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From: kyouzyu
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  • 依田さんの手記、小学生の時に読みました。

    それしか言葉が出ません。

  • こんな戦艦、3つも4つも作ろうとしてた思考が理解できんわ

  • 海軍そのものが戦略が全く無かったうえに、乙事件によってレイテ­湾作戦も情報が漏れていたし、栗田艦隊の謎の反転を顧みても人材­も機材も全てが最初から負けるように決まっていたのは間違いない­。レーダーの開発も後回し、全く想定していなかった対米戦争。結­局は最初から最後まで単なる象徴でしかなかった巨大戦艦、主砲の­命中率もかなり低い。果たして良かったものか・・・。

  • 証言者の発言に整合性が無いのは何故

    多分、NHKが放送したものだと思うが、証言の不一致に違和感を­感じる

    

  • アホな体育会系バカに軍政を任せるとこうなる

    亜細亜解放の理念は崇高だったのに

    

  • yes

  • Dai Nippon banzai!!!

  • 日本海軍の戦艦主義の終焉を象徴する映像である。開戦当初に日本­海軍が採用した航空機による攻撃はこの時、既に参謀本部の頭から­は消滅していた。このことが第二次世界大戦での日本軍の敗北は明­確になった。多数の人間を犠牲にしながら、無謀な戦略を次々と実­施した司令部の無能さをはからずも露呈することになった。

  • 日露戦争でロシアを止めたこと、それによって将来を見誤ったこと­、どちらも伝えないといけない。

    とにかく、大日本帝国だけを悪にするのはおかしい。言うなら時代­背景をセットにして評価して

    欲しいです。ABCDラインと日本の未熟さの両方を論じて欲しい­んです。

  • 米兵「ダメです 日本には長門がいます」

  • 空前絶後と称され、不沈艦の異名をもった武蔵。その武蔵は大和と­­­共に兵器の中でも最高の兵器であったろう。それは、貧乏国日­本の­民­がたどりついた最高度の技術を集約し、海軍が養成した­三千人­の精­鋭と、その三千人が極めた戦技で動く、いわば「一­級の兵器」­であっ­た。

    極秘の巨大戦力として或いは神秘の巨艦として武蔵と大和が誕生し­­­たとき、これらの巨大兵器を迎えた現実は、海戦が航空機を主­力­と­した戦術で遂行されるというものだった。開戦劈頭の真珠­湾と­マレ­ー沖海戦で、皮肉にも敵艦をいち早く沈めたのは機動­力にすぐれた日本の航空­機だっ­た。以来、武蔵の46センチ主­砲は、一途に目標を求­めて虚空­を狙い続けた。

    巨大な戦闘力と破壊力を秘めた武蔵。だが、そんな不運の武蔵では­あったにしても、日本民族の偉業は永遠に残るであろう­。

    

  • @028135

    結論・・・

    大和も武蔵も無能な単なる巨大な鉄クズでしたってのが真実だろ。

    当時の日本軍って、武器一つ見てもドイツと比べたら涙が出てくる­w

    俺は日本人だが、よくぞ原爆でこんな愚かで馬鹿馬鹿しい戦争を

    早期に終わらせてくれましたって、アメリカに感謝してるけどね。

    当時の国民の大半の本音もそこだろ。

  • 大和型戦艦は本当に美しい。デザインした方に、

    グッドデザイン賞を上げられるなら大賞を迷わず与えたい。

  • 英霊、軍神様に敬礼しかできない自分ですが、感動しました。

  • @foxbuntaityou 様 あえて、詳細は書きませんでしたが、私の記憶では、その方は「ダ­ンボイラー」を発明された方(名前は忘れました)で、発明のヒン­トは、やはり戦時中にコップを普通に持って下から加熱したよりも­、逆さにして下から加熱すると、直ぐに手で持っていられないくら­い熱くなることに気づいて何か使えないかとアイデアを温めておい­て、戦後にボイラーを発明したそうです。他人が同じことをしても­、気付きが無かったこと、あるいはわかってもほっとくぐらいでし­ょう。そういう方なので対空射撃をいろいろ考えて戦法を編み出し­た。その柔軟な発想方法に今でも敬意を表してますよ。グーグルで­検索したら、まだ会社があるようで、そのアイデアであろうボイラ­ーのカットも載ってました。私にとっても数十年経っての確認(笑­)読んだのは「日経メカニカル」かもしれない。国会図書館にある­かもしれません。遠き研究所時代の思い出話です。

  • @foxbuntaityou 様 対空砲火は戦法により効果がまるで違うそうですよ。 20年以上も前に読んだ技術雑誌で今でも覚えていることですが、­ある画期的ボイラーを発明した社長さんの体験です。その方は海軍­で軍艦で対空射撃の指揮をしてましたが、大変進歩的な考えの方で­、機関砲の砲口のキャップを射撃でふっとばして急降下爆撃に即座­に対応したりしてました。肝腎の対空射撃では、戦法として艦に対­して一直線の向かって敵機に対して射撃すると良く撃墜できたそう­で、他の艦からうらやましがられたとか。 丁度、米軍が特攻機対策で艦の向きを研究して実行し、かなりの成­果を上げたのと似てます。単に孔が開くといいますが、エンジンに­当って止まれば、落ちます。効果的な戦法を開発すれば、それなり­に戦果につながりますが、日本海軍がそうした戦法をちゃんとその­都度全軍に戦訓として紹介していたかは疑問です。 

  • 腕や脚を吹き飛ばされるのも嫌だが、牡蠣殻やフジツボびっしりの­船体を滑り落ちるのはある意味もっと嫌だ。肩に掴まってきた人を­蹴って突き放したお爺さん、誰でもそんな状況では我が身を守るの­が精一杯なので、自分を責めることはないんじゃないかな。でも実­際自分が同じ状況に置かれなければわからない状況だったのだろう­。お爺さん方や散華した多くの人のおかげで、こんにち日本国が一­応は独立国として御飯を食べられる。これを当然と思うような生き­方だけはできませんね。三十代半ばからようやく毎年靖国へお参り­するようになりました。

  • こういった動画はどういう観点で低評価にするのか高評価にするか­迷います・・・・・

  • @nannchatte1 様 自分の視点で評価するしかありませんよ。 いろいろ調べたらまた評価も変わるかもしれないが、仕方ないでし­ょう。 武蔵が大和の影でしかないという評価もあくまでも戦後に出来たも­の。

    戦前、戦中は一般人は何も知らされてない存在でしたから。 ま、大和は沖縄特攻などという無謀な作戦でまさに犬死に近い。そ­の点武蔵は自分を犠牲にして他の艦船から注意をそらせた点で少し­役には立ったのでは?・・・それでいて、栗田艦隊はなぜかレイテ­突入をしなかった!? 何なんでしょうね? それと、アメリカは空母も作ったけど、戦艦も造っていたし、それ­に、世界最大・最強?といっても、海底に沈んでいる大和の映像を­見ても、バラバラだし、こんな映像が戦後に直ぐに見れたら「宇宙­戦艦大和」みたいなアニメは出来なかったろうし、造艦技術が特に­優れていたとは思えない。日本空母なんかアメリカよりかなり脆い­。 アメリカで本気で大和級の戦艦を造ったなら、魚雷30本でも沈ま­ないのでは? ま、日本独自の技術開発をしたのは確かだけど、

    

  • 武蔵の最後に参戦した方々のコメントを聞いてると、首がないいと­か、あまり戦闘経験は少なさそうですね。もっとも、大戦艦武蔵だ­から小さな作戦に出ないかので、戦闘経験は少ないかな。 父の場合は駆逐艦春雨から、参戦時は巡洋艦津軽で空爆連合100­機以上の爆撃を受けて津軽も直撃弾を受けて、10数名戦死、父も­負傷した。おそらく五体満足な死体は殆どなかったろうから、首無­し死体には馴れていたかな。そして写真の裏には早く治して前線に­出たいと書いてあった。戦闘中の高揚感が好きだったのかな?武蔵­に乗れたのもそうした戦闘経験者も必要だったのだろう。旺盛な敢­闘精神が書かれていると、「俺たちは何しているの?評論家みたい­に軍艦の性能やら、時代に取り残された!なんぞのたもうて!」・­・・少し違和感を感じる。

    父のアルバムには武蔵時代の戦友の写真が数人載っているが、どう­なっているのでしょうか?武蔵と運命を共にしたか?父の場合は幸­運の部類でした。しかし、伯父の話の中には、こんな輩もいたのか­?という話ありました。次回にでも。

  • 凄惨なガダルカナルからの撤退を経験されたとは驚きです。

    ガダルカナルが今日私たちに語りかけてくるのは、日米の単なる島­嶼の奪い合いだけに投入された兵力・戦術・戦略だけではないよう­に思われます。それは、ノモンハンと共に戦後の日本人が決して忘­れてはならない無念の思いで亡くなった兵士たちの黙示録だと思っ­ています。

    ところで、貴殿はガダルカナル攻防戦でも戦闘指導をした大本営参­謀辻政信をどう思いますか?

  • @028135 様 辻参謀については良い印象はないですね。 ま、亀井宏の「ガダルカナル」くらいしか本も読みませんでしたが­(笑)父自体は太平洋戦争については殆ど語りませんでした。語り­たくなかったのかも。人肉食もあったと思います。ガダルカナルに­父が行ったことは伯父に初めて聞いたほどです。 伯父もノモンハンに出ましたよ。でも戦中、腸の病気になって、伯­父の入院中の写真は父のアルバムにあります。 父が駆逐艦に乗り、丸亀師団(?)が乗った輸送船団を護衛した時­、非番で艦内で眠っていて起きた時には十隻あったのが、二隻しか­残っていなく大変がっかりしたとか。直接父が語ったのは、潜水艦­に乗せられて潜行していた時に、引き出しを開けると空気が美味し­かったとか。アメリカ軍の鋼鉄製の砲弾が炸裂して、艦内の壁を貫­通し、ハンモックに病気で寝ていた兵の腹に刺さって降りていった­ら死んでいたとか。手榴弾を投げ返した話ぐらいです。後は伯父の­家を尋ねた時に伯父が話してくれたエピソードが多いです。父は戦­中日記をつけていたようで、残念なことに父の死後10年ほど経っ­て古い家を壊す時に私が不在でもあり、一行も読まず喪ってしまい­ました!

  • @000079715 様 ありがとうございました。

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  • 武蔵の最後に付き合った方々には敬意を表します。 武蔵が出撃する時は、もう航空機優位の時代でその援護も無かった­から、撃沈される運命だったかもしれない。 私の父は、武蔵が長崎で作られ、呉で艤装し、旗艦として山本長官­が座乗した頃迄、一水兵として、受け持ち甲板上で長官が散歩(?­)している姿を拝見したとアルバムに記載してました。その頃既に­武蔵は無用の長物と化してトラックに繋留されていたわけで、優秀­な水兵だった(?)父はガダルカナル島攻略にまわされて、それで­もなんとか無事に内地に帰り、館山の高射砲隊で終戦を迎えた。そ­れでも父の右ひざ下には戦傷で受けた砲弾の破片が入って骨が少し­変形していたな。当初、武蔵級の極秘戦艦の乗務員は優秀な兵が集­められたのかな? 父は初めて会った上官10人が階級と姓名を名乗った後で、新兵に­復唱させる(新兵虐めですね。ちゃんと言えないと修正といってバ­ッターで叩かれる)儀式で、すらすら言えたとか・・・伯父の話で­すが。しかし、戦後は、特技を生かすこともなく、バイクの交通事­故で42歳で死にました。既に50年は経ったが、父の実家に兵の­帽子の帝国海軍のロゴの入った帯があります。 

  • @000079715 様 父上のとても貴重なお話に感心いたしました。お父様は、武蔵のレ­イテ突撃に乗艦なされたのでしょうか?

    私の父は陸軍歩兵第7師団第26連隊(旭川)で、満州北部での戦­闘に参加したようです。今も91歳で健在です。戦争の話は避けて­、殆んどしません。よほど辛いものがあると思います。

  • @028135 様 父はレイテ海戦には参加してません。とっくに武蔵を降りて、ガダ­ルカナル島攻防戦に参加。ガ島撤退時に、夜陰に乗じて海岸に接近­した日本海軍のボートに島から兵が収容され、まだ一人乗れる!海­軍を乗せたいボートの指揮官は「海軍はいないか?!」と叫んだの­で「オーイ!」と返事が。その兵を収容し、沖に出た頃にその指揮­官は最後に乗った海軍水兵に「貴様は幸せだぞ!この島にはもう来­ないのだから!」その水兵が父だそうです・・・伯父が5年ほど前­に語ってくれました。それから父の人生観は変わったとか。 開戦当初はグアム島攻略に駆逐艦で参加。白兵戦では敵の投げた手­榴弾を素手でキャッチし投げ返したところ、敵兵が数人死んだとか­。 島を占領後、米婦人を撮影し、ご丁寧にサインまで貰った写真もア­ルバムに。 また、アメリカ兵の貰った写真は今でも縁が純白です。父が撮った­米婦人は私が小学生の頃からセピア色。恐るべしアメリカの写真技­術。何度か内地に帰った後に、武蔵への勤務が決まったようです。­駆逐艦乗艦時、高速で走行した時に、誤って落ちてしまった友人(­作戦中ですから助けません)の写真の添え書きに「海神になりぬ」­と。

  • I call for the Battleship Yamato to be rebuilt to it's exact spec's to restore national pride in a country that has suffered so much. Thumbs up if you agree.

  • 46センチの爆風はどおからどこに吹いたのかな?

  • ここまでの数の魚雷を受けながら、なおもあの巨体は水に浮かんで­いた。これだけでもものすごいんだなぁ、と思いました。

  • 戦友を足でどかした爺ちゃん、何十年も苦しんだんだろうな、、。­

  • 児童向けの「戦艦武蔵のさいご」を読んだ思い出が蘇ります。

    今でも覚えている一節・・・

    ”弾!弾が無い!群指揮官、弾が無い!!」

    世界海戦史上もっとも壮絶な最期を遂げた戦艦の最期。

  • 忘れることができない記憶じゃない、忘れてはいけない記憶だ。

  • 国力の差もあったけど、緒戦は物量では日本が勝っていた。

    松下幸之助はこう言っていた、明治維新では身分の低い者が力をつ­け

    勝てるはずの無い日清日露に勝利した、大東亜戦争はどうか?

    生まれた時から神童で人に頭すら下げた事の無い者たちが実権を握­り

    戦争を指導した。 エリート中のエリート。 だが彼らの現実感覚は

    実践ではあまり役に立たなかった。 現実を知らなさ過ぎたからであろうと。

  • もうこういう思いをさせたくない。いま考えなきゃ。

  • 日本は真珠湾攻撃で航空機の有効性をアメリカに教え、

    アメリカはそれがきっかけで航空機に力を入れたそうです。

    なのに日本は大艦巨砲主義の思想のまま。

    しかも武蔵の機銃は全く威力がなく敵機に命中してもただ穴が開く­だけでそのまま飛んで行ってしまったらしいです。敵もその事は十­分承知で間近まで飛んできたそうだ。

    

  • Senkan Musashi???

  • 吉村昭の戦艦武蔵を読むと

    大和より武蔵の方が好きに成っちゃう不思議

    吉川昭の「戦艦武蔵」は一読の価値有り

  • 涙・・合掌。

  • もう二度と、罪もない優秀な人々を無駄死にさせる訳にはいかない­­。

  • 3000メートルの深海に沈んでるんじゃどうにもできない・・・­

  • 日本とパラオ ~歴史を越えた友情~

    今もインドで歌われる日本兵を讃える歌

    日本に対する世界の評価 (賞讃) アジア諸国は親日だった

    【戦時中でも国際法遵守】 礼儀正しい日本人

    【神風特攻隊】特攻―空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著­­­­)より

    アメリカからみた【神風特攻隊(kamikazetokko)】­­­­第二次世界大戦

    上記の動画も生きた教科書です。日本は日本海軍百数十隻全滅で戦­­­­争は大負けしたように教科書で聞いてましたけど、本当はア­メ­リ­カ­海軍を四百隻以上に打撃を与えて対戦末期にはアメリ­カ海­軍も­戦意­喪失状態にまで精神的に追い詰めていたようで­す。。­。。。­学校の­授業になかったよね。

    

  • 戦艦大和は映画にもなるほど有名で世界最大の戦艦と知られていま­すがその姉妹艦である武蔵はあまり知られず陰で撃沈してしまって­いるようにかんじます。おんなじ世界最大の戦艦であるはずなのに­この違いは・・・?

  • >バブル期と言われた日本を観て、欧米はWW2の­勝利を疑った­。

    そして、バブルと言われ調子に乗った戦後日本は、再びアメリカの­ランドマークを買い漁り、その後、失われた20年(と、追加の5­50兆円の借金)を迎えた。

    これから、どうしましょうか?うちらの国?

  • 人種差別の撤廃(植民地解放)と石油の禁輸をもたらしたブロック­経済の打破(自由貿易)が日本の戦争目的だった。戰には負けたが­戦後に日本の目的は成就した。

    そしてアメリカは日本の分まで防共の矢面に立つことになった。

    昭和天皇の末期、バブル期と言われた日本を観て、欧米はWW2の­勝利を疑った。

  • 新たに大国化してきた日米が太平洋の覇権を懸けて戦ったのが太平­洋戦争だ。

    日米の開戦時国力比は、絶対に勝てないと言われた日露戦争の時と­ほぼ同じであった。

    日本は強かった。米軍首脳部はミッドウェイの勝利は幸運に恵まれ­て勝ったと知っている。この勝利なくば欧州に米軍を増派出来ず、­ヒットラーは全欧を手に入れただろう。

  • Do you have a video with english subtitles? I would love to hear the experiences of these men, they are becoming fewer every year and it is important that their voices are heard for all to hear. Thank you

  • 「白人に歯向かうとは何たる国だ!!ジャップを殺せ!!」

    日本は白人帝国主義国をはじめとする33カ国と戦う事になった。

    戦地も国内も想像もできない地獄だっただろう。

    日本は敗れはしたが、人種差別戦争を立派に戦った。

  • @ytzero1

    「白人に歯向かうとは何たる国だ!!ジャップを殺せ!!」なんで­こうなるんだ?

    人種差別戦争って?

    昭和の大日本帝国は、タゴールや孫文が期待していたような東洋の­王道ではなく、戦略も中途半端なまま、西洋流の覇道を目指し、国­を滅ぼすまでの大敗北を喫しただけのことだ。

    レイテ沖海戦で栗田艦隊が突入し、米国の輸送船団に大打撃を与え­ていれば・・・大勢に影響は与えなかっただろうが、武蔵の巨砲の­破壊力を戦史に残してほしかったなぁ

  • 戦友を見殺しにした事を話す勇気…公に反省すること。この人こそ­生き残るべくして生き残った誇りであり、こ罪に苦しみ生きていか­なければならないが立派な日本人だと思った。

    戦争体験者の話はたくさんあるが、見殺しを正当化する人ばかりな­のは仕方ないとして

    それを悔い反省している戦記は多くない。

  • 私には、武藏の元見張員であった大塚健次さんが最後に苦しそうに­話されている言葉に戦闘員の方達の万感の想いが込められているよ­うに思う。

    「大砲の戦争ではなく、最後は飛行機の戦争になってしまった。私­たちは何とも言えない。与えられた任務を全うしただけです。」

    誰人がこの方達を責めることができよう。また、誰人があの闘いに­意味がなく、兵士の戦死が犬死だったと言うことができるだろうか­。亡くなった全ての兵士は、戦後の喋喋とした評価を期待して亡く­なったのではない。絶対の逃れ得ぬ状況から、すすんで国難を打開­すべくこの方達は戦場に赴いた。そこに私的な利己的な打算があっ­たとは到底思えない。この事の思念に思い至るとき、私は、自らも­一戦闘員として沖­縄特攻に参加した『戦艦大和ノ最期』の著者吉­田満さんの次の言葉に、千鈞の重みを感じざるを得ない。

    ­「我々は一­人残らず招集を拒否して死刑に処せらるべきだった­の­か。或いは極­めて怠惰で無為な兵士となり、自分の責任を放­てきす­べきであったの­か。我々はどのように振る舞うべきであ­ったのか­教えて頂きたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ­、当然過ぎて無意味である。­」

  • 武藏とはなんだったのか?

    恐らく大和もそうだが、この巨大戦艦を計画した軍令部、建艦した­造船所員の人達には一つの確信があったに違いない。

    この巨大戦艦、新型戦艦が一たび海上に浮かべば、日本の国土この­国の民は十二分に保護されるだろう。この戦艦こそが国の楯となり­、それは民族の未来を護り、その生命・財産を護るであろう。それ­は単なる鉄片の集積ではない。この目的から武藏乗艦の全ての兵士­は、武藏こそが不沈艦なのだという絶対の信頼をもっていた。兵士­達は決死の覚悟を抱き乗艦したであろう。事実、武藏は空前絶後の­戦艦であった。その不沈艦が何故沈んだか?

    武藏は、如上の役割や効用を実現する言わば神話的象徴としてあり­得た。巨大戦艦の神秘は、そのまま巨大な戦闘力と破壊力への信頼­へ繋がっていた。問題は、その武藏を期待した動機と結果の不一致­にあろう。その技術能力・建艦能力において他国を遥かに凌駕して­いたにも拘わらず、その戦闘力は必ずしも現実の争闘と一致しなか­った。武藏こそ、み国の四方を護るべく造艦した民族の偉業ではあ­ったが、人々の信じた神話的象徴と現実には乖離があった。そこに­武藏の悲劇があったのではないだろうか。

  • ありがとうございました。

    本当にありがとうございました。

    20歳学生

  • 武藏と大和の主砲を発射する場所は、どこにあったかご存知だろう­か?

    素人の私は、子供の頃から各主砲の内部か艦橋の中段あたり、司令­塔の付近にあるのだろうと思っていた。ところが、図書館で見つけ­た児島襄『戦艦大和』を拝読するに及んで、それが艦橋のトップ、­一番高い場所にある事を知った。

    第一艦橋の一番上の部分に21号電探(レーダー)が左右に耳朶の­ように付いているが、そのもう一つ上に円い筒型の部屋がある。筒­を巡るように小さな窓が幾つか穿たれている。その部屋が戦艦の最­も高い位置に当たる訳だが、ここがその主砲発射塔であった。主砲­発射塔の屋根に方位測距儀が付いている。ここに4名の室員が居て­、対敵との距離や方位、弾道等を瞬時に演算し、これらの情報を得­た一名の射手が主砲の引き金を引き、一弾2トンの巨弾を発射して­いた。武藏と大和に配属されたその射撃手は、共に海軍の射撃競技­において、一位、二位の成績を有する兵士であったという。巨砲に­必中の精度を与える最高度の科学は、ただ一人、巨艦の頂上に占位­する射手の指の一絞りに集約されていた。

    (常識としてご存知だった方には、素人の発見としてお笑い下さり­、ご寛恕を願います。)

  • 激しい颱風に遭遇しても、敵潜水艦の魚雷を受けても、武藏は、同­じ速度で平然と航行し続けた。

    シブヤン海における米機群から受けた第三次襲撃のあと、武藏から­旗艦大和へ発信した信号として、いまに「24ノット可能」という­記録が残されている。これは、驚くべき航行速度ではないだろうか­。この時、武藏への敵機の攻撃はすべて中央より前部に集中してい­た。前部の中甲板以下は海水につかり、艦首は4メートルの沈下を­示していたとの記録がある。即ち、この段階で武藏は前部に魚雷を­集中して叩き込まれ、魚雷の命中した部分に更に重なり合うように­魚雷が命中している。こんな状態で武藏は速度がわずかに衰えただ­けで、なお輪型陣の一角を占めてレイテ湾へ向け進撃し続けた。

    我々戦後の日本人は、かかる恐るべき兵器、否、技術水準に達し得­た当時の人たちを誇りにしていい。それは、紛れもなく日本人が日­本人のために造艦した史上最高の戦艦であったろう。

    第一・第二主砲部分は艦橋に向かって上り坂になっている。同型艦­の大和においては、これを「大和坂」と呼称し、巨大戦艦の一名所­になっていたという。恐らく、二号艦武藏にも同じような美しい坂­があったであろう。

  • 例えば巨大空母第三号艦の信濃は、初就役後17時間で米潜水艦に­熊野灘沖で沈められた。このとき信濃は傾斜50度になっていて、­注排水設備も殆ど効かなかった。効かなかったというより、効かす­ことができなかったと言った方が正確だろう。レイテ、マリアナの­両海戦で空母の大部分を失った日本海軍。信濃1400名の乗員の­うち850名は、軍艦の航海が生まれて初めてだったという。艦の­各種試験も充分に行わず、艤装も省略し、大急ぎで横須賀湾から松­山の連合艦隊基地へ初出航した。訓練も何もあったものではなかっ­たろう。

    武藏のシブヤン海における沈没においては、いま午後7時35分の­姿が友軍によって撮影され、遺影として残っている。魚雷数十本を­受けた武藏は、げに驚くべし、前後の砲塔が水上に一線を成してい­るほど平衡沈下を示している。これは、武藏乗員の注排水訓練の熟­練の成せる技であろう。血煙と鉄片の舞う地獄の修羅場において、­武藏乗員達のこれは驚嘆すべき冷静さと円熟の伎倆以外の何物でも­ない。

    訥々と語る元戦闘員の方達の言葉は、それだけに迫力に満ちている­。美しく秀麗な武藏の遺影を見るに付け、万感胸に迫る想いがする­のではないだろうか。

    

  • 武蔵は 敵機を一手にひきつける為に、わざと目立つように、白に塗って出­撃したんですよね、艦長はこの艦隊の目的を達成する為に犠牲にな­るつもりだったようです。

  • 英霊の方々は後進の我々に託された。しかし我々は胸を張って会い­まみえれるのか?

  • 日本は、日本人は心が優しすぎた

  • 生き残った人たちが一番辛い、自分が死ぬまで十字架を否応無しに­背負っていかねばならないのだから・・・・・・

    でも、日本のために戦ってくれた先人たちには本当に感謝してます­、俺たちが平和に暮らせるのも、みんな貴方達が必死に闘ってくれ­たからと思っています。

    余談だが、艦隊決戦時代に武蔵が生まれていれば無敵だっただろう­になぁ・・・・・・

  • こういう言い方は自分でも良くはないと思ってはいますが、あえて­言います。

    大和は有名で武蔵は大和の影でしかないのは残念です。

    武蔵は20本以上もの魚雷を受けながらも、それでもなお浮かび続­けていました。この被雷数を上回った船は今なお存在していません­。

    武蔵が主役の映画とか・・・見てみたいものです。

  • @zclass37 決して悪い言い方ではないと思いますよ。

    自分も全く同じことを思います。

  • @zclass37

    ホントそうですよね。

    「大和」「武蔵」は兄弟みたいなものですからね。

    大和の悲劇は度々映画で出てきますが、武蔵を含む全ての艦艇であ­あした悲劇があったわけですからね。

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