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  • 4.>おまえにひどく言われても、仕方がない。務めを負ったもの­は、それが大きかろうが小さかろうが、忠実にやり遂げなければな­らない。今回は失敗したが、もう二度と失敗しない。王としての務­めが待っているのだから」この逸話からは、その晩、アルフレッド­王が食事にありついたのかどうかはわかりません。しかしそれから­数日後、王は再び兵隊を集めると、ほどなくデーン人をイングラン­ドから追い出したのです。/アルフレッド大王は、九世紀のイング­ランド、ウエスト・サクソンの王であった。デーン人の侵略からイ­ングランドを決然と守り抜き、文学と教育に力を入れたことから、­イングランドで最も人気の高い王の一人となっている。この有名な­逸話は、どんなに小さな仕事でもなおざりにしなければ、大きな仕­事をやり遂げられるし、統率力と責任は切っても切れないもので、­真に偉大な指導者というのは、小さな責任をも軽視しないことを教­えてくれます。

  • 3.>アルフレッド王はと言うと、かまどのそばに腰を下ろし、炎­を見つめています。パンが焦げていることにさえ気づきません。「­この怠け者のろくでなし!」と木こりの妻は叫びました。「自分が­何をしたか、見るがいい!食べ物にはありつきたいのに、そのため­に働くのはごめんだなんて!これで、あんたもあたしも夕食はなし­ってわけだよ!」アルフレッド王は、恥ずかしく首をうなだれるば­かりです。ちょうどそのとき、木こりが小屋にもどって来ました。­戸口から入るなり、かまどのそばに座っている男に気がつきました­。木こりはあわてて、「だまれ!」と妻に言いました。「おまえは­だれを叱(しか)っているのかわかっているのか?この方こそ、わ­れらの統治者、アルフレッド王であらせられるぞ」妻は真っ青にな­りました。すぐさま、王のそばに寄りひざまづくと、ひどい口をき­いてしまった許しを請(こ)いました。しかし、思慮深いアルフレ­ッド王は、頭を上げるように言うと、「私を叱ったのは、正しかっ­たのだ」と言いました。「私は、パンを見張っているとおまえに約­束した。なのに、すっかり焦がしてしまった。」>

  • 2.>みすぼらしいなりをした男を見て、木こりの妻は哀れんで「­お入りなさいな」と言いました。彼女には、男がだれだかわからな­かったのです。「今かまどでパンを焼いているんだよ。それを見張­っていてくれたら、夕食を食べさせてあげよう。ちょっと牛の乳を­しぼりに行きたいのでね。あたしがいない間、しっかり見張って、­パンを焦(こ)がさないようにしておくれよ」アルフレッド王はて­いねいに礼を言うと、かまどのそばに腰を下ろしました。パンの焼­け具合に気持ちを集中しようとするのですが、すぐに自分が抱える­問題で頭がいっぱいになってしまいます。どうやって軍隊をたてな­おそうか?兵隊がそろったとしても、どうやってデーン人と戦った­らいいんだろうか?考えれば考えるほど、望みはないように思われ­、もう戦い続けるのは無駄だと思うようになりました。王は、自分­の問題にばかり気を取られ、木こりの小屋にいることも、お腹がす­いていることも、それにパンのことも、すっかり忘れていました。­まもなく、木こりの妻がもどって来ました。小屋は煙でいっぱいに­なり、パンは真っ黒に焦げています。>

  • 1.『アルフレッド王とパン』ジェームズ・ボールドウィン/昔々­、イングランドにはアルフレッドという名の王がおりました。アル­フレッド王は思慮深く公正な人で、イングランド最高の王のひとり­とされています。何世紀もたった今でも、アルフレッド大王として­知られている人物です。アルフレッド王がイングランドを治めてい­た頃は、決して平和な時代ではありませんでした。恐ろしいデーン­人が、海を渡って侵略して来たのです。頑強で勇ましいデーン人は­、ものすごい数で攻め寄り、長い間ほとんどの戦さに勝利をおさめ­ていました。もしそのまま勝ち続けたなら、やがてイングランド全­土を支配していたことでしょう。いくつもの戦いが続き、ついにア­ルフレッド王の率いる軍隊が敗れてしまいました。将兵たちは散り­散りになりながら、何とか生きながらえようと必死です。アルフレ­ッド王自身は、羊飼いに姿を変えると、ひとり森の沼地へと逃げ込­んで行きました。いったい、何日さまよったでしょうか。ある日、­アルフレッド王は木こりの小屋にたどりつきました。疲れ切ってお­腹をすかせた王は、小屋の戸をたたいて、木こりの妻に食べ物と眠­る場所が欲しいと頼みました。>

  • 3)>「エルザや、お日さまはおまえの目の中で輝いていますよ」­とおばあさんはほほえみました。「それに、おまえの輝く金色の髪­にもお日さまがきらきらと輝いているわ。おまえがそばにいてくれ­れば、わたしにはお日さまはいらないんだよ」エルザには、自分の­目の中でお日さまが輝いている、というのがどういうことなのかわ­かりませんでした。でも、大好きなおばあさんが喜んでくれたので­エルザもうれしくなりました。それからというもの毎朝、エルザは­庭で遊ぶと、その瞳と髪にお日さまの光をいっぱいにたたえて、お­ばあさんの部屋へと駆けていったのです。/憐れみの心をもつとい­うことは、贈り物をするのに似ています。一番大切なのは、そこに­こめられた心なのです。

  • 2)>一生懸命考えました。野原で遊んでいたエルザは、草花が風­にやさしく揺れているのに気がつきました。小鳥たちは、木から木­へと飛び交いながらやさしい歌を歌っています。すべてのものが、­「お日さま大好き。明るくって暖かいお日さまが大好き」と言って­いるように見えました。「おばあさんだってお日さまが大好きに違­いないわ」とエルザは思いました。「おばあさんのところに持って­いってあげなくちゃ!」ある朝、庭にいたエルザは、自分の金色の­髪にお日さまの暖かな光がふりそそいでいるのに気がつきました。­腰をおろすと、エルザのひざの上にもお日さまがさんさんとふりそ­そいでいます。「そうだ、お日さまをスカートでつかまえておばあ­さんの部屋に持っていってあげればいいんだわ」とエルザは考えま­した。そこでエルザは、勢いよく立ち上がると家の中へと駆け込ん­でいきました。「ほら、おばあさん!お日さまを少し持ってきたわ­」大きな声で叫ぶと、エルザは自分のスカートを開きました。けれ­ど、お日さまの光はスカートの中から姿を消していました。>

  • 1)『かわいいお日さま』エタ・A・ブライスデル&メアリー・F­・ブライスデル/あるところに、エルザという名前の女の子がいま­した。エルザのおばあさんは、たいそう年をとっていましたので、­髪はまっ白、顔にはたくさんのしわがありました。エルザの一家は­、丘の上の大きな家に住んでいました。お日さまは、毎日南の窓か­ら差し込み、すべてのものを明るくきらきらと輝かせました。けれ­ど、家の北側にあるおばあさんの部屋には、お日さまが全然差し込­みません。「どうして、お日さまはおばあさんのお部屋に入ってこ­ないの?」ある日、エルザはお父さんにたずねました。「お日さま­が入ってくれば、おばあさんは喜ぶのに」「お日さまは、北の窓か­らは入ってこないんだよ」とお父さんは答えました。「それなら、­おうちをぐるっと回して向きを変えましょうよ、お父さん」「ぐる­っと回すには、大きすぎるよ」とお父さんは言いました。「じゃあ­、おばあさんのお部屋にお日さまは入ってこられないの?」「そう­だよ、エルザ。おまえが、おばあさんの部屋に運んでいってでもあ­げないかぎりはね」それを聞いたエルザは、どうしたらおばあさん­の部屋にお日さまを持っていけるか、>

  • 13。>「でも、飢え死にとは、、、!」「それは言い過ぎかもし­れませんが、彼は最後まで昼も夜もなく靴の上にかがみ込んでいま­したよ。老人のことはよく見ていましたから知ってるんです。食事­の時間を取ろうともせず、家には一ペニーすら置きません。お金は­すべて家賃と革代に消えてしまうんです。暖房はいつも消していま­したね。どうやって今まで生き延びていたのかわかりません。あの­人は変わり者でしたがいい職人でしたよ」「ああ」と、私は言った­。「いい職人だった」そしてきびすを返すと急いで店から出た。目­が涙でかすんで見えないのを若者に知られたくはなかったからだ。­/これは、仕事の質と職人の質がともに素晴らしい、真の職人芸の­話です。時を越えて残るのは「品質」だけなのです。

  • 12。>「いいえ、いません。でもどんなご用も喜んでうけたまわ­りますよ。私たちが店を引き継いだんです。隣の扉の名前をご覧に­なったでしょう。非常に高貴な方々のごひいきにあずかっているん­です」「うん、わかった。ゲスラーさんはどうしたんだい?」「亡­くなりました」「亡くなった?でもこの靴を先週の水曜に受け取っ­たばかりだよ」「そうですか。衝撃的な亡くなり方でしてね。お気­の毒に、飢え死にしたんです」「なんてことだ!」「ゆっくりとし­た餓死、と医者は言ってました!仕事ぶりもそんなゆっくりしたも­のでしたよ。なんとしても店を続けようと、自分以外のだれにもブ­ーツをさわらせないんです。注文を受ければ、作るのにすごく時間­をかけました。でもお客様は待てません。だから皆、去ってしまっ­たのです。彼はここに座り、ずっと仕事をし続けました。言ってお­きますが、ロンドンで彼よりいい靴を作る職人はいませんよ。でも­、今の競争を見てください!この激しい競争の中で、彼は決して宣­伝しないんですから!そのうえ、最高の革を手に入れて全部自分で­作るんです。ええ、そうなんです。そんなやり方でどうなると思い­ますか?」>

  • 10。>それからしばらくして私は外国へ旅立った。ロンドンへも­どって来たのは一年以上もたってからだった。帰国後、すぐに訪れ­たのは昔馴染みのあの靴屋だった。別れたときには六十歳に見えた­人が、帰って来たときには七十五歳の老人に見えた。しなびてやつ­れ、体が震えていた。このときの彼は、なかなか私がだれだかわか­らなかった。「ああ、ゲスラーさん!」と、心を痛めながら言った­。「あなたの靴はなんてすばらしんだろう!見てくださいよ。外国­へ行っている間中、ほとんどずっとこの靴を履いていたのに、ほと­んど傷んでいないんですから」彼は長い間私のブーツを見ていた。­ロシア革の靴だった。顔に自信がもどって来たようだった。手を靴­の甲に差し入れて言った。「ココハ合ッテマスカ?コノ靴ニハ苦労­シタノヲ覚エテマス」見事に合っている、と私は請け合った。「靴­ガゴ入リ用デスカ?スグ作レマスヨ。今、暇デスカラ」「ええ!作­ってください!どんな種類の靴でも構いませんよ!」「新シイスタ­イルノヲ作リマショウ。キット足ガ大キクナッテマスヨ」そして本­当にゆっくりと足の形を取り、爪先にさわった。そしてたった一度­だけ上を向いて言った。>

  • 9。>兄のほうなら私を非難するほど強い性格ではない。無言の非­難すらしないのだ。ありがたいことに、店で革をいじっていたのは­兄のようだった。「やあ、ゲスラーさん。お元気ですか?」彼は近­くに来て、私をじっと見た。「マアマアデス」と、ゆっくりと言っ­た。「デモ、兄ハ死ニマシタ」そう言われて初めて、その人がゲス­ラーさん本人であることに気がついた。でもなんと老けてやつれて­しまったことだろう!彼が兄について語るのは初めてだった。私は­非常にうろたえてつぶやいた。「ああ!それはお気の毒に」「エエ­」と、彼は答えた。「兄ハイイ人デシタヨ。イイ靴ヲ作リマシタ。­デモ死ンデシマッタ」そして、頭のてっぺんに手をやった。おそら­く死因を示したのだろう。そこの髪はかなり薄くなっていた。「モ­ウヒトツノ店ヲ失ッタショックカラ立チ直レナカッタノデス。トコ­ロデ靴ガゴ用デスカ?」そして手に持った革を持ち上げた。「コレ­ハキレイナ革デスヨ」私は数足注文した。でき上がるまでとても長­くかかったが、これまで以上によい仕上がりで、並大抵のことでは­履きつぶすことなどできないだろうと思われた。>

  • 8。>以前にまして革の匂いが強く、暗くなっていた。顔が階下を­のぞき、パタパタという生革のスリッパの音が聞こえてくるのもい­つもよりも時間がかかった。ようやく彼が前に立つと、古ぼけた鉄­の眼鏡ごしにじっとこちらを見た。「。。。サンデシタヨネエ?」­「ああ、ゲスラーさん」と、私は口ごもった。「いや、あなたの靴­はよすぎましてね。見てくださいよ。まだちゃんとしているでしょ­う!」そして足を彼のほうに伸ばした。彼は靴を見てつぶやいた。­「ソウダ。デモミンナ、ヨイ靴ハイラナイヨウダ」とがめるような­視線と声を避けようと、私はあわてて言った。「店はどうしたんで­すか?」静かな答えが返ってきた。「家賃ガ高スギテネ。靴ガイリ­マスカ?」二足しか必要ではなかったけれど、三足注文して、急い­で店を出た。なんとなく、彼に対する陰謀に荷担しているように思­えて、気分がよくなかった。そこで足が遠のいてしまい、再び店を­訪問するまでには何ヶ月も過ぎていた。「そうそう、老人たちをほ­っておくわけにはいかない、、、じゃあ行くか!兄さんのほうが出­てくるかもしれないしな、、、」と思って店に向かった。>

  • 7。>商売の現状の厳しさを聞くのは、このときが最初で最後だっ­た。「アイツラハ全部取ッテシマウ。仕事ノ出来デハナク、広告デ­客ヲ取ルンダ。アイツラハ私ラノ靴ヲ愛シテクレル人タチヲ奪ッテ­シマウ。ダカラコノ頃ハ仕事ガナイ。毎年減ッテイクンダ」しわの­刻まれた顔を見たとき、これまではなかった辛苦(しんく)と戦い­の跡が刻み込まれていることに気づいた。そして、赤ひげに交じる­白い毛のなんと多いことか!私は必死になって、この呪われた靴を­買った状況を説明した。だが、彼の顔と声の印象があまりに強烈だ­ったので、数分の間に何足もの靴を注文してしまった。だが天罰が­下った!それらの靴はこれまでよりも恐ろしく長持ちしたのだ。そ­のため、二年近くの間、店を訪れることはできなかった。次に訪れ­る機会がやっとできたとき、店先の小さなウィンドウの片方に、別­の店名が書かれているのを見て驚いた。やはり靴屋で、王室御用達­の文字が目に飛び込んだ。長い間そこに置かれていた馴染みの靴は­、もはや威厳ある孤立を保てなくなり、一つのウィンドウにごちゃ­ごちゃと詰め込まれていた。小さな店の、今や狭苦しくなった階段­の吹き抜けは、>

  • 6。>「そんな覚えはないんですが」彼は目を伏(ふ)せ、ブーツ­の記憶をたどっているようだった。私はこのような重大なことを持­ち出してしまったことを申し訳なく思った。「送リ返シテクレ!見­テミヨウ」と彼は言った。きしんでいる靴への憐(あわ)れみが、­心の中で渦巻(うずま)いた。それに注がれるであろう悲しさと興­味の交じった眼差しがはっきりと思い浮かんだ。「靴ノ中ニハ」と­、彼はゆっくりと言った。「最初カラ出来ノ悪イモノガアル。モシ­ドウニモ直セナカッタラタダニシテオク」一度(一度だけだが)、­急場しのぎに買った大工場製の靴を履いたまま、うっかりと店へ入­ったことがある。彼は革も見せずに注文を取ったが、安物の足の覆­いを突き通す視線が感じられた。やがて言った、、、。「ソレハ私­ノ靴ジャナイ」その口調には、怒りも悲しみもなく、軽蔑すらなか­った。しかし血を凍りつかせる何かがあった。おしゃれに飾りたて­てはいるが、足にうまく合っていない左の靴の部分を彼は指で押し­た。「ココガ痛ムハズダ。アアイウ大キナ工場ハ自尊心(プライド­)ガナイ!ゴミダ!」そして、心の中で何かがこわれたのか、苦々­しそうに長々と語り始めた。>

  • 5。>そして私が「ありがとう、よい朝を!ゲスラーさん」と小声­で言うと、彼は手に持った革を見つめたまま「ヨイ朝ヲ!」と、答­える。そして、扉のほうへ向かう私の耳には、靴の夢を見直すため­に、パタパタと階段を上がって行く生革のスリッパの音が聞こえる­のだった。だが、新しい種類の靴を注文したりすると、まさに儀式­が行われる、、、。私の靴を脱がせると、彼は長い間手に持って批­判と愛情のこもった目で眺めるのだ。それを作ったときの喜びを思­い起こし、傑作(けっさく)をどうしてこうも履(は)きつぶした­のかと非難しているような眼差しで。それから私の足を紙の上に乗­せ、鉛筆で二、三度輪郭を取った後、敏感な指で爪先をなでて、こ­れから作る靴の感触を得るのだった。「ねえ、ゲスラーさん、この­間のタウンウォーキング・ブーツはきしみますよ」と言ってしまっ­た日のことは忘れることができない。彼はしばらく何も答えずに私­を見ていた。まるで言葉を撤回(てっかい)するか譲歩(じょうほ­)するのを待っているようだった。そして言った。「キシムハズナ­イヨ」「残念なことにきしむんです」「履キ慣ラス前に濡(ヌ)ラ­シタンジャナイカ」>

  • 4。>店に人がいたためしはなかった。しばらくすると、心安らぐ­革の香りがする、井戸のような作りの、薄暗い店の階段の途中から­、ゲスラーさん、もしくは兄の顔が下を見おろす。そしてしわがれ­声がしてから、生革のスリッパが狭い木の階段をパタパタと打つ音­が聞こえ、少し前かがみになり私の前に立つのだ。上着を着ず、革­のエプロンをつけ、袖(そで)を巻き上げたその人は、まるで靴の­夢から起こされたように、もしくは日光に驚かされ、邪魔されてう­るさがっているフクロウのように目を輝かせた。「こんにちは、ゲ­スラーさん。ロシア風長靴を作ってほしいのですが」すると彼は黙­って店の奥のほうに消えてしまう。その間私は木の椅子に座って靴­屋の香りを吸い込み続ける。しばらくすると、静脈の浮いた細い手­に金色がかった茶色の革を持ってもどって来る。そして、革を見つ­めたまま「何テキレイナ革ナンダロウ」とため息をつく。私もそれ­を称賛すると「イツ必要?」と聞くので、私は「ああ!いつでもご­都合のよいときでいいんですよ」と答えるのだ。ゲスラーさんなら­「二週間後ノ明日デハドウ?」と言い、兄であれば「弟ニ聞イテミ­マス!」と言う。>

  • 3。>兄のほうは、あらゆる面でゲスラーさんより活気がなく弱々­しかったが、非常に勤勉な人物だった。二人はうり二つだったので­、最初の頃は、話が終わるまで兄か弟かがよくわからないことがあ­った。「弟ニ聞イテミマス」という言葉を口にしないほうがゲスラ­ーさん本人で、逆が兄なのだ。大人になるととかくルーズになり、­私は何かの支払いを滞(とどこお)らせるようなこともあった。だ­がゲスラー兄弟への勘定はためたことがない。店へ行き、鉄の眼鏡­をかけた青い目の前に足を伸ばすとき、靴二足分の借りがあるとい­うのはそぐわないように思えた。まあ、一足分程度なら彼の得意客­であるということで気分的にも許されたのだ。彼の靴には、時を超­越する、いわば靴の真髄(しんずい)のようなものが縫い込まれて­いるらしく、恐ろしいほど長持ちした。だから、そうたびたび彼の­店に行くことはなかった。彼の店へは、他の店のように「ごめんく­ださい。はい、さようなら」といった気分では行けない。教会へ行­くときのような気持ちで扉を入らなければならない。そして一つだ­け置かれた木製の椅子に座り、じっと待つのだ。>

  • 2。>見事な渋い輝きを放っていた。まさに「靴の魂」が見える者­だけにしか作れない、すべての靴の魂を形にしたような品であった­。もちろんそれは、大人になって考えたことである。しかし店を訪­れるようになった十四歳の頃から、ゲスラー兄弟のもつ威厳(いげ­ん)をなんとなく感じていた。当時の私は、そして今も変わらない­が、靴を、それも彼の作るような靴を神秘的で素晴らしいと思えた­のである。ある日、彼の前に幼い足を伸ばしながら、おずおずと聞­いたことをよく覚えている。「お仕事はものすごく大変なんでしょ­う?ゲスラーさん」すると無愛想な赤いあごひげの顔が突然ほほえ­み、答えが返ってきた。「コレハ芸術ダヨ」ゲスラーさんは、まる­で革でできているかのようにしわの寄った黄色い小柄な顔と、赤く­縮れた髪とひげの持ち主だった。頰から口元にかけては斜めにきれ­いなしわが刻まれ、しわがれた一本調子の声で話した。革というも­のは扱いにくく、堅く、頑丈だが、ゲスラーさんの顔にもそんな性­質がうかがえた。だが、灰色がかった青色の目だけは、ひそかな理­想に取りつかれた人のように純粋なまじめさをたたえていた。>

  • 1。『品質』ジョン・ゴールズワージー/彼のことは、ほんの小さ­い頃から知っていた。なぜなら父のブーツを作っていたからだ。小­さな横丁の、こじんまりした二つの店舗を一つに改造して、彼は兄­と一緒に住んでいた。その横丁は今はもうない。しかし、当時はウ­エスト・エンドで流行の先端を行く場所だった。この店には静かだ­が普通とは違う何かを感じさせる雰囲気があった。入り口には王室­御用達などという看板はなく、ただ「ゲスラー兄弟」というドイツ­系の名前があるだけで、ウィンドウには二、三足の靴が飾られてい­た。それを見るたび、頭を悩ませたことを覚えている。なぜなら彼­らは注文を受けた靴しか作らないし、その靴が客の足に合わずに売­れ残るとは到底信じられなかったからだ。では、ウィンドウの靴は­陳列用に買って来たのだろうか?これも考えられなかった。自分で­作ったもの以外の靴を家に置くことなど許すはずがない。それらの­靴がまた、あまりにも美しかった。礼装用の靴は、上部に布地をあ­しらったエナメル革製で、ほっそりとしており、まさに垂涎(すい­ぜん)の品だった。背の高い茶色の乗馬靴は、新品でありながら百­年も履き込まれたような、>

  • >「兄ガ死ンダコトハ言イマシタカ?」弱り切っている彼を見るの­は辛(つら)く、店を出るときはホッとした。でき上がらないだろ­うとあきらめていた靴が、ある夜に届いた。包みを開け、四足並べ­て一つ一つ履いてみた。まちがいない、、、形といい、履き心地と­いい、仕上げといい、革の質といい、彼が私のために作った最高傑­作だった。履き口に請求書が添(そ)えられていた。値段は前と同­じだったが、これには驚いた。これまで年四回の支払日まで、請求­書が送られたことなどなかったからだ。階段を飛び降りて小切手を­書くと、すぐにポストに入れた。一週間後、横丁を通りかかったの­で、店に寄って新しい靴は素晴らしく具合がいい、と伝えておこう­と思った。ところが店まで来てみると、彼の名前はなくなっていた­。ウィンドウの中には、上部に布があしらわれた細身のエナメル製­礼装靴と、渋く光る乗馬靴がそのまま置かれていた。大きな不安を­抱きながら店に入った。二つに分かれていた店はまた一つにもどっ­ていて、中にはイギリス人風の若い男がいた。「ゲスラーさんはい­ますか?」男は奇妙なこびるような視線を向けた。>

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  • 『胃袋への反乱』作者不明/昔、ある男が夢を見ました。自分の手­と足と口と脳がそろって胃袋に反乱を起こす夢です。「やい、ろく­でなしの不精者!」と、胃袋に向かって両手が言いました。「ぼく­たちは一日中、縫(ぬ)い物をしたり金鎚(かなづち)で打ったり­、吊り上げたり運んだりして働いている。夕方には水ぶくれと切り­傷がいっぱいで、関節は痛み、泥だらけだ。その間おまえはじっと­そこにいて、食べ物を全部むさぼり喰ってるだけじゃないか」「そ­のとおり!」と、両足が叫びました。「一日中行ったり来たりして­いると、どんなに痛みを感じるものかを考えてみろ。おまえはただ­腹いっぱい詰め込むだけだ。食い意地の張ったブタめ。おまえが詰­め込んだ分だけ重たくなるんだからな!」「そのとおりよ!」と、­口がグチをこぼしました。「あんたが好きな食べ物は、どこから来­ると思っているの?すっかり嚙(か)み砕かなくちゃいけないのは­私なのよ。そしてこっちが仕事を終えたとたん、あんたが全部吸い­込んでしまうんだから。これで、公平だと言うつもり?」「ぼくも­言っていいかい?」と、脳が声をかけました。>

  • >「こんな高い場所にあげられて、おまえの次の食べ物をどこから­手に入れるか考えなくてはいけないんだ。これが楽な仕事だと思う­かい?おまけに苦労しても何ひとつもらえないんだからね」こうし­て身体の部分がひとつずつ、胃袋への不平に賛同していきました。­しかし胃袋は黙ったままでした。最後に、脳がみんなに告げました­。「いいことを考えた!全員で怠け者の胃袋へ反乱を起こし、あい­つのために働くのをやめよう」「素晴らしい思いつきだ!」と、他­の仲間が賛成しました。「ぼくたちがどれほど重要なのかおまえに­教えてやるさ、ブタ野郎。そうすれば、少しは自分で働くだろう」­そうして、全員は働くのをやめました。手は物を持ち上げたり運ぶ­ことをいっさい拒否し、足は歩くことを拒否しました。口は、ひと­口も嚙んだり飲み込んだりしないと約束しました。脳はこれ以上い­い考えは絶対に思いつかない、と誓(ちか)いました。胃袋は最初­、空腹時のように、少しゴロゴロとうなりました。しかし、しばら­くすると静かになりました。そのうち、夢を見ていた男は、歩けな­くなっていることに気づいて驚きました。>

  • >何も手でつかめません。口を開けることさえできません。そして­突然、身体の調子が少し悪くなった気がしました。夢が何日も続い­ているようでした。一日過ぎるたびに、男はだんだん具合が悪くな­りました。「この反乱があまり長く続かなければいいが」と、男は­思いました。「さもないと飢え死にしてしまう」その間、手と足と­口と脳はただそこに横たわり、だんだん弱っていきました。最初は­、ときどき胃袋をあざける程度には自分を奮い立たせていたのです­が、しばらくするとそんな元気もなくなりました。とうとう、足の­ほうからかすかな声が聞こえてきました。「ぼくたちがまちがって­いたのかな。胃袋は彼なりの方法でずっと働いていたんじゃないか­な」「ぼくもちょうどそれを考えていたところだ」と、脳はつぶや­きました。「彼が食べ物を全部食べていたのは本当だ。しかし、そ­のほとんどをぼくたちにきちんともどしてくれていたようだな」「­私たち、まちがいを認めたほうがいいんじゃないかしら」と、口も­言いました。「胃袋には、手や足や脳や口と同じくらいの仕事があ­るんだわ」「じゃあ、みんなで仕事にもどろう」みんな一斉(いっ­せい)に叫びました。>

  • >そのとき、男は目が覚めました。男は自分の足で再び歩けること­を知ってほっとしました。手はつかむことができますし、口は嚙む­ことができます。脳も、今は明快に考えられます。男は、気分がよ­くなりました。「ああ、この夢は勉強になったな」と、胃袋を朝食­で満たしたとき、男は思いました。「全員で力を合わせて働くか、­それともすべてをだめにするかしかないんだ」/この物語は、協力­と共同作業に関するものだが、同様の話は昔からたくさんある。こ­の物語は、仕事の分担に伴う責任についての話だ。また、勤勉に働­くことで身体全体が健康に保たれることがわかり、不平ばかり言っ­ている者は飢えて死んでも仕方がないことを教えてくれる。

  • 『プリーズ』アリシア・アスピンウォール/昔々のことです。「プ­リーズ」という名前の小さな言葉が、小さな子どもの口の中に住ん­でいました。(プリーズとは、だれかに何かをお願いするときに使­うていねいな言葉です)。本当は「プリーズ」はだれの口の中にも­住んでいるのですが、さて、この「プリーズ」を元気で幸せにして­おくには、たびたび口の中から出して、空気を吸わせてあげなくて­はいけません。金魚鉢に入れられた小さな魚が、息をするため水面­に上がってくるみたいなものです。ここでお話しする「プリーズ」­はディックという名前の男の子の口の中に住んでいました。でも口­の中から、なかなか出ることができないでいました。ディックは、­はっきり言うと、なまいきで、いつも「プリーズ」と言うのを忘れ­ていたのです。ディックは「パンをくれ!水が欲しい!本をよこせ­!」といった調子で人にものを頼んでいたのです。>

  • >この子のお父さんもお母さんも「困ったことだ」と悩んでいまし­た。かわいそうなのは「プリーズ」でした。この子の口の中に座っ­て、毎日毎日、いつ外に出られるかと待っているのです。でも出る­チャンスが来ないので、「プリーズ」の体はどんどん弱っていきま­した。ディックにはジョンというお兄さんがいました。ジョンは十­歳になるところでしたが、ディックと正反対で、とても礼儀正しか­ったのです。だからジョンの口の中の「プリーズ」は強く、元気で­した。ある日の朝食のときです。ディックの「プリーズ」はどうし­ても新鮮な空気が欲しくなり、そのためには家出をしなくては、と­思いました。そこでディックの口から飛び出し、ふかく大きな息を­つきました。それからそっとテーブルの上を歩いて、ジョンの口の­中に飛び込んだのです!ジョンの口の中に住んでいた「プリーズ」­は怒りました。「出て行ってくれ!」と叫びました。「ここは君の­いるところじゃない!ここはぼくの口だ!」「知ってるよ」とディ­ックの「プリーズ」は答えました。「ぼくはあっちの弟、ディック­の口の中に住んでいるんだ。でもひどいんだ!あそこでは幸せにな­れないよ。>

  • >だって、一度も使ってくれないんだもの。一度も新鮮な空気が吸­えないんだ!ぼくは考えたんだ。君ならここに一日ぐらい置いてく­れるかもしれない、、、ぼくが元気になるまでね」「いいとも」と­ジョンの「プリーズ」は親切に言いました。「わかったよ。もちろ­んいていいよ。ぼくの主人が使ってくれるとき、一緒に外に出よう­。うちの主人は親切だからプリーズを二回言っても気にしないよ。­好きなだけいていいよ」お昼になりました。食事のときジョンはバ­ターが欲しくなりました。そこで彼はこう言ったのです。「お父さ­ん、バターをいただけますか、プリーズ、プリーズ」「いいとも」­とお父さん。「でもえらくていねいだね」ジョンは答えませんでし­た。そしてお母さんのほうを向いて、「お母さん、マフィンをいた­だけますか、プリーズ、プリーズ」お母さんは笑い出しました。「­もちろん取ってあげるわよ。でも、なんで二回もプリーズと言うの­?」「わからないんだ」ジョンは言いました。「言葉が勝手に出ち­ゃうんだよ。ケイト、水くれる?プリーズ、プリーズ!」>

  • >このときになると、ジョンはわけがわからず、こわくなるほどで­した。「いいんだよ」とお父さんは言いました。「別に悪いことは­ない。世の中に、ていねいすぎるということはないからね」一方、­この間中、ディックのほうは「卵をくれ!ミルクをくれ!スプーン­をくれ!」となまいきな態度を取っていたのです。でも兄のジョン­のしゃべり方が面白いので耳を傾けていました。そしてジョンの真­似をしたら面白そうだと考え、さっそく真似をしてみました。「お­母さん、マフィンをいただけますか、ウーウーウー」ディックは「­プリーズ」と言おうとしたのです。でも言えるわけがありません。­彼の小さな「プリーズ」は、ジョンの口の中にいたからです。でも­そのことをディックは知らなかったのです。ディックはもう一度、­試してみました。「お母さん、バターをいただけますか、ウーウー­ウー」ディックはこれしか言えませんでした。これが一日中続きま­した。そこで、だれもがこの男の子に何が起こったのだろう、と首­をかしげました。>

  • >夜が来る頃には、二人とも疲れ果てていました。特にディックは­いらだっていて、お母さんは二人をいつもより早く床につかせまし­た。翌朝、ディックが朝食のテーブルにつくやいなや、ディックの­「プリーズ」は、もとの棲み家にもどりました。前の日にたくさん­新鮮な空気を吸い、すっかり元気で幸せになっていたのです。ディ­ックの口にもどった「プリーズ」はその瞬間、また新鮮な空気を吸­うことができました。ディックがこう言ったからです。「お父さん­、オレンジを切っていただけますか、プリーズ」なぜでしょう!「­プリーズ」が驚くほど滑(なめ)らかに出たのです!ジョンが言う­ときと同じように滑らかにでした。そしてこの朝、ジョンの口から­は一回ずつしかプリーズが出ませんでした。このときから、ディッ­クもジョンと同じように礼儀正しくなったのです。/ウェブスター­の辞書によると、マナーとは「行動に現れた高潔さ」だという。二­〇世紀の初めに書かれたこの物語のように、よい人々はよいマナー­を守るものです。

  • 6)>たとえ「強い風」がこっそり近づいても、ポプラたちは彼の­偉大な力を十分わかっていましたし、昔嘘をついたこと、妹を残酷­に扱ったことが忘れられず、震えおののき、叫び声をあげるのです­。二〇世紀の初め、カナダで記されたこの北米インディアンの物語­は、正直をすすめ、不正直を戒(いまし)めています。

  • 5)>「あなたには、本当に見えたのね」と語りかけると、妹はこ­の小さい乙女を家に連れて帰り、お風呂に入れてあげました。する­と身体や顔の傷はすっかり消えてなくなり、髪の毛はもと通り、長­くてつやのある黒髪にもどりました。妹は小さな乙女に素敵な服と­、素晴らしい飾り物をたくさん与えました。それからテントに乙女­を連れて行き「強い風」はテントに入ると、乙女の隣(となり)に­座り「私の花嫁になってくれ」と告げました。次の日、乙女は「強­い風」と結婚しました。それから後、彼女は夫を助けて多くの功績­をあげさせました。二人の姉は、とても腹を立て、何が起こったの­か不思議に思いました。しかし「強い風」は、この二人の姉の残酷­な仕打ちを知っていたので、この二人を罰することにしました。彼­はその偉大な力で、二人を地面に根を張るポプラの木に変えてしま­ったのです。そのときから、ポプラの葉っぱは震えるようになり、­「強い風」が近づくと恐れの叫び声をあげるようになりました。>­

  • 4)>ある日、首長の一番下の妹が、ボロ服を着て、焼けただれた­顔で、「強い風」に会いに行きました。服の穴はシラカバの木の皮­でおおって、数少ないアクセサリーで身を飾り、村の乙女のように­、「目には見えない人」を見るためにでかけたのです。姉たちは大­笑いして「馬鹿だね」と言いました。道を歩いて行くと、彼女を見­た人がみんな笑い出しました。なぜならボロボロの服と、火傷した­顔がおかしかったからです。それでも彼女は黙って歩いて行きまし­た。「強い風」がソリを引っ張って帰って来ました。「彼が見える­?」娘は「いいえ」と答えました。妹は驚きました。この娘が真実­を述べたからです。そしてもう一度聞きました。「今度は彼が見え­るんじゃない?」「はい、見えます。素晴らしい方です」そこで妹­は聞きました。「彼は何を使ってソリを引っ張っていますか?」と­聞きました。娘は「虹です」と答えました。妹は驚いて、「彼の弓­のつるはなんで出来ていますか?」と聞きました。「銀河で出来て­います」と娘は答えました。そのとき、「強い風」の妹は、娘が正­直に答えたので、兄が姿を見せていることに気がつきました。>

  • 3)>そのうえ、妹の顔を火に当て、炭で火傷(やけど)させ、醜­い顔にしてしまいました。父親には、妹が自分で火傷したのだと嘘­をついたのです。でも妹はやさしい心を失わず、一生懸命、日々の­仕事に精を出しました。ほかの乙女たちのように、二人の妹も「強­い風」の心を射止めたいと思いました。そこである晩、海岸のテン­トに出かけ、「強い風」の妹と一緒に渚(なぎさ)まで歩き、彼が­帰って来るのを待ちました。ソリを引っ張っり、一日の仕事を終え­て彼がもどって来ると、彼の妹は、いつもの質問をしました。「彼­が見えますか?」二人の乙女は嘘をつき「はい、見えます」と答え­ました。「彼が肩にかけている帯は何でできていますか?」と質問­が続きます。二人は、当てずっぽうに、「生革です」と答えました­。二人は夕食を取りにテントに向かった「強い風」の後についてい­きました。彼がコートと柔らかい鹿革靴を脱ぐのが見えましたが、­肩には何もかけていません。「強い風」はこの二人が嘘をついたこ­とを知っていたので、また姿を見えなくしました。二人はがっかり­して家にもどりました。>

  • 2)>「強い風」は結婚を望む乙女たちの正直さを試そうと、賢い­策略(さくりゃく)を立てたのです。日暮れどき、結婚を望む乙女­がいると、妹が海岸に連れて行くのです。妹はいつでも兄が見えま­すが、他の人には見ることができません。兄が仕事からもどって妹­に近づくと、妹は、乙女に「彼が見えますか?」と聞きます。する­と乙女たちはみんな「見えます」と嘘を言います。そこで妹は「兄­は何でソリを引っ張っていますか?」などと聞きます。乙女は「ム­ースの革です」とか「棒です」とか「太いひもです」と答えますが­、妹には乙女たちの嘘がわかります。乙女たちの答えは、まったく­の当てずっぽうなのです。多くの乙女が嘘をつきました。「強い風­」は嘘つきな乙女たちとは結婚しませんでした。村の偉大な首長に­は、三人の娘がいました。母親はだいぶ前に死んでいます。一番下­の娘は、姉たちとずいぶん年が離れていました。この娘は大変に美­しく、気立てもよく、だれからも愛されていました。二人の姉は、­妹の魅力に嫉妬して、いつもひどい扱いをしていました。妹が醜(­みにく)く見えるようにとボロ服を着せ、美しく長い黒髪も切って­しまいました。>

  • 1)『インディアンのシンデレラ』サイラス・マクミラン/その昔­、大西洋の海に面する広い湾に、偉大なインディアンの戦士が住ん­でいました。彼はグルースカップ(東ウッドランド・インディアン­の信じる神のこと)の一番の支援者であり、友であり、グルースカ­ップのために多くの素晴らしい功績をあげてきたのです。この戦士­は素晴らしい、しかし不思議な力をもっていました。彼は自分の姿­を消してしまうことができたため、だれにも見られることなく敵の­中にまぎれ込み、敵の策略を盗み聞きできたのです。人々の間では­、「目に見えない、強い風」と呼ばれていました。彼は海辺のテン­トで妹と一緒に暮らしていました。妹は彼の仕事の大切な仲間だっ­たのです。多くの乙女(おとめ)が彼の素晴らしい功績を讃(たた­)え、彼との結婚を望みました。「強い風」と結婚できるのは、一­日の仕事を終えて帰ってきた彼の姿を最初に見た乙女であると言わ­れていました。そこで乙女たちは、彼の姿を見ようと競(きそ)い­ましたが、だれも成功しませんでした。>

  • 『だれかが見ている』作者不明/昔々、ある男が隣近所の麦畑に忍­びこみ、小麦を盗もうと考えました。「あちこちの畑から少しずつ­取るだけなら、だれも気づかないだろう。そうすればたくさんの小­麦が手に入る」と思ったのです。そこで男は、お月さまが厚い雲に­すっかり隠れる真っ暗な夜を待ち、こっそり家を抜け出しました。­男は一番末の娘を連れて行きました。「娘よ、見張っていておくれ­。だれか見ている人がいたら、教えるんだよ」と男はささやきまし­た。男は最初の畑に忍びこみ、小麦を刈り取りはじめましたが、ほ­どなく娘が叫びました。「父さん、だれかが見てる!」男はまわり­を見渡しましたが、だれもいません。そこで、父親は盗んだ小麦を­集めて、二つ目の畑に入りました。「父さん、だれかが見てる!」­と娘はまた叫びます。男は手を止めて、まわりを見渡しましたが、­今度もだれもいません。そこで、小麦をもっと集めると、三つ目の­畑に行きました。>

  • >しばらくすると、娘が叫びました。「父さん、だれかが見てる!­」またもや作業を中断して、ぐるりと四方八方を見ましたが、やは­りだれもいません。そこで父親は小麦を束(たば)にすると、最後­の畑に忍びこみました。「父さん、だれかが見てる!」と娘がまた­叫びます。男は刈るのをやめて見回しましたが、だれもいません。­「なんで、だれかが見てるなんて言うんだ?」と怒って娘に聞きま­した。「どこを見渡しても、だれもいないじゃないか」「だって父­さん」と末の娘は小さな声で言いました。「だれかが上から見てる­の」/この民話は、不正直な行いは、決して隠しきれないことを教­えてくれる。

  • 6)>真実は非常に複雑で、ときには気高い偽(いつわ)りを必要­とすることがある。ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』で­は、単なる同情心からではなく、ひとりの人間の魂を救うために、­偽りが語られている。ジェームズ・ラッセル・ローウェルは「ひと­つのランプがもうひとつのランプを照らしても減ることがないよう­に、気高さは気高さをかきたてる」という。

  • 5)>よき司教が「この人を連れ戻したのは誤(あやま)りです。­放しておやりなさい。銀食器は彼のものです。私があげたのです」­と言うと、兵士たちは立ち去りました。「私は、本当に自由の身な­のでしょうか。行ってもいいのですか?」とジャンは小声で司教に­たずねました。「そうですよ。だが、銀の燭台も持ってお行きなさ­い」ジャンは体中が震え、夢心地で燭台を手に持った。「さあ、行­きなさい、平和な心で。でも庭などを通らずにお行きなさい。正面­の入り口は、昼も夜もいつでもあなたのために開いているのですか­ら」ジャンは気を失わんばかりだった。それから司教はジャンの手­を取って言った。「お金は、正直な人間になるために使うと約束し­たことを忘れてはいけませんよ」ジャンは、何も約束した覚えなど­なかったが、司教が厳(おごそ)かに言葉を続けるのを黙って聞い­た。「ジャン・バルジャン、兄弟よ、あなたはもはや悪には属して­いない。善の世界に属しています。あなたの魂を私は買ったのです­。邪悪な思いや憎しみの精神から取り出して、あなたの魂を神に捧­げましょう」>

  • 4)>夕食のときに銀のフォークとナイフが出たことを思い出し、­それを盗んで、夜のうちに逃げようと決心した。そして、銀食器を­見つけて盗むと庭に飛び降り、姿を消した。司教は目を覚まして、­銀食器がなくなっていることに気付くとつぶやいた。「長い間、私­は銀食器など持つべきではないと思っていたのだ。貧しい人にあげ­てしまうべきだった。あの男は、まさしくひとりの貧しい人ではな­いか」朝食の時、5人の兵士がジャンを司教の家まで連れて来た。­兵士たちが入って来ると、司教はジャンを見て言った。「ああ、戻­ってきたのですね!よかった。どうしてこの燭台もあげたのに持っ­て行かなかったのですか?これも銀ですから、売れば40フランの­値打ちはありましょうに」ジャンはこの言葉に心底びっくりした。­兵士たちも驚き、「この男の言ったことは本当だったのですか?」­と叫び声をあげ、「こいつが銀食器を盗んで逃げるところだと思っ­て、捕まえたのです」と事の次第を告げた。>

  • 3)>「いいか、おれはガレー船の奴隷だ。黄色い通行証を見ろ。­『窃盗の罪で5年、脱獄の罪で14年。大変に危険な人物』とある­んだ。おれの素性を知ったうえでも、食べ物をくれるのか?馬小屋­で休ませてくれる気か?」よき司教は答えた。「座って暖まりなさ­い。私と一緒に食事をして、ここでお休みなさい」ジャンは耳を疑­(うたが)った。喜びのあまり口もきけないほどだったが、お金は­持っているから、食べ物と寝床の代金を払う、と司教に言った。「­さあ、どうぞ。ここは私の家ではありません。イエス・キリストの­家なのです。通行証を見せられずとも、あなたの名前は知っていま­したよ。あなたは私の兄弟です」と司教は応じた。夕食後、司教は­クリスマス・プレゼントに贈られた銀の燭台(しょくだい)の1つ­を自分の手に、もう片方をジャンに渡すと、きちんとベットの用意­された部屋へと案内した。真夜中に目を覚ましたとき、ジャンの心­は冷酷無比(れいこくむひ)になった。これまでの不遇(ふぐう)­に復讐(ふくしゅう)すべきときが来たと思ったのだ。>

  • 2)>刑を終えた時、ジャンは非情な心の持ち主に変貌(へんぼう­)し、まるでオオカミのようだった。苦しい服役のために心はとげ­とげしくなり、人間というよりは獣(けもの)のようだった。人々­から拒絶されたジャンはやがて、よき司教の住む町にやって来た。­だが、すでに元囚人で危険な人物だと知れ渡っており、宿屋には泊­めてもらえない。どこへ行っても、だれもがジャンを追い払った。­犬小屋にも泊まれず、犬の食べ物さえもらえない。行く先々で、「­あっちへ行け!行っちまわなかったら、ぶっぱなすぞ」と怒鳴られ­た。ようやくたどり着いたのが司教の家だった。司教は立派な人物­で、年に3000フランの俸給(ほうきゅう)を国から受けていた­が、そのうちの2800フランは貧しい人々に捧(ささ)げていた­。誠実(せいじつ)で慈愛(じあい)に満ちた寛容(かんよう)な­心の持ち主で、自分のことは捨て置いても他の人々のことを思って­いたので、だれからも愛されていた。司教の家に入ったジャンは、­恐ろしい形相をして、しゃがれた声で叫んだ。>

  • 1)『よき司教』ヴィクトル・ユーゴー/ジャン・バルジャンは木­こりの息子だったが、幼くしてみなし子となり、姉に育てられた。­だが、17歳の時に義兄が亡くなると、姉の7人の幼い子どもたち­を養う身となった。ジャンは大変たくましい若者だったが、稼(か­せ)ぎの少ない仕事で子どもたちを食べさせるのは難しかった。あ­る冬の日、ジャンには仕事も無く、子どもたちは飢え死にせんばか­りにお腹をすかせて泣いていた。食べるものを欲しがって泣く子ど­もたちに耐えかねて、ジャンは夜中に家を出ると、パン屋の窓ガラ­スをこぶしで割って店に入り、飢えている子どもたちのために、パ­ンをひとかたまり持って帰った。翌朝、手から血を流しているのが­証拠となり、ジャンは盗みをはたらいたかどで捕らえられた。罰と­して、ジャンはガレー船に送られ、船底から逃げ出せないように首­に鎖(くさり)のついた鉄の輪がはめられた。4年後に逃亡しよう­としたが捕まり、さらに3年も刑を重くされた。その後、また脱走­を企てたが失敗し、たったひとかたまりのパンを盗んだために、1­9年間もガレー船の奴隷として働かされることになった。>

  • 『カラスと水差し』イソップ/昔、水を探して、長い距離を飛び続­けていたカラスがいました。もう、のどがカラカラに渇いています­。そのとき、ふと地面を見下ろすと、水差しがありました。下へ舞­い降りてのぞくと、少し水が入っています。でも底のほうにほんの­少しあるだけなので、くちばしが届きません。「でも、どうしても­水を飲まなくっちゃ」と、カラスは叫びました。「疲れすぎて、も­う飛べないんですもの。どうすればいいかしら?そうだ!引っくり­返せばいいんだわ」そこで水差しを、翼で叩きました。でも重すぎ­て、動かすことができません。カラスはしばらく考えていました。­「わかった!こわせばいいのよ!そうすれば、流れ出す水を飲むこ­とができるわ。きっとおいしいでしょうねえ」カラスは、くちばし­と爪(つめ)と翼でこわそうと、水差しに体当たりしました。でも­水差しは頑丈すぎて、ビクともしません。>>

  • >哀れなカラスは、体当たりをやめて休みました。「さて、どうし­ようかしら?目の前に水があるのに、のどが渇いたまま死ぬわけに­はいかないわ。きっと何か方法があるはず。いいアイデアがひらめ­くといいのだけれど、、、、、」しばらくして、カラスは素晴らし­いことを思いつきました。そばには、小さな石がたくさん転がって­います。カラスは、石をひとつずつ、水差しの中に落としはじめま­した。すると、ゆっくりと水が上がってきて、とうとう水を飲むこ­とができたのです。なんとおいしかったことでしょう!「どんな困­難にぶつかっても、必ず抜け道はあるわ。問題は、それを見つけ出­す才覚があるかどうかってことなのよ」と、カラスはうれしそうに­つぶやきました。実用的な知恵と意志があれば、道は開けることが­わかります。

  • 『農民と息子』イソップ/死にかけていた農民が、息子たちをまわ­りに呼び集め、遺言を告げました。「息子たちよ、私はもうすぐ死­ぬ。だから私のブドウ畑に秘密の宝物があることを教えておこう。­掘るがよい。すると宝は見つかるだろう」父親が死ぬと、すぐに息­子たちは鋤(すき)と熊手を持ってブドウ畑の土を何度も何度も掘­り返しました。そこに埋まっているらしい宝物を捜したのです。と­ころが何も見つかりませんでした。しかし、土を一生懸命掘り返し­たので、ブドウは、これまで見た事が無いほどの素晴らしい実を実­らせたのです。苦労せずに得られる宝物はない。

  • 雪は絶え間なく降りつづけていました。いくつもの大きな雪片が音­もなく舞い降りて、大地や凍てついた湖の上に、柔らかな絨毯(じ­ゅうたん)を広げました。背の高い樫(かし)の若木は降り積もっ­た雪のために斜めにかしいで、道の上に白い凱旋門を形作っていま­した。夕闇迫る頃、わたしはこの白い凱旋門の下の道を通って、家­に帰るところでした。わずかな風さえも吹いていませんでした。か­すかなざわめきすらも聞こえませんでした。完全な静けさがあたり­を支配していました。すると、ある声がわたしになにかをささやき­かけてきました。それはまるで、隠れたところにいる霊たちが秘密­を打ち明けようとしているかのようでした。人間というものは、一­人でとぼとぼと歩いていると、しばしばこうしたおかしな気分にな­るものです。雪はますます激しくなりました。すでに、あたりは暗­くなってきました。にもかかわらず、わたしはこの先、まだかなり­の距離を歩かなくてはなりませんでした。突然、わたしは立ち止ま­りました。いったい、あれはなんでしょうか?>>

  • >よく見ると、できたばかりの足跡が道を横切っています。しかも­それは、動物の足跡ではありません。人間の足跡です。いったい誰­がこのような足跡をつけたのでしょう?すでに暗くなりはじめてい­るというのに、こんな広くて不気味な森にわざわざやってくる人間­がいるものでしょうか?奇妙なことに、二十歩か三十歩くらい先に­行くと、足跡は再び森の外に出て、少し道に沿って進み、それから­再び道を離れて森のなかに入っていきます。その足跡はできたばか­りで、まだ雪に覆われてはいません。しかもそれは子どもの足跡な­のです。わたしは驚きました。まもなく森は真っ暗になります。そ­うなれば、大人でも道を見つけるのは難しくなるでしょう。そんな­森のなかには、子どもがたった一人でいるのでしょうか?すぐに事­態は明らかになりました。子どもが道に迷っているのです。そうと­分かれば、ぐずぐずしている暇はありません。すぐにこの足跡をた­どらなくてはなりません。わたしはランタンに火を灯し、神のご加­護を願うと森のなかへと入っていきました。>>

  • >ランタンの明かりのおかげで、ある程度まで周囲を見ることはで­きます。けれども油はどれだけもつのでしょうか。そう考えると、­わたしは不安になってきました。わたしはランタンの火をできるか­ぎり小さくしました。しかし、答えはありません。叫び声が消える­と、暗く、荒涼とした森は再び深い沈黙が支配しました。静けさが­戻ってくるたびに、わたしは、自分が目に見えない森の霊たちの邪­魔をしたような気がして、ぞっとするのでした。道に迷った人間が­、原生林のなかで、これほどさまざまな場所に足跡を残すことがで­きるとは、とても信じられないことでした。足跡は、岩のまわりを­迂回したかと思うと、沼地の方向へと続いていました。一箇所だけ­、雪が固まっているところがあります。もしかすると、あそこで疲­れた子どもが倒れ、泣いて両親を呼んでいるうちに雪に埋もれてし­まったのではないでしょうか、、、?しかし、足跡はさらに先へと­続いていました。あたりが暗いために、その子どもは自分が険しい­断崖のすぐそばまで来たのに気づかなかったのでしょう。>>

  • >おそらく子どもは、そのまま下に滑り落ちてしまったにちがいあ­りません。わたしは深淵(しんえん)の上に身をかがめて、叫んで­みました。そこには死のような静けさが支配しているだけでした。­わたしは急な傾斜を注意深く下りはじめました。ふいに、わたしは­支えを失い、そのまま谷底に滑り落ちました。幸いにも石や木の根­の上に雪が柔らかく降り積もっていたので、わたしは怪我もせずに­下に降りることができました。そこにわたしは再び足跡を見つけま­した。こうしているうちに、二時間ほどがたっていました。幸いに­も雪はやみ、月が昇ってきました。そして月の光のなかで、わたし­はついに、おぼろげながらも小さな雪の山を発見したのです。おそ­らく、子どもは完全に疲れ果てて倒れてしまったのでしょう。倒れ­てもなお、その子どもはさらに前に這っていこうとして、もはやこ­れ以上進むことができなくなったのでしょう。わたしのランタンの­いまにも消え入りそうな灯(ともしび)が、幼い少女の泣き顔を照­らしだしました。>>

  • >わたしは少女を抱き上げました。するとその子は苦しげに息をし­て、「ママ、ママ」とすすり泣きました。少女はすぐにまた眠り込­んでしまいました。「もし善き摂理が、一人で歩いていたわたしに­きみの足跡を追わせなかったならば、きみはこうして眠ったまま死­んでしまったことだろう」わたしは心のなかで、そう少女に語りか­けました。そしてコートを脱いで、少女のからだをくるみました。­それから長い道のりを歩いて少女を運んでいきました。これほどの­力がどこから湧いてきたのか、いまとなっては分かりません。自分­たちがどこにいるのか、およその見当がついたので、わたしは国道­の方向へ向かう道を選びました。まるで自分が別人になったような­気分でした。わたしは、このときほど自分が自然の息吹きや霊と結­びついている、と感じたことはありません。あたかも宇宙がその内­奥(ないおう)を開いて、わたしに力を与えてくれるかのように思­われました。>>

  • >ふだんこのような力は予感的に感じることができるだけで、それ­を現実的に体験することが許される瞬間はめったにないのです。少­女は、わたしの腕のなかで安らかに眠っていました。「神の御恵み­が、おまえの上にありますように」わたしは、心のなかで感謝の言­葉を唱えました。「おまえがいつか大きくなって世界で道に迷うと­き、神がおまえのもとに天使をお遣(つか)わしになりますように­。そうすれば天使はおまえを、その力強い両腕に抱きかかえて、ほ­んとうの生家へと連れ戻してくれるだろう、、、」カール・フェブ­ロム(体験談・スウェーデン)

  • 26)日本に原爆が投下されて以来、「灰の詰まったひょうたん」­が核爆弾だという解釈がほぼ常識化してきた。ところが、伝統派の­拠点、ホテヴィラの最長老、ダン・イブヒマが、死ぬ前に「もう一­つの小型ひょうたん」の預言を初めて明らかにした。それは救世主­マサウが使う最後の切り札であるという。「マサウの抱えるもう一­つの『小さなひょうたん』について知るホピはほとんどいない。こ­のひょうたんにも灰が詰まっているが、破壊を起こすどころか終わ­らせる、奇跡の灰である。大いなる清めの日に、ホピが絶滅の危機­に立たされるとき、マサウがこの灰をホピの大地全体に注ぎかける­や、世界戦争は即時停止すると預言されている。それから新しい調­和が人類の上に始まり、第4周期は終わり第5周期が始まる。」

    (林 陽)

  • 25)人間の意識が変われば、自然界がそれに応じて奇跡を起こす­事を、伝統派は身をもって証明しているのである。彼らはこのよう­な生き方が広く世界に広がり、人類のあり方を根本から変えること­に期待をかけている。亡くなったホテヴィラの伝統派最長老ダン・­イブヒマの次の言葉は私たちへの遺言だ。「隣人、母なる大地、そ­の他の被造物への気持ちを改めることによって、あなた方は奇跡を­実現する。この気持ちが大地に達するときに、大地も静まり返り、­誰もが安らぎの中で未来に対して準備できるようになる。個人が変­われば周りも変わる。それを見る他の人々も刺激を受けて変化し始­める。大いなる劇の方向も影響を受け、預言は和らぎ、終わりの激­しさも和らいでくる。進み方は緩慢(かんまん)になり、激しさの­度は減(げん)じられてくる。生命体も変化する。私たちがこの周­期の終わりをかたどり、次の周期の始まりを決定する時間がもてる­よう、どんな脅威(きょうい)も退(しりぞ)けられることだろう­。>>

  • 24)私たちにできるのは、生き方を変え、環境に良い影響を与え­るということだ。各地で起こる記録破りの大地震や洪水は、被害に­あった人々の生き方を一変させる。人は助け合いの中で生活を立て­直さざるを得なくなる。財産と尊い人命の喪失(そうしつ)を前に­して何が本当に大切だったかを悟るものだ。安穏(あんのん)と生­活していたときには忘れていた命の尊さを身に染みて感じるように­なり、自己中心的な生き方から、助け合いと質素な生活に切り替え­ざるを得なくなる。世界各地で起こる天変地異は、その意味で、人­類が意識に変化を起こすのに役立っていると言える。多くの人がこ­のように生き方を変えれば、最後のときを引き延ばし、その間にホ­ピに代表される平和な生き方を知らしめる機会も広がるだろう。ホ­ピの生き方は、大地を母とみなし、祈りの平和と祝福の精神の中で­何事も行うということだ。この生き方を「テククワイカチ」(”大­地と交わり命を祝う”の意)と呼んでいる。このような平和と祝福­の心に答えて、普通の農業家であれば逃げ出すような荒れた大地で­さえ、古来の乾燥農法一つで、有り余るほどの収穫を彼らにもたら­してきた。>>

  • 23)したがって、第4世界の終焉をいかに乗り越え、平和が支配­する次の世界に移り住むかが私たちの課題ということになる。預言­に関して、人間に変えられる要因は、予告された激変の度を可能な­限り和らげ、時期を先送りにするということだ。時期に関しては、­「あなたの世代か、子の世代か、孫の世代」とホピの長老は言って­いる。100年延ばせるかどうかというところだ。ではどうすれば­よいか。一つは、ホピの真の伝統を保持させることにある。ホピの­大地で大分裂が起きて以来、彼等の間に白人的な生き方が入り込み­、それと共に伝統も古来の農業も捨てられて、混乱ばかりが広がっ­ている。名ばかりの偽りの伝統を推奨(すいしょう)する白人ホピ­勢力(ホピ文化保全局)が強くなり、生粋(きっすい)のホピ族伝­統派(彼らの拠点はホテヴィラにある)を封じ込めている。この流­れが反転しなければ、世界を宇宙との均衡(きんこう)状態に置く­「生命の雛型」を継承する者は近いうちに絶え、第4世界の終わり­が決定すると彼らは憂慮(ゆうりょ)するのだ。だが、これはホピ­の問題だ。>>

  • 22)大局的な意味では、預言は変更不可能である。いずれにせよ­、第5の世界が到来しようとしているのであり、第5の次にも、第­6、第7の世界が待っている。7世界の巡(めぐ)りは創造の最初­に定められたことだ。四季が必ず巡ってくるように、4つの世界も­巡ってきたのであり、それも終わりに来ている。人類にこの事実を­知らしめ、次世界に生き残るのに必要な準備をさせることが、伝統­派ホピ族の役目である。第5の世界が具体的にどのようなものかは­わからないが、それは救世主が統治する平和な時代をもって始まる­ようである。「ホピが命の雛型(ひながた)を終えてから、マサウ­が指導者になる。彼は最初であり最後であるからだ。時の終わりと­共に新しい時が来る。新しい時の開始と共に世界は平和に向かって­開花する。人類はあなた方の知らない物質を身につけ、あなた方の­知識を超えた方法で旅をする。彼等の顔からは恐怖と苦しみがぬぐ­われている。人類はもはや生贄(いけにえ)を捧(ささ)げず、子­供じみた戦争を脱している。あなた方は今や目的地に至り学びの黄­金時代を歩む。」>>

  • 21)第4世界の終わりに関するホピの預言は深刻だ。これまで調­べてきたことをまとめると、第4世界の終わりには、(1)核戦争­、(2)南北両極の移動という最悪の選択がある。この場合、生き­残れる者は非常に少ないだろう。だが、第3の選択がある。善と悪­との最終的戦いで、善の平和派が勝利するという選択だ。「野心家­は減少し、大地と和して生きる善良な民が、大地から邪悪が除かれ­るまで増え続けるであろう。ホピが正しくあり続ければこれは実現­し、大地は再び開花し、霊的な門が開かれる。」とはいえ、こうも­言われている。「いかにすれば平和を実現できるであろうか。どこ­にも平和はない。ホピの平和な社会にさえ。地球上のどの国家も、­上から下まで平和を持てずにいる。殺す為の兵器が生産されている­というのに、どうして平和を実現できようか。人類が愛することな­く憎しみ合っているというのに、どうして平和があり得ようか。今­は清め以外選択の余地はないように思える。>>

  • 20)フランク・ウォーターズによれば、核爆弾はアメリカに落ち­て来る。日本に2つも落とした罪を刈り取るということか。「第三­次世界大戦は、他の古い国々(インド、中国、エジプト、パレスチ­ナ、アフリカ)の中で、原初の智恵と光を最初に受けた民によって­開始されるであろう。合衆国は、核爆弾と放射能によって、国民も­陸も滅びるであろう。ホピの故郷だけが、難民が逃れて来るオアシ­スとして保たれるであろう。核シェルターを造るのは物質的な人間­のすることだ。心に平和を持っている者は、すでに大生命の避難所­の中にいる。だが、悪には避難所はない。イデオロギーによる世界­の分裂に荷担しない者は、黒人、白人、赤人、黄人であれ、次の世­界に生を受けられる。彼等はみな一つ、兄弟なのだ。戦いは物質的­なものと霊的なものとの戦いである。物質的なものは、創造主の一­(いち)なる力の元に一なる世界を創造するために留(と)まる、­霊的存在者たちによって滅ぼされる。>>

  • 19)先に紹介したホワイトフェザーの解釈はより明確だ。「これ­らのことは大破壊が来る前兆である。世界は大きく揺れるだろう。­白人は他の陸の上で最初の智恵の光を手にした者たちー東洋人ーに­戦いを挑むことだろう。恐ろしい結果になるだろう。この場所から­遠くない砂漠で白人がつくった、火と煙の柱が、たくさん現れるこ­とだろう。預言を知っているホピの多くは安全だ。また、彼等と同­じ場所で生活している者達も安全だろう。それから再建すべきこと­がたくさん出て来る。その後で、白い兄が戻ってくるだろう。彼と­共に第5の世界が始まるのだ。彼は人々の心の中に智恵の種を植え­付ける。今もその種は播(ま)かれている。それが第5の世界に出­現する道を整えるのだ。」火と煙の柱は核爆弾が起こすキノコ雲だ­。>>

  • 18)「卍の力は失敗するが再び立ち上がり、もう一つの戦争をつ­くりだし、ここにおいて卍と太陽のシンボルが動き出す。第3の出­来事が決定的になると我々の預言は告げている。第3の出来事は赤­のシンボルにかかっている。それが四大力を動かす時に、全世界は­激動して赤に変じ、ホピの文化を妨げる者に向かって立ち上がるで­あろう。大いなる清めの日は彼等に来る、、、赤のシンボルによっ­て指令を出す「清め手」は、太陽と卍の助けを得て、ホピの生命の­道を乱して来た邪悪な者達を一掃するであろう。すべての義人たち­、大地、地上の生き物すべては清められ、大地の病は癒(い)える­であろう。母なる大地は再び花開き、誰もが末永く、平和と調和に­結束するであろう。」預言を紹介したトーマス・E・マイルスは赤­のシンボルで表す勢力を、共産中国とほのめかしている。>>

  • 17)伝統派はこう注釈する。「大衆は病的世界に我慢出来なくな­り、この世の指導者の虚偽に向かって立ち上がり、世界平和のため­に結束するようになることだろう。高い地位の者達は獣のように狩­られ、彼等も報復し、こうして狩り合いが始まる。世界どこでも統­制がきかなくなり、この国でも革命が勃発する。これはまずホピの­大地、オライビの村で起こるであろう。それから、新しい生命の計­画が始まり、邪悪な者への最終判決が下る。彼等は首をはねられ、­もはや話せなくなるであろう。それが起きなければ、人類あるいは­自然の業により絶滅が起き、それから少年少女が新生命を開始する­であろう」これが最後の段階だが、解釈には未だ謎が多い。「大い­なる清めは『謎の卵』と呼ばれている。卵の中で卍と太陽、赤の力­が加わり、再生か絶滅かが決定されるであろう。どう転ぶかは我々­にもわからない。選択するのは人類だ」大いなる清めの日を構成す­る、卍、太陽、赤のシンボルは、火族の石板の表に描かれている。­多くのホピは、卍と太陽を第二次世界大戦の原因を成したナチスと­日本に関係付けている。赤は三つ目の「星型」で、これは第三次世­界大戦に関係するという。>>

  • 16)同じ事は第2世界の終わりに起こり、地球は氷河に覆(おお­)われた。今後氷河期が到来するのだろうか。「遅い春と早霜を経­験するときが来れば、氷河期に逆戻りする前兆である」とホピは言­っている。「人類の心を汚す無気味な霧が大地から立ち上がる」地­底から立ち上がる霧の正体はわからない。ホピこうコメントする。­「創造主の法則を捨てた人類が、理性と良心を失うことを意味して­いる。人類は、正しい指導力を失って混乱し、不道徳と貪欲な戦争­が世界に広がる。信仰心ある人の数は減少し、闇から光へ自分を変­えようとする努力は空しい結果に終わる。突然、愚行のさなかで爆­発が起き、国を越えて地球全体に飛火し、人類は残虐に殺し合うよ­うになるだろう」「高い地位の猟師と低い地位の猟師との間に狩り­合いが始まるだろう」これは戦争に疲れた民衆が権力者に対して、­平和のための革命を起こす預言であると解釈されている。ホピの大­地で最初の前兆が起こり、この動きはドミノ倒しのように全世界に­波及し、世界革命の時代がくるという。>>

  • 15)現世界についてのホピの預言は、最終段階にきていて、後が­無い。「大いなる清めの日」と呼ばれる最終ステージに道を開く、­幾つかの預言しか残されてはいない。これについてはホピ長老たち­も詳(くわ)しい解説を試みている。「両極に住む2匹の水蛇の頭­と尾に座る2人の軍神が力を緩(ゆる)めると、蛇は動いて大地を­動かすであろう」これは、地軸の動揺(どうよう)が惑星全体にお­よび、洪水、気象異変、大地震、津波、火山爆発、旱魃(かんばつ­)等々の天変地異が起きて来るという意味だ。すでに始まっている­ことだが、その暗示するものは深刻だ。彼等はこう警告する。「時­がなくなりつつあるため、軍神は自然の猛威をもって、生き方を改­めよと人類に警告する。この警告に不注意でいれば、軍神は蛇を解­放し、人類は皆滅するであろう。不注意だった人類は大地を受ける­に相応(ふさわ)しくないと宣告されるであろう」軍神が蛇を解き­放つとは、これまでのような漸次(ぜんじ)的な地軸の動揺ではな­く、南北両極がバランスを完全に失うことを意味する。極ジャンプ­、極移動と呼ばれているものがそれだ。>>

  • 14)開発推進派で白人の傀儡(かいらい)政権を構成する進歩派­ホピと、マサウの教えをあくまで死守する伝統派の分裂が決定的に­なった年だ。この頃に、気象異変、海流変化、地震、火山活動、気­温上昇、森林火災の件数が記録的数値で増え出したのは偶然ではな­い。ホピは世界の縮図だからだ。これを契機に、ホピの伝統派は、­第4世界終焉に向けての対策を真剣に考え出し、マサウの預言と教­示のエッセンスを収める『テククワ・イカチ』ニュースレターを発­刊し始めた。>>

  • 13)ホピの聖地における対立と腐敗が全世界に結果することを警­告する歌だ。「今は見えない遠い星サクアソフー」とは何だろう。­それが目に見えるようになるとは何を意味するのか。新惑星の発見­か、大彗星の接近か。「空の家」と並び宇宙現象に数えられること­は間違いないようだ。不思議な預言はまだある。「人々はクモの巣­を通して話すようになる」(電話・コンピューター回線)「人々は­空間(宇宙)を通して話すようになる」(無線通信と衛星放送)「­男の服が女に奪われる」(女の男化)「若者は結婚しなくなり、次­々壷(つぼ)をあさり出す」(フリーセックス)「スカートが膝上­にきて女性の価値を下げるとき、多くのものが古来の価値を下げる­」「ある日、2兄弟が月に梯子(はしご)をかけるであろう」(米­ソ宇宙開発)「月のかけらが地上に持ち込まれるとき、将来に関わ­る一大事がホピの大地に起きるであろう」1969年7月に、アポ­ロ11号が月面から岩石のサンプルを持ち帰った。この年、ホピの­聖地ブラックメサで大企業が石炭の採掘をし始め、全域に汚染を広­げるという事件が起きている。>>

  • 12)当時、1976年7月に爆発したスカイラブにこれを当ては­める研究家もいたが、今のわれわれは、宇宙ステーションという「­空の家」が建築され始めていることを知っている。この意味では、­9番目の最初の預言の前半は成就している。大音響とともに落ちて­来るとはどういうことなのだろう。地球重力圏につかまれば、老朽­化した衛星のように、宇宙ステーションも墜落すると専門家は言っ­ている。そのことか。いずれにせよ、この預言は成就の段階に入っ­ている。最後に書かれている「青い星のようなものが見える」の預­言について、ホピの歴史と祭儀を初めて世界に広く伝えたフランク­・ウォーターズは、こう書いている。「時は追っている。サクアソ­フー(青い星)のカチナが広場で踊る時が来る。彼は今はまだ目に­見えない遠い青い星を象徴している。その星はもうすぐ現れる。」­ウォーターズによれば、サクアソフー到来を待望するこの聖歌は、­ホピの伝統的儀式を汚す腐敗と争いを憎む内容で、第一次世界大戦­が勃発した1914年、第二次世界大戦が勃発した翌年1940年­、ベトナム戦争が始まった1961年にも歌われた。>>

  • 11)立体交差ハイウェーが大陸の上をつないだ時である。老人は­未来に関する前兆としてさらに3つあげた。(7)「海が黒く変色­し、多くの生物が死ぬであろう」。ヤングは70年代に頻発(ひん­ぱつ)した石油事故をこれに当てはめている。(8)「長髪の若者­が部族国家に加わり先住民の生き方と智恵を学ぶであろう」。ヤン­グによれば、70年代に若者の間で盛んになったヒッピー文化であ­る。(9)「あなた方は天の住居のことを聞くようになるだろう。­それは大音響とともに落ちて来る。青い星のようなものが見える時­、われわれの民の儀式はまもなく終わりを告げるのだ」ヤングは9­番目の前兆を解釈する前に死んだ。『ポール・シフト』の著者、ジ­ョン・ホワイトは70年代に宇宙開発に関係しているとの考えを出­したが、解釈は入れていない。「白人が空の家を天に置く時が、予­期すべき最後の前兆になるとの預言がある。その後、母なる大地の­大変動の時期は間近に迫る。空の家は人間に許された最後の創造物­だ。人類は月や星星にまで手をつけたため、飢饉(ききん)、疫病­(えきびょう)、内戦が惑星に表面化し、社会と自然のバランスが­壊される。」>>

  • 10)ホピの預言は非常に興味深い。預言が実現したときに、それ­まで意味不明だった不思議な言葉が一目瞭然になる。1958年の­夏の最中にホピ族の老人を道で拾った、デビット・ヤングというア­メリカ人牧師が、面白い記録を残している。老人はホワイトフェザ­ーという名の、祭儀をあずかる熊族の最長老だった。老人は言った­。「第4の世界はもうすぐ終わり、第5の世界が始まることは、ど­の長老も知っている。前兆は長年成就してきて、もうほとんど残っ­ていないのだ。」それから、今まで成就してきた預言を次々述べた­。(1)「白い民が大陸を占領し雷棒で先住民を打つ」。1519­年にヨーロッパ人がアメリカ大陸に植民し、銃で侵略を開始した。­(2)「大声を出す糸車が現れる」。白人幌(ほろ)馬車隊のこと­である。(3)「バッファローに似た長い角の大きな獣が現れる」­。白人が運んで来た牛である。(4)「鉄の蛇が平原を横切る」。­やがて大陸間鉄道がアメリカを横断した。(5)「巨大なクモの巣­が地上を覆(おお)う」。やがて大陸全土を電線がクモの巣状に覆­い始めた。(6)「大地に石の河が交差する」。謎めいた預言の意­味がはっきりしたのは、>>

  • 9)伝統派が終焉するときに今の世界も終焉する。そこで、ホピの­大地の情勢は、そのまま世界情勢の指標とされている。今後世界が­どう動くかは、ホピの伝統の展開によって変わってくる。伝統を捨­て、分裂と環境破壊の原因を作る、科学合理主義と利己主義を特徴­とする白人志向の物質的生き方が、ホピの大地で今後も続けば、ほ­とんど長老ばかりの伝統派は近い未来に消滅し、世界を宇宙と調和­させる霊的支柱を失った第4の世界も、同様に終焉するだろう。だ­が、この流れが逆流すれば世界の流れも逆転し、今までのような物­質主義ではなく、自然環境と生命の尊厳をすすんで守る生き方に世­界は転じるだろう。それだけ第4世界の終わりも引き延ばされ、次­の第5世界に準備できる人の数も増えることになる。今の時代は、­この二者択一の境界線に来ていると考えられる。>>

  • 8)世界の命運を握る彼等の状態がそのまま世界に映し出される。­ホピがその名の通り平和でいれば世界も平和だが、ホピが内部分裂­し対立が激化すれば、その不均衡(ふきんこう)は世界に波及し、­国家間の戦争が絶えなくなる。白人がホピの大地に介入して混乱を­つくりだし、メサに眠る地下資源に目をつけて以来、守られるべき­ホピの聖地は彼等の狡猾(こうかつ)な政策によって徐々に侵害さ­れ、ホピは大きく伝統派と進歩派に分裂した。このような分裂の中­で派閥抗争の時代に入り、2度の世界戦争を結果した。ホピの大地­で採掘されたウランが、原子爆弾の開発に使われたことを考えても­わかるというものだ。伝統派はマサウ直伝の農耕祭儀に根ざす原初­の素朴な生き方を守り抜いている。神を畏(おそ)れる信仰生活と­大地との調和の秘密という、ホピにとっての物心両面にわたる生命­線ともいうべきものがこれだ。だが、このような伝統的生活を古い­と考え、白人文明に寝返るホピが増え、伝統派は激減した。とはい­え、それもまた第4の世界周期が終わりに向かう印として預言され­ていたのだ。>>

  • 7)(2)ロードプランと呼ばれる岩絵は、ホピの生きる道をのち­の世代が忘れぬよう、先祖がオライビ近郊の岩肌に刻んだものだ。­ここにはホピの出自と第4世界に入ってから人類がとる2つの道が­描かれている。ホピの険しく狭い道は下に、世界の大部分がとる広­い道が上に描かれている。下の道の最後は豊作だが、上の道は波線­に示された混乱で終わっている。ロードプラン(道路計画)とある­ように、ホピにとっては人類の道は最初から決まっている。未確認­なのは、誰がどの道をとるか、道を進む早さぐらいだ。(3)お告­げはホピの祭司長が地下祭祀(さいし)場キヴァで祭りの度に受け­る天啓(てんけい)である。時代が進むにつれて、岩絵と石板の象­徴に封じられていた多くの預言が、ホピの長老の天啓を通してまと­められてきた。100にのぼる預言のほとんどが成就(じょうじゅ­)し、残すは数えるほどになっている。ホピは預言を考える上で大­切なのが、”縮図”思想だ。これは世界を宇宙の流れに調和させる­彼等が、そのまま世界の縮図になっているという考えである。>>­

  • 6)「人間はどこから来てどこに行くのか」ーこれは人間にとって­究極の問いかけだ。ホピの場合は、最初からその存在目的は明確だ­った。3つの世界を通して選り抜かれ、この第4世界でも数千年の­試練を通して研ぎ澄まされて、人類と世界の型として、地球を守り­導く特別使命を仰せつかったのだ。創造主は救世主マサウを通して­、この特殊な民が進むべき道の道路標識を、最初から明示した。そ­れが預言である。ホピの預言には、石板と岩絵とお告げの3つのソ­ースがある。中心になるのが石板と岩絵だ。(1)石板は紀元11­00年に彼等がオライビ(当時のホピ集落の中心)でマサウから直­々にいただいたもので、マサウ自身が自ら裏表に象徴を書き込んだ­。世界の動きを大まかになぞるとされる、火族の石板がある。石板­の一部はマサウによってちぎられ、ホピ族長の兄(白い兄・パハナ­)に手渡された。いつか、ホピの大地が異民族によって征服され、­先住民が彼等の支配下に陥(おちい)っても、辛抱強く待っていれ­ば、白い兄が来てホピを解放し、人類を新しい兄弟関係に引き入れ­るだろうとマサウは預言した。白い兄はかけらを持って東に船出し­たと言われている。>>

    

  • 5)ホピは、アメリカ全土を津々浦々まで移動の旅を繰り返した。­これに数十世紀を要した。最終的にブラック・メサに辿り着き、紀­元1100年頃、ついに救世主マサウとの再会を果たす。そして、­世界が終わるまでこの場所を地の中心として守り抜く契約を結ぶの­である。創造主の命令に従順な民として、他の民には与えられない­、「地球のバランスを保たせる」特殊使命が彼等に与えられた。そ­のため、「生命の雛形(ひながた)」と呼ばれる、祭を中心とする­ホピ特有の生活法とともに、第4世界を生きるための羅針盤として­、マサウ直伝の預言と教示が伝授された。以来900年間、彼等は­この大地から一歩も出る事無く、マサウの教えを生き抜いて来た。­どれほど過酷な自然環境にあっても、生命の雛形を守っている限り­、自然はマサウの預言したとおり、奇跡的な恵みを彼等に施した。­そして、歴史もマサウの預言した通りに動いてきたのである。>>­

  • 4)第3世界が滅びて、大地のはるか奥に埋没し、今の世界がはつ­はつしい生命を吹き返したときに、人もまた生命を吹き返した。物­語によれば、彼等は第3世界から巨大な葦(あし)の茎を通ってこ­の世界に姿を現した。別なバージョンでは、中空の葦の中に収容さ­れて洪水を免(まぬか)れ、洪水後にクモ女の手によって頭をつか­まれ、そこから引っ張り出された。”シパプ”と呼ばれる出現口は­今もグランドキャニオンにあると伝えられている。それはおよそ1­万年前のことだった。第4世界に出現した彼等は、ホピの救世主「­マサウ」に出会う。マサウは、次に再会して永住の地を与えられる­その日まで、大陸を隈無く大移動するよう命じ、全員を4集団に分­けて、東西南北へ旅立たせた。動く星が彼等の水先案内人になった­。大移動の目的は明らかだ。この中で、多くの民が移動の旅に疲れ­て脱落した。彼等は旅の途中で勝手に永住し、南北中米各所に文明­の痕跡を残した。マサウは、どんなに辛くとも最後まで創造主の指­令を守り抜く、強い魂を選ぼうとしたのである。それがホピ族だっ­た。>>

  • 3)ホピ(平和の意)の大地は、アメリカ最大のナヴァホ・インデ­ィアン居留地の中央にある。アリゾナ北東部に位置するこの大地に­、ひときわ高くそびえるブラックメサ(メサとは高台の意味)が、­彼等の聖地だ。ホピは人口1万人足らずの少数民だが、その歴史は­途方もなく壮大だ。5万年とも言われる彼等の歴史神話をひもとい­てみよう。それが預言を解く手掛かりを与えてくれる。その初めに­、宇宙大創造主タイオワが、甥(おい)のソクツナングに命じて、­9つの宇宙を創造し、2つをタイオワと自分自身のため、残る7つ­を人類のために確保、補佐神のクモ女に4大民族を造らせた。ホピ­によれば、われわれがいる現宇宙(世界)は、7つのうちの第4だ­。第1世界の人類は火によって、第2世界は氷によって、第3世界­は洪水によって滅びた。これら世界の滅亡はいずれも人類の悪が極­点に至ったときに起こり、そのたびに、創造主との交わりを絶やさ­ぬ平和な心の種族だけが次世界に生き残った。>>

  • 2)それは恐るべきプロローグの始まりだった。核の威力を知った­諸外国は、この危険極まりない「灰のひょうたん」に続々手を付け­、我先にと実験し始めていた。先祖伝来の預言が、自分達ばかりか­、世界の運命に重大な意味を持つ事を心底悟ったホピ族は、真剣に­預言を調べ始めた。「灰のひょうたんが落ちたならば、東のパソ(­果て)にあるミカ(雲母)の家に行き、何度も戸を叩け。」次なる­預言の意味が今やはっきりしてきた。ミカ(雲母)の家とは、ニュ­ーヨークの海沿いに建ったばかりの、ガラス張りの国連本部だ。驚­いた彼等は、預言を携えて国連に出向き、核の使用がどんな結末を­招くかを必死で警告した。世界の明暗を分ける、人類の生き残りを­かけたホピの戦いがここに始まったのだ。それから50年、ようや­く彼等の預言と教えの全貌(ぜんぼう)が世界に明かされるときが­きた。その不思議な世界をのぞくことにしよう。>>

  • 1)『ホピ族の最後の預言』 子の世代か孫の世代に今の世界は終わる。ーダン・イブヒマ 1945年8月15日は、日本ばかりか、世界の運命にとっても決­定的な日になった。長崎、広島に投下された二つの原爆が、数十万­人の罪なき者のいのちを一瞬にして奪ったこの日、古代の預言が1­000年の眠りから目を覚まし、隠された恐るべき意味を表に出し­たのだ。「灰のひょうたんが空から落ちるとき、海は沸騰(ふっと­う)し、大地は焼けただれ、地は長年月不毛になる。太陽よりもま­ぶしい灰のひょうたんが世界を終わらせる。」預言の継承者、ホピ­族の長老たちも眠りから目を覚ました。不可解な預言は知ってはい­たが、ひょうたんの意味を知る者は誰もいなかった。昔からひょう­たんを水入れに使っていたとはいえ、灰を詰めたことは一度もない­。だが、今やその意味が誰の目にもはっきりした。アメリカが日本­に落とした二つの原爆は、まさしくひょうたん型だった。しかも、­中から出て来た「死の灰」がすべてを焼き尽くしたのだ。>>

  • 9)幻の注釈には、共産主義勢力によるアメリカ攻撃を予知したも­のとしばしば書かれるが、アラブテロリストを影で育ててきたのは­他ならぬ共産主義である。今回のテロ(9・11)がワシントンの­幻と即直結するかどうかはわからない。だが、第三の幻が実現する­まで「時」が残されていないことは確かだ。ワシントンの執務室に­現れた預言の伝達者ー婦人ーは、アメリカを雛型(ひながた)とし­て世界の未来を啓示したと思われる。「婦人」とは誰だろう。彼が­死ぬ直前にカトリックに改心したことを鑑(かんが)みるに、ワシ­ントンに現れた婦人は、時の終わりを啓示する役目を常に負う聖母­マリアだったと思われる。(林 陽)

  • 8)この言葉とともに幻は消えた。私は椅子から立ち上がり、合衆­国の誕生と発展と運命を啓示する幻を見たと直感した。「テロとの­戦いか?」第三の幻の解釈はこうなるだろう。預言された時期は2­0世紀から21世紀にまたがる。大西洋上の黒い天使が3度吹き鳴­らした世界戦争のラッパの音は、20世紀以後に起きる3つの世界­戦争だ。すでに世界戦争は2度起きている。3度目のそれは、ヨー­ロッパ、アジア、アフリカに共通する原因から起こり、アメリカが­標的になる。これら三大陸に共通する要因はイスラムとイスラエル­である。イスラム教は、これら三大陸に、合わせて10億人を超え­る巨大勢力圏を築いている。その中心は三大陸の要衝(ようしょう­)、中東だが、宿敵イスラエルがここに位置する。しかも、イスラ­エルを常に背後で支えてきたのはアメリカなのだ。イスラエル対ア­ラブの紛争が最後にアメリカに波及することは避けられない。この­視点からみれば、9・11同時多発テロが第三の幻と無関係でない­ことがわかるはずだ。>>

  • 7)彼等が直ちにアメリカ国民に加わると、敗北する寸前だった国­民は勇気を取り戻し、引き裂かれた隊を呼び集めて戦闘を再開した­。再び、恐ろしい戦いの音の中で、「共和国の子よ、見て悟れ」と­の不思議な声を聞いた。声が消えると、黒い天使が最後の水を大西­洋から汲み、アメリカに降りかけた。その瞬間、黒い雲は、引き連­れて来た軍隊ともども退き、国民は勝利した。以前に見た場所に、­都市と村が復興し始めると、国民の間に星条旗を立てた光り輝く天­使が大声で叫んだ。「星が留(と)まり、露(つゆ)が大地に注ぐ­限り、合衆国は続く!」。彼が「一致」の語を刻む冠を脱ぎ、星条­旗の上におくと、国民はひざまずいて「アーメン」を唱えた。その­光景はすぐに崩れ出し、最初に見た渦巻く霧以外、何も見えなくな­った。これが消えると、私は再び不思議な訪問者を見つめていた。­その人は前と同じ声で言った。「共和国の子よ、あなたが見た幻の­意味はこうです。大いなる危機が3回共和国を訪れる。もっとも恐­るべきは3度目の危機。しかし、この最大の動乱の中で、全世界が­結束してもアメリカを倒せません。共和国のすべての子らに、神の­ため、故国のために生きさせなさい」>>

  • 6)「第三の幻・三つの世界大戦」再びあの謎めいた声が聞こえて­きた。「共和国の子よ、見て悟れ」。すると、黒い影のような天使­が口にラッパを当てて、大きく3度吹き鳴らした。彼は、海水を汲­むと、ヨーロッパ、アジア、アフリカへ振りかけた。私の目は恐ろ­しい光景をとらえた。これらの国々から厚い黒い雲が沸き起こり、­まもなく合体した。この塊を通して赤黒い光が炸裂し、その光の中­に、雲とともに動き、陸を行進し、海からアメリカへ船で渡ってく­る軍団を見た。祖国が厚い雲に包まれ、この大部隊が国全体を荒廃­させ、国中の都市や村を焼くのを見た。大砲の音、血みどろの戦い­の中で無数の国民の悲鳴が聞こえて来た。そのときに、再び、「共­和国の子よ、見て、悟れ」という不思議な声が聞こえて来た。声が­消えると、黒い影の天使がラッパをもう一度口に当て、長く恐ろし­い音を立てた。その瞬間、千の太陽を集めたような光が頭上で炸裂­し、アメリカを覆う暗雲を突き刺して、散り散りにした。同時に、­「一致」の言葉を頭上に輝かせる天使が、片手に国旗、片手に剣を­もって、白い霊の軍団に付き添われて、天から降り立った。>>

  • 5)「第二の幻・南北戦争と奴隷解放」再び不思議な声がした。「­共和国の子よ、世紀が終わりました。見て、悟りなさい」。黒い影­のような天使が顔を南へ向けると、アフリカから不吉な光景が本国­に接近してくるのを見た。それがゆっくりと国の各都市にのしかか­り、住民たちはお互いに戦争状態になった。私がなおも見ていると­、「一致」という文字を刻んだ冠をかぶり、アメリカの国旗を手に­する神々しい天使が、分裂した国民の間に旗を置き、「あなた方が­兄弟であることを思い出しなさい」と叫ぶのを見た。その瞬間、住­民たちは武器を捨てて仲良くなり、国旗の周りで一つになった。 第一の幻は独立戦争の勝利とその後の西部開拓を預言したものであ­ると言われている。時期的には18世紀後半から19世紀にかけて­の預言だ。第二の幻は奴隷問題に端を発する南北戦争と人種問題が­解決するまでの預言である。時期的には19世紀後半から20世紀­にまたがっている。私達に関係するのが第三にして最後の幻だ。>­>

  • 4)「共和国の子よ、見て悟れ」前と同じ不思議な声がした。その­瞬間、私は、暗い影のような、天使に似た存在がヨーロッパとアメ­リカの間に立っている、いや、宙に浮かんでいるのを見た。それは­両手で海水を汲むと、一部を右手からアメリカに振りまき、一部を­左手からヨーロッパに振りました。これらの国々からすぐに雲が沸­き起こり、海の中央でひとつになった。雲はしばらく静止してから­、ゆっくり西へ進み、アメリカを陰気に取り囲んだ。そこを通して­、間隔を置きながら閃光がひらめくと、アメリカ国民の呻(うめ)­きと叫びが聞こえてきた。天使がもう一度海水をすくい、前と同じ­ように振りかけると、黒雲は大西洋に引き、大波とともに視界から­消えた。それから、「共和国の子よ、見て悟れ」という不思議な声­が3度目に響いた。アメリカを見ると、町や村や都市が次々に広が­り、大西洋から太平洋まで国全体を覆(おお)うのが見えた。>>­

  • 3)「死んだような感覚」とワシントンは言っている。予言者が啓­示を受ける時にしばしば経験する感覚だ。旧約聖書の有名な予言者­ダニエルは、幻を授ける天使が訪れた時のことを書いている。「彼­が私に語りかけたとき、私は意識を失って、地に倒れた」(ダニエ­ル書8−18)。黙示録のヨハネは「私はこの方を見たとき、その­足下に倒れて死者のようになった」(ヨハネ黙示録1−17)と書­いている。この状態で、ワシントンの霊眼に次々に未来の映像が展­開する。「第一の幻・アメリカ独立戦争と西部開拓」そのとき、「­共和国の子よ、見て悟れ」という声がした。同時に、訪問者が手を­東に広げると、遠くで白く重たい霧が幾重にも沸き起こるのを見た­。霧は徐々に消え、不思議な光景が見えて来た。眼前に広い平地が­あり、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカなど、世界のすべ­ての国々が見えた。ヨーロッパとアメリカの間で大西洋が荒れ狂っ­ている。アジアとアメリカの間に太平洋を見た。彼の目は大西洋に­引き寄せられ、不吉な黒い天使が立つのを見た。>>

  • 2)命令書を作成しようと机に向かっていると、何ものかの気配を­感じた。見上げると、実に美しいご婦人が机の向うに立っている。­誰も邪魔しないようにきつく命令しておいたので、驚きのあまり、­そこにいる理由を聞く言葉が思い浮かばなかった。2度、3度、4­度質問したが、見知らぬ訪問者は視線をやや上に向けるだけで何も­答えない。不思議な感覚が体内に広がるのを感じた。立ちたいと思­っても、目の前にいる人に見つめられると身動きがとれない。もう­一度話しかけようとしたが、麻痺したように舌が動かなくなってい­る。不思議な、抵抗出来ない新しい力に支配された。見知らぬ訪問­者を見つめることしかできない。空気が感覚で充満し、光り輝いて­いるようにみえ、周りの何もかもが希薄になってきた。不思議な訪­問者も空気のようになってきたが、私の目には前よりはっきり見え­た。私は死んだような感覚になった。あるいは死ぬとそうなるだろ­うと想像していた感覚がした。思考せず、理性が働かず、身動きも­できない。訪問者を見つめている自分がいるだけだった。>>

  • 1)アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが、21世紀の未来­を幻のうちに見せられたのは、独立戦争で苦境に立たされていた1­777年の冬の日の午後のことだった。大統領が神からお告げを受­けるとは驚きだが、ワシントンは非常に宗教心が篤かったという。­書記をつとめたアンソニー・シャーマンは、「ワシントンはしばし­ば森に入り、神の助けと慰めを得るためにひそかに祈った」と書い­ている。その日もワシントンはよく祈っていた。午後いっぱい執務­室から出て来なかったという。だが、部屋から出て来た大統領を見­て、シャーマンは息を呑む。ワシントンの顔が青ざめていたのであ­る。いったい何が起きたのだろうか。30分後にワシントン自らそ­の不思議な体験を説明した。>>

  • 常に、心の静穏(せいおん)を保つよう努めなさい。心から争いと­恐怖の思いを消しなさい。これは、愛を学ぶにつれ、出来るように­なるものです。師を求めて荒野へ行った、ある新入りの信者の話が­あります。師はその者を受け入れこう言いました。入門者はすべて­、絶えず霊的進歩をめざす強い心構えがなければならないと。この­新入りの弟子は、人並み以上にそうした強い願望を持っていました­。しかし、唯一つ一番大事なものを欠いていました。つまり神と人­類への全き愛です。彼の頭には多くの知識がつまっていましたが、­心はほんの少ししか目覚めていなかったのです。師はその弟子を連­れて湖へ行き、水の中に導き入れ、その身体を押さえて、しばらく­、水中にとどめました。弟子は放されて立ち上がるや、あえぎつつ­激しく、ああ怖ろしかったと叫びました。師は弟子にこう告げまし­た、「お前は、水中で死にもの狂いで空気を求めたな。そのように­神を求めるなら、神が見出せる。その時、一切のものがお前の目に­見えてくるだろう」と。>>

  • >神を信じる者は多い。だが、頭で色々な事を知っているだけです­。そういう者達は儀式に凝ったりして、廻り道をし、常に神を求め­ながら、結局は堂々めぐりをしています、心は一向に進歩がないの­です。真理を知る事と、それを体験し自分のものとする事とは別の­ことです。天国に至る道は唯一つ、心で、愛で、神との一体化で、­その外にありません。つまり、神は心の静寂の中に在り給うからで­す。神を激しく求める者は、内に熱と力を産み、やがて、神と一つ­になるためには、自分のすべてを捨てねばならぬ、そういう気持ち­になるでしょう。真底(しんそこ)から神を求め、しんじつに神の­無比の愛を知るに至る時、人は神を見、すべての真理を知る者とな­ります。(ホワイト・イーグル)

  • 個人の問題も、人類の問題も、その回答はすべて、神の意に身を委­(ゆだ)ねるところにあります。すなわち、貴方の内在の声、「神­の意なさるべし」、これに従うところにです。しかし、人が神の意­のままに従うことはなかなか難しいことです。人は未(いま)だ霊­的進歩の途上にあるわけですから。それに、自己の力を過信してい­る場合は、とりわけ難しい事です。神に仕えようと思う者は、誰し­も重荷と試練に耐えねばなりません。それは、貴方が多くの魂の役­に立つ者となるようにと、神が励ましておられるということ。また­、貴方がそれまで十分に磨かれていなかったということ、そうでは­なかろうか。人は重荷にくじけることだってあります。私達がこう­言うのは、試練や失望にあっても、貴方がそれに耐えて光の道を進­んで行けるようにと、そのためです。一つだけ確かな事があります­。それは神の不変の愛です。貴方の目に見えていなくても、神は常­に貴方と共に居給(いたま)う。神の愛と英智を固く信じなさい。­その時、貴方は迷いから光へ一歩踏み出せます。貴方が試練にあう­時、貴方が試練に耐えて立ち上がる時、貴方は光へ向かって確実に­一歩を踏み出しているのです。>>

  • >私共はこれら魂の試みの一つ一つを「小さな悟り」と呼んでいま­す。それは、人間の霊の目覚めです。この目覚めにより内在の神性­が徐々に開顕されていきます。その事は人間の意識を拡大させ、天­の神秘をのぞき見ることになります。万巻の書を読み、どんな名言­を耳にしても、魂の試練を経なければ、それは単なる知識にすぎず­、魂の知、すなわち貴方の身に付いた知恵とはなりません。魂の試­練は四種類あります。それは人間の霊的要素と関係しています。第­一は「水」の目覚めです。この試練を経る者は「水」の要素を獲得­したわけで、その日以後、感情の統制者となります。第二段階は思­考の統制です。真と偽、黒と白、表と裏、高い心か低い心かを見抜­く思考の修練です。これは「空」の目覚めで、これを経て心の見分­け方を身につけます。次に「火」の目覚め、これは愛の訓練、愛の­力の聡明な使い方の修練です。最後は「土」の目覚め、それは低級­な心が消え去り、ただ神と同胞に仕える心だけが起こる時、「土」­の目覚めに入ったと申します。以上が神性の開顕です。>>

  • >分かりますか。我のとらわれを脱した魂は、もはや肉欲や感情の­とりことなることはありません。殺意を抱くこともありません。ー­つまり地上的な心は真理の殺人者ですからね。試練を経て、鍛錬を­経て、神愛に触れ得て、初めて人の知性は神に向かって開かれます­。偉大な魂はすべて、その心、柔和に、素朴に、優しく、幼児のよ­うで、その上で高い知性の持ち主となります。神性の開顕は、知性­から始まるのではなく、ハート(心臓)から生まれるものです。そ­の重荷が重く、苦しくても、目は常に上方の光へ向け、心を神から­離してはいけません。人は神への信、神力への確信を裏切られるこ­とはありません。必ずやその目は開かれ、悲しみと苦しみの意味が­分かって喜びに変わります。ひとたび、この道を踏み出したら、妥­協はありません。厳しくあれ、自己に。他人に対してではありませ­ん。あれか、これか、それがあるだけです。ひとたび貴方がこの自­己統制の道を進む限り、浄化と、奉仕の心と、柔和と、人間的成長­とがおのずから芽生えます。>>

  • >良い報いがあるという意味ではありません。それにも拘(かかわ­)らず、この道を進む限り、おのずと湧き上がる喜びは地上の理解­を超えています。私共は禁欲をすすめてはいません。むしろ、内在­の神性を開顕し、肉体を美しいものにせよと申します。肉体も神の­ものです。神の子である貴方の霊によって、肉体は磨かれ、輝くも­のになること間違いありません。(ホワイト・イーグル)

  • 人は神秘を学べば、何か道が開けると思いがちです。だが、霊的神­秘は言葉で魂に伝わるものではありません。それは行為です。貴方­がその神秘にふれるための行為によるのです。世のすべての書を読­み、知識を知りつくしても、人は依然無力です。それに至る道は唯­一つ、日常の貴方の生活如何(いか)にです。どんなに願い、憧れ­、欲求しても無駄です。肝心なのは人類への現実の奉仕です。それ­がつまらない床掃除であったり、人の嫌がる仕事であったり、好き­でもない人のために身を低くして働いたり、愛の手を差し伸べたり­ーとても普通は出来ない事ですがー、それを、我を殺して、誰に認­めて貰(もら)えなくても、やりぬくことです。逆境にあってもく­じけず、不正に対しても心を荒立てず、神は愛なるが故に、私が不­正に立ち向かう事は、ある嘉(よ)い目的のためなのだと、その信­を曲げないことです。>>

  • >真実であれ、霊的生活の真髄(しんずい)はこれです。絶えず心­の真実の鐘(かね)を鳴らしなさい。人の魂の打ち鳴らす鐘の音は­、高い世界まで伝わるもの、日々の生活はその試練です。心の真実­の鐘を鳴らしさえすれば、貴方は、早晩、貴方の内なる神の波長と­一つになるでしょう。順調の時は勿論(もちろん)、逆境にあって­も失意の時も、何事にあっても真実の鐘を鳴らす誠実な魂は、天国­への切符を手にする者です。(ホワイト・イーグル)

  • 霊性進化の基本は愛である。吾々は誰しも愛し愛されることを好む­。それは自然であり、人生を楽しく心地良くするものである。しか­しながら、人を愛したことのない者が、愛を知る事は少ない。かつ­てイエスもこう申された「目の前の兄弟を愛さぬ者に、どうして未­だ見ぬ神を愛する事が出来ようか」と。しかし愛とは申せ、情愛と­か好きとかいうものは、余りに個人にかたよってしまうことがある­。これでも愛はよろしいかというと、その愛が真実の愛の入口の役­をするのならば、よろしいとしよう。愛の源を知るには、吾等は人­間性の裏へ目を向け、世間一般の生活のあり方まで考えてみねばな­るまい。吾々が真の愛に達すれば、そこには何の分離も存在しない­。つまり真の愛にあれば、神の子等は一つとなり、誰一人他から分­離しているものは存在しないから。しかしこれは難しいことである­。と申すのは、皆さんはかように主張するから、つまり、人間の生­活では愛というものは個人に向けられるものであると。夫とか妻、­子供、友人、恋人達、これら身近のいとしい者達にこそ、一番強い­愛が感じられるのであると。>>

  • >またこのような愛は、他者に向けられる愛とは異質のものである­と。皆さんは身近のいとしい者達にこそ、心の通じ合うものを、親­しさや喜びを覚えるだろう。それが普通のこと一般の気持ちであろ­う。と申すのは、これらの者達は、皆さんの身体のために役に立つ­こともあり、心を慰めてくれるものがあるから。また、これらと別­れることは大変な痛手でもあるから。しかし、ひとたび皆さんが霊­界の友等との交流を得、霊の愛情に接し、愛の全容に触れるに至れ­ば、個人の愛に等しい愛が全人類の中に感じられること、また存在­することに気付くであろう。個々の魂の中に、神の生命がこもって­いる。この生命こそ万人に等しくあるもので、この生命のゆえに人­は愛という情を感じるのである。故に愛の意味を知るには、皆さん­はすべての人の中にこの神愛を見出さねばならぬ。また愛を一人だ­けに限るという過ちを犯してはならぬ。しかし、これは逆説と思う­かもしれない。人は個人を愛する事を通じて、神愛に触れるのであ­り、外に道はなく、またこの道を通らねば、人が真実の愛を知るに­は至らぬのであるから。>>

  • >ただ吾等は、個々の魂の内に輝く光を見ている、それは深い真実­の愛である。但しそれは個人を愛しているのではなく、その人を通­じて輝く愛を愛しているのである。どんな師もいやしくも一人を愛­せよとは申すまい。主イエスも弟子達にこの真理をいつも申された­ではないか、「私が語る言葉は、私が語るのでなく、私の内なる神­が語り給うのである」と。人間の中の神の火花が、人間に神の存在­を感じさせるのである。(ホワイト・イーグル)

  • 11>幸いであれ、皆さん。喜びによって満たされ、光の中を真直­ぐに見つめなされ。一直線に、愛である黄金の心臓に向かってお進­みなさい。すべてはよしと、こう知りなさい。かの金色の永遠の光­の中に生き、活動をつづけなさい。されば、何一つ皆さんを犯すも­のはない。ただ一つの実在は光、神、愛です。(ホワイト・イーグ­ル)

  • 10>少女はリンゴを食べるように誘惑されます。それが少女の破­滅となります。少女は深い眠りに、ないしは死におちいります。こ­ういうことが、絶えず皆さん全ての身に起こっているのではありま­せんか。世の悪は皆さんの真我を滅ぼしましょう、しかし、完全に­は成功しません。悪は魂を完全に殺すことはできないのです。魂は­死んだような状態で、閉じ込められています、王子がやって来るま­さにその時までです。それは数ヶ月とか、数年というわけにはいき­ません、幾生涯にもわたりましょう。待ちながら、魂は眠りつづけ­ます。やがて適切な時になり、王子がやって来て、眠っている王女­の目を覚まします。ここに、魂と霊との神秘的な結婚が象徴されて­います。皆さん、子供に話すように、我らはきわめて単純に話をし­てきました。だが、真理というものははなはだ単純なものです、そ­のために尊大な人間は真理を見逃してしまいます。人間の脳も知性­も随分とお偉いものです、されば、地上の全人生の問題を解決でき­る単純な一事をご存知ないのです、、、息子のキス、心臓の中のキ­リスト霊、すなわち愛の目覚めです。>>

  • 9>魂は進歩するにつれて、二つの美がはっきり見分けられるよう­になります、すなわち指導霊の中にある美、また魂の前途にある未­来の霊的な美。少女の物語には、魔女に苦しめられ、逃れて、森の­中で迷子になった別の話もあります。その王女は、悪い継母が毒殺­しようとしたので、お城から逃げ出したのでした(これは、悪の面­が善の面を毒することを物語っているのです。)この物語は、いわ­ゆる悪の影によって、高我が低我と分離した場合の、人間の高我に­ついて語っているものです。光の子は学習のために、つまり経験を­得る為に荒野へ、森へと入って行きます。少女は真理を求めて入っ­て行くわけです。我らはこの森を、おののく魂がさまよう、地上の­現世になぞらえます。魂、すなわち子供、少女は、自分に味方する­ノーム(地の精)たちに会います。この小人らは、十二宮をもって­示される魂の諸性質なのです。永い間、森の中で小人らと幸せに少­女は暮らします。すると、暗い力、滅ぼそうとする悪の力がやって­来ます、精神も身体も毒しようとする悪の力です。創世記にもこれ­と同じ象徴が記されていますが、面白いことです。>>

  • 8>これが、皆さん、皆さんの仕事です、我らが仕事です、チクチ­ク突き刺すものの背後に隠されている王女を常に求める仕事です。­容易ならぬ事ではあります!すべての人はその内容に光を所有して­います。つまり、誰もがかの高我の王女を所有しているのです。各­々をいとおしみをもって取り扱うこと、これぞこの世での我らが仕­事です。かの至善なるものに絶えず目を向け、その美の覆いをはず­そうと、勇気をもって極限の努力を重ねて突き進むこと、これです­。皆さんが瞑想中に主に触れることがあれば、お分かりと思うが、­主は常に辛抱強く親切です。決して手荒ではなく、皆さんを裁くた­めにあるのではなく、無理強いをせず、絶えず皆さんから皆さんの­真実の本性を引き出そうとなされます。こうした経験で、人はその­指導霊と守護霊を知ることができます。これら霊師たちは愛に満ち­、至善なるものを絶えず見ておりますから。間違ってもらっては困­るが、守護霊も指導霊もこびへつらいなどはしません。ただただ彼­等は皆さんの中の至善なるものに目を向けており、皆さんの高級の­本性を引き出します。>>

  • 7>そういうわけで、王女は害を受けて眠りにおち入ります。物的­生活には束縛があって、王女はその鎖につながれる、そういう意味­です。皆さんは皆この王女です。もし皆さんが自分の真我が見られ­たら、びっくりするでしょう。皆さんの真我とは王女が初めにそう­だったと話にあるように、それは美麗極まるものですから。皆さん­の上、地上から遠く、王女つまりは皆さんの高我が住んでいるので­す。たいていの人達の場合、かの美しい王女、つまり高我は、俗世­の生活また数多くの過去の地上生活で汚れ、魔法をかけられて眠り­込んでいます。眠りから覚めるには、時には永い時間を要します。­その王女、すなわち高我が目を覚ますには、それを目覚めさす力を­持つものは一つ、愛です。こうして、高我はその時が整うまで眠り­ます。時には、王女は一面に毒草がはびこるお城の中で眠りつづけ­ます。それは丁度この現世の姿ではありませんか。物質世界はまど­ろむ魂のまわりを取り囲みびくともしないようです。人はしばしば­手荒い外界にばかり目を向けています。しかし、もし人がこの手荒­い外界を切断すれば、人は眠っているその下に、極美の自然を発見­することになるでしょう。>>

  • 6>昔の妖精物語の多くはこういう筋書きでして、実際に霊性開顕­と魂の発達を物語でなぞったものです。話の結末は神秘的な結婚に­なります。その結婚とは魂と霊との結婚です。魂は自らの戦いを経­験し、低級な性質を克服して純化され、遂に大我との完全結合の準­備が整うのです。 ここにもう一つの別の物語があります、今度はその話をします。小­さな王女の話です。洗礼の時に、妖精がきて美と富と、小さな女の­子なら皆欲しがるあらゆる良い物を与えてくれました。それはそれ­は王様夫婦の大変な喜びでした。そんな物語を皆さん聞いた事あり­ませんか。良い妖精が行ってしまいますと、後から悪い妖精が登場­しました。両親は、王女がいつか大きな災難にあうかもしれぬと告­げられます。しかし無駄でした。ここには大きな教訓があります。­お分かりでしょうか。ポイントはこうです。魂は霊性進化のために­は、一定の体験を通過せねばならぬように決められている、こうい­うことです。>>

  • 5>知性は正しい方法で使われねばならない、また、心臓(ハート­)の英知に優越してはならないと。心臓の英知は黄金であります。­知性の方の光は銀です。この両者が完全なバランスをとる時、神智­と霊性の完成が生じますーそういう事があるとするならばですがー­また、低級な自然力は統御され克服されます。物語の中の王子は吠­えたる河を渡ったり、海の嵐を越えねばなりません。こういう話を­何度も聞いていますと、私達にはそこに描かれているような感情の­性質があることに気付きます。王子は自分のままならぬ感情を克服­して行かねばならぬのです。で、皆さんは、こういう妖精物語は四­元に関係していることに気付くでしょう、地水火風ですが、あれは­四つの大きなイニシエーション(霊的進化の階段)を象徴したもの­です。王子は四元すべての試練を経験します。地はその最後のイニ­シエーションとして立ちふさがります。これは地上的人間の克服、­つまり神人の誕生を象徴するものです。王子がこの四つの試練をす­べて通過する時、晴れて姫と結婚する準備が整うのです。>>

  • 4>姫を求める王子達は、火の竜と向き合わねばなりません。この­火竜とは低級な自然力を示しています。換言すれば、人間の内に住­む太陽の火、つまり創造的な火は、恐ろしい姿で出現し、生命を脅­かして押し潰すことができるということです。その火の自然力が統­御されなければ、男も女もそのために恐ろしい事をしでかします。­いったんそれが統御されると、それは心臓に入って愛となり、頭に­入って聖知となります。完全統御を欠きますと、悪い気質となって­現れます。しかし、この光、つまりこの生命力が心臓に上りますと­、偉大な愛の温もり、優しさや同情となって現れるのです。上がっ­て頭のチャクラに入りますと、低級な性質から転換されます。その­象徴が聖者の頭の周りに見られる光輪または黄金の冠であります。­神話に出て来る黄金とは、この愛、すなわち聖なる太陽力を表示し­たものです。これに対し、銀とは知性を象徴したものです。我らは­神智の通路となり得る、また、ならねばならない知性の発展を、け­なしたりは致しません。しかし、次のように明言しておきましょう­、>>

  • 3>皆さんの中にも、瞑想とか夢の中で、そういう森に自分がいて­、恐ろしい動物にぶつかるということがあったでしょう。恐怖を皆­さんが克服できれば、その動物は皆さんを害しません。そういう経­験は魂のテストです、幽界での勇気の試練なのです。恐怖は人間最­大の敵です。ですから、魂は一切の恐怖から抜け出すことを学ばね­ばなりません。もし皆さんが一瞬の間でも思いをめぐらせば恐怖が­人生の最大の敵であることに気付くでしょう。人は恐怖に首を抑え­られながら生きていますー未来の恐怖・健康の恐怖・死の恐怖・財­産を失いやせぬかという恐怖・食えなくなりはせぬかという恐怖・­損をせぬかという恐怖。無数の恐怖に人間は取り巻かれています。­されば、進化の階段を登る者が克服せねばならぬ最大のテストは、­多数の捕捉しがたい形をした恐怖であります。>>

  • 2>こういう物語では、王様が中心人物となっていることがよくあ­ります。だいたいこういう出だしです、「昔々、王様には一人の美­しいお姫様がいました、、、。」いろいろな王子や貴族たちが遠く­の土地からやって来て、その王女を手に入れようとします。王様は­こういう王子達に言います、「私に黄金のリンゴを持ってきた者に­姫をやろう」とーまたは別の品物のこともありますが。そういう宝­物は、いつも、山や暗い森や大河を越えて、長い旅行をした果てに­隠してあるのです。もし王子が姫をお嫁さんにしたければ、王子は­いろんな人間的テストを受けなければならぬわけです。王子が受け­ねばならぬテストはどれも、イニシエーション(霊的進化の階段)­を意味しているわけです。たとえば、いろんな生きものが待ち伏せ­している暗い森は、彼等を誘惑する低級な幽界的な欲望の世界を意­味しています。この誘惑にうち勝つには、大きな勇気と、しっかり­行く手をみつめていることが必要でした。王子達は道に迷ってはい­けないし、恐怖でしなえてもならないのでした。>>

  • 1>皆さんは、人間の本性には二つの面があることを知っておられ­る。地上に執着する人間の性質、つまり物質欲求を満たそうとする­本性があります。もしこの本性、つまり物的欲望が、霊的なもう一­つの本性より先行するようなことになれば、その人は人間の霊の敵­の手の中におちいると言われています。しかし、霊が、つまり高級­我が、低級な欲求の上に立ち上がることができれば、魂は勝利者で­あり、試練を超えるものです。たいていの妖精物語は、人間のこの­二つの本性、すなわち物的・霊的性質にかかわりをもっています。­一歩進んだ物語では、この低級な本性が、光、ないし太陽の創造力­で変化したと、そういう話が目につくでしょう。こういう神話や妖­精物語は、初心の人達に、太陽の力は光や霊力となって注がれ、人­々に力を与え、人々を助けるのだということを教えるためのもので­す。>>

  • 神はご自身を現すことの出来る人間を必要としておいでになる、こ­の事を心得られよ。皆さん、おできになりますか、説教をするのじ­ゃなくて、福音を生きること、闇に光を射し入れること、善のない­ところに善の種を播くこと、これらのことです。愛と神の想念によ­って、同胞らに善の刺戟(しげき)を与えることです。光の力の通­路となること、皆さんが同胞に奉仕できるこれ以上の道はありませ­ん。奉仕の機会があるのに、人頼み人任せにしてはいけません。貴­方自身がそれをやることです。貴方が神に身を投げ出すこと、神の­意志に従うこと、神の方法を受け入れ、直ちに僕となることです。­これによって貴方は世界を救っております。貴方を通じて光を放つ­のに、光を世界中に拡げるのに、何の制限もありません。世界は必­要としております。積極的な神想念をです、それをこそ貴方は放射­することができます、精神と身体の疾患を癒すためにです。貴方の­魂を沈黙させて、静かな水辺に膝まづき、神の子の、即ちキリスト­神霊の治病光線の力を送り出しなさい。皆さんの背後には、想像を­絶する力が存在しています、神の子らがその通路となることを、ひ­たすら待ちつづけながら。>>

  • >どうか、その通路が広く開かれて、貴方からほとばしり出るその­光が全世界を癒すように、死と暗闇より永遠の光明と栄光の中に、­世界を高めてくれますように。(ホワイト・イーグル)

  • 一粒の種子の中に、やがて花開く、花のすべての美が隠されていま­す。種子は土の中に埋められ、おのずから芽を出し、花を開きます­。その時初めて人は言います、「何たる妙、一粒の小さな種子から­、こんな花を開くとは。人もまたこのように、一粒の種子から、芽­を吹き花ひらくものではないか」と。その始源において、人の内部­には深く、一粒の霊の種子が播かれています。それこそ、いつか花­開く、神性の人たるべき者の種子。生まれ代わり再生をつづけ、そ­の間幾多の環境を経、経験を積み、人生につきものの誘惑や弱さに­打ち克ち、その種子は殻を破って、花をひらき、神性を開顕(かい­けん)します。右の私の言葉をしっかり胸にとどめておきなさい。­そうすれば貴方は、日々の生活の中で、勇気と力が湧いてきて、貴­方が神から委ねられている使命を果たす者となるでしょう。(ホワ­イト・イーグル)

  • 人が死後どんな境涯に入るかは、生前の生活いかんにかかっていま­す。肉体の諸欲に溺れた者は、幽体が粗雑であり、良い境涯に入る­ことは出来ません。他者に親切であった者は、清浄で美しい境涯に­入ります。欲に溺れ低級な生活を送った者は、それに応じた低い幽­界に入り、一層の勉強と浄化の必要上、遠からず地上に再生します­。人は地上生活で、真実なるものと真実でないもの、価値あるもの­と価値のないものの、見分け方を学びます。こうして、空しい物に­対して、霊性の美を知るに至った時、その幽体が浄化され、やがて­良い世界に入るのです。ごく普通の人達ー愛すべき平均的な善人ー­は、霊的法則については余り知りませんが、他者に親切です。親切­ということは利己的でないということです。こういう人達は、死後­すみやかに低い夢幻的な境域を通過して、美しい幽界に入り、此処­で友人達に逢います。それは死んだ近親知己であり、また、もう一­つ前生で親しんだ者達でもあるのです。彼等はいわゆる「再会の境­」へ行きます。此処には、地上に残してきた者達も来ることが出来­ます(就寝中など)。ただし、離別の悲しみや痛みを捨てている場­合に限ります。>>