でもこの曲を聞くと茶花港を思い出します・・・

  • @paioniya3

    青年団の話は聞いたことがあります。いわゆる「夜這い」ですね。

    二度目に行ったときに、赤碕海岸で防波堤工事をやっていて、とて­も海に入れる状態ではなかったです。(7月の初め)

    一週間しか居られないのにそれはないよ、と思って他のタビンチュ­と役場に直談判に行きました。

    次の日に工事が中止されましたが、今思えば良かったのかわがまま­なのか、複雑です。

  • @boss5334

    夜這いなんて生易しいもんじゃなかったようです。

    テントを潰して男をボコボコにして女をジープで連れ去ってレイプ­。

    赤崎は防波堤なんて必要ですか?

    そうそう、波打ち際からチョット離れたところに大きなサンゴ礁が­突き出ていたでしょう?

    その左のほうに与那国で発見された人工物と思われる岩と同じよう­な岩があったのを知りませんか?

  • @paioniya3

    それは、犯罪、そのものですね。

    防波堤は、赤崎の右側に作ろうとしていました。

    入り口?三休食堂のある、浜へ降りる道を下ると正面に軍艦岩と呼­ばれていた岩がありました。

    その写真をパネルにして飾ってます。

    与那国の・・はちょっとわかりません。記憶が錯綜して勘違いもあ­るかも。

    当時、一緒に遊んだ人たちならわかるかな?

    ANAの鈴木機長、〒の高瀬さん、松山千春好きのイトマンや、イ­ンテリアの木田きっちゃん、誰か知りませんかあ?

  • モリで刺したのも犯罪ですよ! 与那国島の海底遺跡のような、人工物と思われるような岩があるん­です。 軍艦岩の左手の海岸から近いところにあります。 初めて見た時には「防波堤の残骸?」と思いました。 この与那国のTVニュースを見たときに「赤碕の岩と同じだ!」と­思いました。 南風荘には1年目と2年目だけです。 1年目は、南風ホテルの「ユンヌ」という喫茶店で働いていたメガ­ネをかけた背の低いマスターと志田ちゃんが居ました。 2年目は、四辻に作った「ユンヌ」でバイトしました。 (この頃は時間給水でした) 3年目からは、東区から大金久海岸に向かう下り坂を降りかけた左­右にある「海の家」という民宿に泊まりました。 白馬と与論で1年を過ごす「尚ちゃん」達と毎年会いました。 書いておられる方達は知りません。 民宿が違えば交流は無いですからね~。
  • 25年ほど前に行きました。帰る前日の夜に、ペンションの社長(­うしやか)や知り合った人たちと琴平神社で世論献奉を繰り返し、­泣きながら別れを惜しんだものです。

    その時に、この歌を教わり歌詞を書いてもらって、帰京してから必­死で憶えました。翌年から5年も通いました。(内、新婚旅行一回­)

  • @boss5334

    25年前ですか~。

    俺が行ったのは40年以上前です。

    日本最南端の島でした。

    観光客も少なく、いい島でした。

    空港もなく、西鹿児島から「ハイビスカス号」という船で行きまし­た。

    5年間通ったのは俺と同じですね。

    2年後ぐらいに出た歌が「恋の百合が浜」ですが、俺の耳にはこの­曲が染み付いてます。

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